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2025.11.9

古代の海が目覚めるとき。ジュリアン・シャリエールが東京で響かせる“海の歌”

ベルリンを拠点とするフランス系スイス人アーティスト ジュリアン・シャリエールが、東京で2ヶ所同時に個展「conversations with nature 2025」を開催中(〜11月9日)。シャンパーニュメゾン「ルイナール」とのコラボレーションによって進められてきたプロジェクトの成果を発表するものだ。展示とプロジェクトの全貌について、アーティスト本人が語った。

聞き手・文=山内宏泰 ポートレイト撮影=手塚なつめ

ジュリアン・シャリエール
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ランスから始まった旅

── 今回はアートウィーク東京にあわせ、大倉集古館とAnnex Aoyamaの2ヶ所で展覧会「conversations with nature 2025」が開かれています。それぞれの場所でどんな作品が見られるか教えてください。

 それを説明するためにまずは、今回のプロジェクト全体のスタート地点である重要な場所についてお話しましょう。ルイナールのメゾンがあるランスのことです。ルイナールからの招待を受けてランスを訪れたときに私は、メゾンの地下にあるクレイエール(セラー)が、13世紀ごろに建材用に石灰岩を切り出していた石切り場の跡地だったと、初めて知りました。この石切り場で採れるのは、遠い昔に生きていた海洋生物たちの化石であることが、私の興味を掻き立てました。

ジュリアン・シャリエール

 地下の石切り場へ降りたとき私は感じました、自分はいま昔の海の記憶の中へ潜り込んでいるのだと。その瞬間、作品の着想が生まれました。

 太古の海の記憶に基づいたソニックな作品です。コンポジションをつくるにあたって、私はサンゴ礁のある海へ潜り、その場のサウンドスケープを録音してきました。ダイビングは得意なのです。人間の耳には聞こえづらいのですが、水中というのは音に満ちているものです。魚は鳥のように歌をうたい、サンゴは何かを語りかけてきます。それらのサウンドをミキシングして、海洋のクワイア(聖歌隊)をコンポジションし、空間内に音を響かせることとしました。

 これらランスでも使われている録音とコンポジションを、Annex Aoyamaの展示にも使用しました。音の反射やライティングも緻密に設計し、独自のインスタレーションとして構成してあります。

Annex Aoyama
Annex Aoyama

 もうひとつの会場である大倉集古館に展示したのはこの歌のボーカリストたち、つまりはサンゴ礁でうたい語りかけてきてくれたサンゴの肖像画です。この制作にあたっては、フォトリソグラフィという技法を用いました。

 死んで白化したサンゴ礁を粉砕したものと、シャンパーニュ地方の石灰岩とチョークを顔料にして4色に分け、一層ずつ石板のうえに塗布していき、海中で撮ったサンゴの写真像を浮かび上がらせるのです。

 通常の写真はたんなる像の写しですが、このフォトリソグラフィは素材を被写体としているため、イメージは場所そのものとなり、それが表す環境を描写するものとなるのです。

 フォトリソグラフィという技法自体は19世紀からあるものです。私が試みたのは、この古い技法をデジタル技術で再現することです。1年半ほどかけて、デジタル画像をその土地の材料によって色分解して、像を得る方法を開発していきました。

大倉集古館の展示風景
大倉集古館の展示風景

「失われた海の記憶」と「ディープタイム」

──本展のテーマとして「失われた海の記憶」という言葉が掲げられています。これはランスのクレイエールで出合った海洋生物化石からインスピレーションを得たものでしょうか。

 その通りです。ランスのクレイエールで海洋生物の化石を見たとき、ここがかつて海だったという事実に改めて驚き、私の過去の記憶が呼び覚まされました。私はスイス生まれですが、ルーツのひとつが、ランスを含むシャンパーニュ地方にあります。子供のころ、祖母に連れられて、シャンパーニュ地方を覆う土壌の中から化石を探したことがありました。畑の真ん中でムール貝や軟体動物の化石が見つけるのはなぜ?と聞くと、祖母はこう教えてくれました。「昔はヨーロッパ全体が、海で満たされていたんだよ」と。6歳の少年には、これがどれほどの啓示であったか想像できるでしょう。

 この思い出が「失われた海の記憶」という言葉につながっています。今回にかぎらず、私はいつも過去・現在・未来とさまざまな時間軸を持って作品をつくっていますが、そうした創作の原点になっているのは幼少期の記憶であると感じています。

ジュリアン・シャリエール

──自身で掲げている「ディープタイム」という概念は、「失われた海の記憶」というテーマと響き合うものなのですか。

 私が考えるディープタイムとは、この世界には様々な時間軸があり、時間の切り口によって多様な認識あるということです。地球が今日直面している問題は、人間が自分の視点、自分の時間軸からしか物事を考えられないところから生じているのではないでしょうか。人間の考え以外にもっと広く、時間を超えた切り口や見方があることを知って、人間の感覚を再調整し異なる見方が取り入れないかぎり、現在抱えている問題は解消しません。

 アートこそがこれらのことをより深く理解し、新たな視点を得るための鍵を与えてくれるものだと、私は思っています。

── 創作活動を通して「人間と自然の関係性」を一貫して問うていると見受けられます。人間と自然のあるべき姿、理想の関係性とはどういうものだとお考えでしょうか。

 「人間と自然の関係」という言い方をしているかぎり、そこにはまだ自然と人間の間に距離があると思います。私はそこを再考したい。「リレーションシップ(関係性)」ではなく、自然の内側に人間が存在している「ワンネス(一つであること)」という考え方でなければならないと思っています。これまでの常識をいったん忘れ、白紙から学び直し、私たちはどういうかたちで生かされているのかということに、真摯に眼を向けるべきです。

 私のアートワークは、自然と人間のありようの様々な可能性を示すものでありたいと、いつも考えています。ただし、そこから何を受け取ってほしいのかを、私から発信することはありません。というのもアートとは、人々が自分の考えを打ち立てる場所だと思うからです。

 アートは、それを観る人にある環境を提供します。その環境のなかで人は自由に歩き回り、ときに迷子になりながら、自分自身を見つけていく。そんなプラットフォームとなる作品を私は生み出したいのです。

アーティストはスポンジのようなもの

──本展のように、アート以外の分野とコラボレーションすることの意義を、どう考えていますか。

 私は学生時代、オラファー・エリアソンのもとで学びました。そこで得たのは、建築、化学、宇宙物理学など「科学のレンズ」を通して、世界のありようを見ていく視点です。それが自分の視野をぐっと広げてくれました。

 私は、アーティストはスポンジのようなものだ、と考えています。万華鏡のように多様な視点をアート界の外から取り込み、それを吸収し、作品としてまた世界に何かを還元するのです。

 そうした循環が大切だと思うので、意識的にアートの世界を超えた人たちとのコラボレーションをしています。様々な視点から、現実の世界がどう構築されているかを見ていくわけです。そこで得た知見をすべてスポンジのように吸収し、自分の中から出てくるものを作品として昇華させているのです。

──今回のルイナールとのコラボレーションは、満足いくものになったでしょうか。

 5年間に及ぶプロジェクトとなりましたが、全体がすばらしい旅でした。ランスを訪ね地表の下に眠っている海の記憶と出合い、私が探求してきたのと響き合うテーマを見出し、それを深めていくことができたのですから、満足しています。ランスにあるルイナールのクレイエールに、私の作品が常設展示されることとなったのもうれしいことです。

 日本での展示は、この旅の終着点です。2ヶ所同時にこれだけのスケールで作品をお見せできることに、アーティストとして無上の喜びを感じています。ぜひ実際に作品を体験していただきたいです。

大倉集古館の展示風景

──ちなみにルイナールのシャンパンの味わいも、気に入っている?

 私の祖父と叔父がスイスでワインづくりをしているので、私はワインにはうるさいんですよ(笑)。ルイナールのブラン・ド・ブランは軽やかでミネラル感があり、海の香りもします。味わうと古代の海が眼前に現れるように感じれます。