吉田恵里香が椿玲子と見るルイーズ・ブルジョワ展。地獄を「最高」と言うことでしか切り開けない道がある
東京・六本木の森美術館で開催中の「ルイーズ・ブルジョワ展」(森美術館)で、美術手帖プレミアム会員限定のトーク鑑賞会が開催された。脚本家・吉田恵里香と本展キュレーター・椿玲子によるトークのハイライトをお届けする。
構成=安原真広(ウェブ版「美術手帖」副編集長) 撮影=畠中彩
東京・六本木の森美術館で開催中の「ルイーズ・ブルジョワ展」(森美術館)。巨大な蜘蛛をはじめとするインパクトの大きな造形とともに、家族との複雑な関係や、女性として生きることの難しさを表現するブルジョワの作品約100点を見ることができる展覧会だ。
2024年12月、本展キュレーターの椿玲子と、朝の連続テレビ小説『虎に翼』の脚本家としても知られる吉田恵里香による、美術手帖プレミアム会員限定のトーク鑑賞会が開催された。ひとりの女性アーティストが何と戦い、何をつくったのか。椿と吉田のふたりのトークの一部を抜粋してお届けする。
ルイーズ・ブルジョワとは何者か
椿玲子 みなさんもご存知のように、六本木ヒルズの広場にあるパブリック・アート、ルイーズ・ブルジョワの《ママン》は、2003年の4月の開業時以来、六本木ヒルズの象徴として親しまれてきました。それもあって、いつかはこのブルジョワの展覧会を森美術館にやらなきゃいけない、と思っていたのですが、ようやくそれが実現したのが本展となります。吉田さんは本展、どのようにご覧になりましたか。
吉田恵里香 本展はルイーズさんの「強さ」と「弱さ」、双方が表現されていたと思いますが、私はとくに「弱さ」の部分にすごく惹かれました。「弱い自分を認めたうえで何を発信していくのか、そして発信せざるを得なかったのか」ということは、自分の創作活動に通じる点もあったので、鑑賞後はすごく「食らって」しまったのが現実です。
椿 おっしゃるとおり「弱さ」というのは、ルイーズを語るうえでとても重要な視点だと思います。彼女の経歴を改めて確認しますと、ルイーズは1911年にフランスの裕福な家に生まれました。でも、彼女のお父さんは英国人の若い家庭教師と10年に渡る不倫をしていたし、お母さんはスペイン風邪にかかっていてルイーズはその面倒をずっと見ていて、いまで言うヤングケアラーとしての青少年時代を過ごした。ルイーズが20歳のときにお母さんが亡くなり、ルイーズは自殺を試みることになりますが、一命を取り留めます。
その後、ルイーズは数学を大学で学ぶのですが、数学よりも彼女にとっては確かだと思える自身の感情を表現すべく美術に惹かれていく。フランスの名だたる美術大学で学び、表現活動を始めていたときに出会って結婚したのが美術史家のロバート・ゴールドウォーターでした。当時はロバートのほうがずっと有名で、その影にルイーズが隠れてしまっていた、ということも見逃せないところです。
51年に父が亡くなると、喪失のショックからルイーズは鬱病になってしまいます。支配的な父をルイーズは憎んでいたはずですが、同時に愛してもいた。複雑な関係だったのですよね。その後10年ほど、彼女の作品発表は止まってしまいますが、精神分析などを経て、やがて抽象的な身体表現などに取り組み始めます。
73年、夫が亡くなると、当時のフェミニズム運動の盛り上がりとともに、女性のアーティストやキュレーターの有志がルイーズの展覧会をやるべきだとニューヨーク近代美術館(MoMA)へ手紙を送ります。82年にようやくMoMAでの個展が開催されて以降、彼女は時代の寵児となっていきます。いっぽうでルイーズは2人の実子と1人の養子を育てる母親でもあり、自分の不安定さゆえに「良い母親ではなかった」という意識もつねに持っていたようです。
長くなりましたが、こうして見てみると彼女にとって「家族」というのがアーティストとしての根幹に関わるものだとわかると思います。吉田さんがおっしゃっていたような「強さ」と「弱さ」、そのどちらもがこの「家族」に所以するようにも思えます。
「母」の難しさ
椿 第1章「私を見捨てないで」では、ルイーズが一生を通じて抱えた見捨てられることへの恐怖などを表現した作品を展示しています。最初の展示室では、性器や耳、頭、腕など、身体の断片をモチーフとした作品が並びます。
吉田 壁に投写された言葉の数々がとても印象的ですね。
椿 これはルイーズが精神分析を受けていた際の夢日記や記録を含む、彼女自身が書いた言葉をもとに、米国のコンセプチュアル・アーティスト、ジェニー・ホルツァーが本展のために新たに制作したライト・プロジェクション作品です。
吉田 流れてくる言葉の一つひとつの言葉が素晴らしいと感じました。言葉を扱う職業の人間として学びがたくさんありましたし、単語の選び方にしても強いこだわりを感じました。ルイーズの強い思いを正確に伝えたい、という言葉に対する使命がここには詰まっていますよね。
椿 次の部屋にある巨大な蜘蛛の彫刻《かまえる蜘蛛》(2003)で掲示されている言葉「生まれるとは追い出されること 見放されること、そこから憤りが生じる」といった言葉なども象徴的ですよね。ルイーズは生まれたときにまでさかのぼって、自分という存在を問い続けている。娘としても、母としても、自分が何者なのかをつねに問い続けているわけです。
屋外彫刻の《ママン》もですが、90年代以降、ルイーズのつくる蜘蛛は母蜘蛛なんですよね。子供を守ろうとすると同時に外部を攻撃する、そして時には子供にとっても脅威となる暴力的な側面も持っています。
吉田 母性とひとことで言っても、複雑ですよね。私自身も子育てをしていますが、それはたんなる作業ではなく、精神的にも肉体的にも複雑な要素が絡み合う。作品において子育てをモチーフとすることについては、私も色々な側面からよく考えます。そこには、ただハッピーな時間があるわけではないですし、100人の母がいれば100人の子育てがあり、悩みや苦しみがある。本当に、母になるというのは複雑な問題だと思います。
椿 そして、第1章の最後となる展示室では、スパイラル状の形をした巨大な銀色の《カップル》(2003)を展示しています。このカップルが男女なのかもわからないですが、それぞれのスパイラル(渦)のエネルギーのバランスが取れた状態を表しているようです。
吉田 これまで展示されていた作品とはまた異なり、男女の肉体的な特徴がすべて見えないようになっていますよね。男女でも男性同士・女性同士でも、それ以外でもあり得る。男女それぞれの性的な表象に目が行きがちですが、ルイーズはもっと踏み込んで、人間同士の関係値を表現している。それが端的に現れているような気がします。
椿 男女の差異を超えているという点では、立体の後ろに展示している、手を描いたドローイングシリーズ《午前10時にあなたがやってくる》(2007)も象徴的だと思います。これはルイーズのことを80年から亡くなる2010年まで支え続けた若い男性アシスタントの手と、自分の手をモチーフにした作品。ふたりのあいだには愛というか、優しい関係性があったのだと感じられます。
父という存在を超えて
椿 ガラス越しに東京の街を見ることができる展示室では《ヒステリーのアーチ》という作品が展示されています。こちらは仰け反るような男性の身体をモチーフにした立体作品です。「ヒステリー」というのは、かつて女性だけがなるものだと考えられていましたが、よやく19世紀になりジャン=マルタン・シャルコーという神経学者が、男性もなるものだと指摘したという歴史的経緯があります。そんな由縁のある「ヒステリー」という言葉を、ルイーズは男性アシスタントにポーズをとらせてつくったこの彫刻のタイトルにつけました。
吉田 昨今、女性の身体をモチーフにすることをただ肯定することの問題がさかんに指摘されるようになりましたが、ルイーズはこのように男性の身体もエロティックであり、神々しくもある、ということを表現しているんですね。
私は「ヒステリー」という、歴史的に男性から女性に投げられ続けた言葉が大嫌いですが、その言葉をこれだけ美しい男性像のタイトルとしてつけるというアンチテーゼが素晴らしい。30年も前にこれをやっていた先人がいたかと思うと、胸がすく思いがします。
椿 ルイーズにとってもっとも影響力のあった男性といえる父を扱った作品が、洞窟状の劇場型作品《父の破壊》(1974)です。ルイーズは幼少期、暴力的で支配的な父親を解体して食べるという幻想を抱いていました。本作はルイーズのそういった欲望を、母や兄弟とともに父親を食卓で食べるシーンによって表現した作品と言われています。
吉田 ルイーズ本人が父への思いを語っている映像も見させていただきましたが、声も心も震えていることがありありとわかって、彼女の生の声がそこにあると感じました。自分が父から傷つけられた気持ちを昇華するために、このような作品を生みだすしかなかったのだと思うと、胸に来るものがありますね。
椿 息子が欲しかったルイーズの父は、「あ、君は息子じゃなかったね」なんて彼女のことをからかったそうです。そういう小さな傷つきを、ルイーズは実際にパンで父をつくり、食べてしまうといったかたちで幼い頃に癒やしたこともあるようです。
吉田 親の放った何気ないひと言が、一生の傷として残ってしまうということは誰しもあると思います。その傷を芸術として昇華するという、自分で自分を救うことができる方法をルイーズが見つけられたことは救いで、本当にすばらしいと感じました。
椿 まさに、彼女にとって作品をつくるということは、精神分析的な療法だったのかもしれません。そして、父を食べるという表現は、一種のカニバリズム的な発想でもあります。本当に嫌いな人って食べられませんよね。憎いけれど、お父さんのことは大好きだったし、世を去る前にアーティストとしての自分をもっと認めてほしかったはずです。
「地獄」を生き抜くために
椿 最後に、この小作品《トピアリーⅣ》(1999)を紹介したいと思います。頭部から上が木で、右足がなく松葉杖を持つ人物像作品です。このシリーズは植物の再生力に注目した作品で、人物から伸びた枝にはたくさんの水色の実がなっています。水色はブルジョワにとって安定や自由といった良い意味を持つ色であったことも重要です。また、横から見ると、この作品の身体が妊娠していることがわかると思います。様々な意味で本作では「生まれる」ということが扱われていますね。
吉田 枝についている実のようなモチーフは、彼女のトラウマや怒りが熟して生まれた、ものをつくる原動力であるようにも感じられます。本作は傷ついたところからイマジネーションをつくり続ける、まさに彼女自身のように見えますね。枝は細くても、とても強そうです。私は本展をすごくポジティブにとらえて見たので、最後にこの作品を、彼女の姿に重ねたくなります。
椿 今回の展覧会、吉田さんにはずっと見ていただきたいと思っていました。ご自身が手がけられてきた作品と呼応する要素も多かったのではないでしょうか。
吉田 ルイーズって、本当にサバイバーなんですよね。圧倒的な抑圧を、とくにかく表現として昇華し続けた。まさに展覧会タイトルにもなっている彼女の言葉「地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ」は象徴的です。
私が脚本を手がけた朝の連続テレビ小説『虎に翼』でも、これは本当に偶然なんですけれど、「地獄」という言葉がたくさん出てきます。日本で女性初の弁護士資格をとった主人公・猪爪寅子が、女性が生きづらい世の中を「地獄」と表現する。そんな彼女が最終回で「どう、地獄の道は」と問われて「最高です!」と答えるのですが、それは驚くほどにルイーズの言葉と似ていました。モデルとなった三淵嘉子さんは1914年生まれ、ルイーズは1911年生まれなので同時代を生きていたわけですし、運命的なものを感じます。
地獄を「最高」と言わなければいけない。そうすることで初めて、あとに続く人の道が開かれる。それは寅子もルイーズも一緒だったのかもしれません。今回の展覧会を見て、ルイーズの創作は生活のなかでの揺らぎとか傷つきを美化せず、それでも愛しながら残していった営みのようにも思えました。結局、彼女は人間が好きなんでしょうね。フィルターなしに素直に愛を感じ取れる。そんなルイーズの生の姿がよく伝わってくる、素敵な展覧会でした。