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2025.7.12

「ピクチャレスク陶芸 アートを楽しむやきもの ―『民藝』から現代まで」(パナソニック汐留美術館)開幕レポート

パナソニック汐留美術館で「ピクチャレスク陶芸 アートを楽しむやきもの ―『民藝』から現代まで」が始まった。

文・撮影=橋爪勇介(ウェブ版「美術手帖」編集長)

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 近現代の陶芸をテーマとした企画展を継続して開催してきたパナソニック汐留美術館。同館で、「ピクチャレスク陶芸 アートを楽しむやきもの ―『民藝』から現代まで」が始まった。担当学芸員は川北裕子。

会場風景

 同展は、陶芸と絵画的表現の交差に焦点をあて、アートとしての魅力を探ろうとするもの。タイトルにある「ピクチャレスク」とは、「絵画的な」「絵画のように美しい」といった意味を表す美術用語。18世紀イギリスでは庭園や景観の美を示す言葉として用いられ、建築や造形の分野において、新時代の美意識を導いた概念ともされている。今回の展示では、絵付けされた陶器にとどまらず、平面と立体がダイナミックに融合した形態や、メディアを越境して表現を更新していくような造形のあり方にも注目する。

 本展では、各々の作品の色や形、モチーフから、時にジャンルを横断して創作に挑む作者の思考や芸術観を紡ぎ出すことを試みる。会場には随所に絵画がシンボリックに展示され、絵画も三次元的な物質であることを示し、新しい共演の形を示す。

 展示は「絵画と交差する陶芸」「陶に描くこと」「色彩のめざめ」「マチエールのちから」「かたちの模索」「うつわの表象」「モチーフを探す」「往還する平面と立体」「焼成と形象」で構成。1960年代から80年代生まれのアーティスト約50名による約120作品が並ぶ。

 序章はバーナード・リーチ(1887〜1979)の陶器とドローイング。壺や皿の表面を画面ととらえることから出発したリーチは、画家としての側面もつねに持ち合わせていた。陶業と画業、東洋と西洋を行き来したリーチ作品を手がかりに、陶芸と絵画的表現が交差することの意味を提示する。

展示風景より、バーナード・リーチ《楽焼飾皿》(1919)

 1章では、近代における個人陶芸の礎を築いた富本憲吉(1886~1963)、北大路魯山人(1883~1959)、石黒宗麿(1893~1968)、近藤悠三(1902~1985)らが絵付けした陶器、あるいはその筆致に着目するものだ。例えば、料理の器制作でも名高い北大路魯山人の《織部俎板盤》(1949)は、青緑の織部釉が美しくかかる優品。鉄絵と無地の織部が見事に画面を構成している。

第1章展示風景
展示風景より、北大路魯山人《織部俎板盤》(1949)

 2章は、民藝運動の中心人物だった河井寛次郎(1890~1966)や濱田庄司(1894~1978)といった、近代の陶芸家たちにおける色彩表現のあり方を見つめるもの。河井の《三色打薬貼文扁壺》(1961-63頃)は、赤、緑、茶の三色を打ち付けるように着色した晩年の代表的作風。祈るような姿の扁壺に、釉薬が絵画的に彩りを与えている。

展示風景より、河井寛次郎《三色打薬貼文扁壺》(1961-63頃)
展示風景より、三代徳田八十吉《耀彩鉢 創世》(1991)

 土を焼成する手法として挙げられる、薪窯や電気窯やガス窯。「マチエールのちから」は、従来よりも焼成の仕方に創意工夫する作家が現れるなかで、焼成の効果としての表面の質感の表現(マチエール)に注目するもの。内田鋼一による、《untitled》(2025)は、マチエールとして緑青を見事に表現しており、時間の経過を静かに封じ込めることに成功している。

展示風景より、手前が内田鋼一《untitled》(2025)
展示風景より、中央はアンリ・マティス《鏡の前に立つ白いガウンを着た裸婦》(1937)

 4章のテーマは陶磁器制作の核心である形態だ。陶芸家たちはその追求にどう向き合ってきたのか。陶芸界の鬼才・加守田章二(1933〜1983)は、1970年代には毎年のように作風を展開させたことで知られる作家。72年に制作された《彩色角壺》(1972)はもっとも人気の高いシリーズのひとつで、表面の着色と土の造形が見事に拮抗した優品だ。

展示風景より、手前は加守田章二《彩色角壺》(1972)

 またこのセクションでは、空間と対峙することに新しい視点をもたらしたルーチョ・フォンタナの平面作品も併置されており、陶作品との新たな共鳴が生まれている。

展示風景より、右がルーチョ・フォンタナ《空間概念、期待》(1962)

 第5章は、わたしたちの生活にも身近な「うつわ」の世界。ここでは、イギリスやデンマークの作家を中心に、陶芸において重要な位置を占めるうつわの表現を紹介。ロイヤル・コペンハーゲンの製陶所での仕事から出発し、デンマークのモダニズムを牽引したアクセル・サルト(1889~1961)は、やきものと平面の仕事を並行して行った作家。代表的なとげのある造形と釉薬の具合が見どころとなる。

 また日本でも人気の高いルーシー・リー(1902〜1995)の《溶岩釉スパイラル文花瓶》(1978頃)は、晩年の代表的なスタイルの作品。ピンクやブルーなどの種々の色土の塊をロクロでひくことによりスパイラル模様を創り出している。表面に気泡を発生させる溶岩釉をまとう。

展示風景より、手前がルーシー・リー《溶岩釉スパイラル文花瓶》(1978頃)

 グイン・ハンセン・ピゴット(1935〜)による《白い信楽の道》(2012)は、モランディからの影響を強く感じさせる注目作だ。薄く釉薬がかかった白い磁器を複数並べることで、絵画的な構成を生み出している。

展示風景より、右がグイン・ハンセン・ピゴット《白い信楽の道》(2012)

 第6章「モチーフを表す」では、陶磁器の技法や特性をいかし、意匠としてモチーフのある作品を追求した作家が紹介される。松田百合子(1943〜)は色絵磁器の伝統を学びながらモダンアートに想を得て、ポップでダイナミックな作風で現代の色絵表現を確立した。《西瓜水瓶(フリーダ・カロへの オマージュシリーズ)》(1996)は、メキシコの女性画家フリーダ・カロへのオマージュとしてシリーズ化された作品のひとつだ。

展示風景より、中央が松田百合子《西瓜水瓶(フリーダ・カロへの オマージュシリーズ)》(1996)

 イギリスのグレイソン・ペリー(1960〜)による《シットストーム》(2006)は、作家にとって初めての九谷焼の作品。金沢で滞在制作されたもので、滞在中に撮影した写真の転写や、青海波の模様など様々なモチーフが重層的に絡み合う。

展示風景より、左がグレイソン・ペリー《シットストーム》(2006)
展示風景より、中村錦平の作品群

 7章の主役は、1960年代から80年代生まれのアーティスト。二次元と三次元がどのように融合しているかを、多様な表現からによって紹介しようというものだ。「側の器」と題したシリーズを追求する現代画家・増子博子(1982~)による《移ろう景色 皆川マスの絵付けより》(2020)は、益子の絵付師・皆川マス(1874~1960)の仕事に触発されて制作した作品。陶器の絵付けを作家の視線でとらえなおすプロセスを具現化している。

展示風景より、増子博子《移ろう景色 皆川マスの絵付けより》(2020)
展示風景より
展示風景より、上出惠悟《静物》(2019)

 最終章の「焼成と形象」は、陶芸における焼成について問いかける現代作家の作品を紹介するもの。ここで、とくに注目したいのは、鯉江良二(1938~2020)による大作《土に還る》(1990年代頃)だろう。「土に還る」シリーズは作家が30代の頃に注目された代表作のひとつで、自らの顔で石型をつくり、そこにシェルベン(衛生陶器を粉砕した粒状の材料)を押し固めたオブジェ。時の推移とともに顔面のかたちが崩れ落ち、最終形は原初の状態に帰還していく姿が表されている。やきもののによるで表現可能性の幅広さをも問いかけるようだ。

展示風景より、鯉江良二《土に還る》(1990年代頃)

 また、国際的に高い評価を得ている桑田卓郎(1981〜)の作品も、あらためて焼成の観点から見てほしい。《茶垸》(2024)に見られるような大きなひび割れは桑田作品のアイコンだが、こうしたディテールは「火の成り行き(無為)と作り手の創意(作為)の間に生まれる」ものだ。本展では、桑田の原点とも言える益子陶芸展受賞作品《色彩サラウンド》(2006)もあわせて見ることができる。

展示風景より、左から桑田卓郎《茶垸》(2024)、《色彩サラウンド》(2006)

 陶芸作品展は数多く開催されているが、本展は現代陶芸の越境性を絵画との関わりから眼差すものとして意欲的な企画だと言えるだろう。現代陶芸が従来の文脈と異なる場面で露出することが多くなってるいまだからこそ、陶芸が持つ意味を考えたい。

 なお、本展では「ジョルジュ・ルオーの手仕事」も同時開催。こちらはルオーの陶磁器への絵付けとともに、平面作品にみる筆触や彩色、画材や制作プロセスに改めて注目したもので、ルオーにおける手の仕事のあり方や工芸性の表れを見ることができる。