2025.2.12

BUGと歩むことで見えた新たな景色。向井ひかりインタビュー

アートセンター「BUG」で、第1回BUG Art Awardグランプリ受賞者・向井ひかりによる個展「ザ・ネイムズ・オン・ザ・ビーチ」が2月19日〜3月23日の会期で開催される。展覧会準備にまつわる実際の経験や、個展開催への想いについて話を聞いた。

聞き手=清水康介 撮影=平舘平

向井ひかり
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 リクルートホールディングスの運営するアートセンター「BUG」で、向井ひかりの個展「ザ・ネイムズ・オン・ザ・ビーチ」が2月19日〜3月23日の会期で開催される。これは、「キャリアの支援」などを活動方針に掲げるBUGが主催する、制作活動年数10年以下のアーティストを対象としたアワード「BUG Art Award」の、記念すべき第1回グランプリ受賞者による個展だ。

 グランプリ展では、アーティストフィーとは別に、設営撤去費を含む作品制作費が300万円を上限にサポートされる。決して少なくない予算や、大企業のスケジュール感覚などは、まだキャリアの浅いアーティストの目にはどのように映ったのだろうか。展覧会準備にまつわる実際の経験や、個展開催への想いについて、向井に聞いた。

BUGと組むからこそできた体験

──グランプリを決定する「第1回BUG Art Award ファイナリスト展」の閉幕が約1年前の2024年2月ですが、そこからはどのような流れで準備を進めてこられたのですか?

向井ひかり(以下、向井) ファイナリスト展の撤去が終わってすぐに契約書を交わして、個展に向けてのスケジュールを作成しました。会期から逆算して、ここでプレスリリースを打つために、チラシはいつまでにできていないといけない、それならタイトルはいつまでに決めたい、とBUG側から提案してもらったのですが、こんなにも先まで見通しを立てるものなのかと驚きました。個人でつくる展覧会だとタイトルが決まるのも2ヶ月前とかなので(笑)。

 平均して月1回以上は何かしらの打ち合わせがあったことも、これまでの展覧会とは違う経験でした。広報物や会期中のイベントに関するものだったり、あるいは取材だったり。コンセプトなどは任せていただけましたが、BUGの担当者からは私のアイデアに対して客観的にどう見えるかなどを話していただき、壁打ちのような感じで進められました。

 また、展覧会の準備中に審査員の方々とお話ができたのもよかったです。もともと、アワードに応募したきっかけのひとつが審査員と話してみたいということでした。美術にかかわらず、プロとして注いできた時間を成果物として垣間見ることにワクワクするのですが、審査員の皆さんがご自身の仕事をおもしろがっている感じが魅力的だったんです。

 審査段階でも少しお話しさせていただいていましたが、私の個展についての具体的な相談というよりは、それぞれの仕事の専門的なお話などが伺えて興味深かったです。グランプリ個展に直接効果があるとは言い切れないのに、この贅沢な機会をつくっていただけたのは大変ありがたかったです。

「第1回 BUG Art Award ファイナリスト展」展示風景より、向井ひかり「対岸は見えない」(2024) 撮影=志賀耕太
「第1回 BUG Art Award ファイナリスト展」展示風景より、向井ひかり「対岸は見えない」のうち《はやいぬ》(2024) 撮影=冨田了平

──二次審査では20組のセミファイナリスト全員が審査員全員と1対1の面談を行うなど、審査員と丁寧にコミュニケーションを取れるのもBUG Art Awardの魅力のひとつですよね。多くの方々が関わる展覧会をつくるうえでの苦労などはありましたか?

向井 はじめのうちは、早めにイメージを共有したほうがやりやすいかなと、展示のイメージ図などを自発的に作成していました。ですが、作品のパッケージというか外部を進める動きばかりで、中身の制作を進められないことをもどかしく感じることもありました。パッケージが先にあると安心できることは確かなのですが、実際には作品や展示の内容が決まらないと考えられないことばかりで、しばらく空回りしていました。

 当初のスケジュール通りにはいかなかった部分もありますが、色々な人と関わりながら一緒につくっていくので、依頼するものは早めに、自分がやることでも取り組んだ経験のないことをする場合は早めに、と心がけていました。

第1回BUG Art Awardの2次審査での1on1の様子
第1回公開最終審査の様子。審査員は、内海潤也、菊地敦己、たかくらかずき、中川千恵子、横山由季子

──今後、キャリアを重ねていくなかで大規模な芸術祭への参加やコミッションワークなどを引き受けるときにも役立ちそうな経験ですね。その意味では、予算についてもこれまでの活動に比べて随分と多かったかと思います。

 そもそも300万円という金額を手にしたことさえなかったので、まったくイメージが湧かず、最初は「使い切れないかも?」と悩みもしました。しかし実際には、制作費に100万円ほど、設営や撤去には200万円ほどはかかったので、意外と必要な額でしたね。最初は設営費の検討もつかなかったので、いったん全部の理想を詰めて見積もりを出してもらったら500万円以上になってしまって(笑)。見積もりには項目ごとに金額が記載されているので、「じゃあこれは自分でやろう」などと取捨選択をしていくことができました。

 よくある助成金などと違って、今回の展覧会のための消耗品だけでなく、今後も使える機材の購入に費用を充てることができたのもありがたかったです。最初は、これだけの予算を任せてくれるということは、それによってできることに挑戦してほしいというメッセージなのだと考えて、全予算を本展のために完全燃焼させようとしていたんです。しかし、BUGの方が「むしろそれはもったいない」と言ってくださいました。「今後の活動のクオリティアップにつながるのなら、普段だったら手を出さない機材や技法にも積極的に挑戦してほしい」と。

──BUGとしても、ここで投資した機材を活用して、グランプリ作家が活躍してくれればそれは嬉しいことですよね。ほかには、どんなものに予算を使いましたか?

向井 いつもは「(お金は)いいよ、いいよ」と工房を無料で使わせてくれる先輩や、お互いに展覧会準備を無償で手伝いあう関係の友人たちに、適正な謝礼で依頼を出すことができました。「これでひとつ、これからもよろしくお願いします(笑)」と言いながら。嫌ならば断れるというのは前提ですが、仕事でなく誰かの作品を手伝うということは、失敗しながら経験を積むことが許される場でもあるので、お金だけのやり取りが必ずしもいいとは思わないのですが、関係ができているうえで謝礼を渡せるというのは良かったです。友達と回していた村経済に日本銀行券が流通してきた感じ(笑)。

 こういう経済活動と直接結びつかない作品を制作する場が、企業によって担保されていることは、ありがたくも不思議だなという感じがあります。リクルートという大企業だから、その端っこで色々とさせてもらえるのだと思います。朝の八重洲に来ると、スーツを着たサラリーマンの方々がたくさん歩いていて、この人たちが働いているあいだに私は展示室の寸法を測っていたりして。「歯車」というと聞こえは悪いけれど、社会と噛みあって何らかの対象に確実に作用できる人たちのことを尊敬しています。私も一部ではそのように労働しているのですが。

 展示室の寸法を測ったり使いたい素材を選んだりすることが、集団で生きていくために必要な労働と同じく、価値があるとされ様々な機会を与えられていることが、信じ難いなと思う瞬間もあります。ですが、何かに作用する可能性を作品が持っていると信じる人たちがいるから、この場を与えられているのだとも思います。

名前のない砂粒をすくいあげ、新たな名前をつけるように

── 一見すると社会の何に作用しているのかわからない、どこと噛みあっているのかわかりづらい歯車、みたいなところが芸術にはあるのかもしれません。そういう関わりのないもの同士を想像力によってつなぎあわせていくという性質は、向井さんの作品にも見られるようにも思います。

向井 展覧会タイトルの「ザ・ネイムズ・オン・ザ・ビーチ」は、英語に明るい人にとっては「カップルが砂浜に書いた、ラブラブな2人の名前」というイメージがまず思い浮かぶそうなのですが、様々な意味を込めています。そもそも砂粒というものは、色々な物質が風や水の作用によって細かくなっていった欠片。一つひとつ違う名前を持っていたものたちが、いまは砂粒として同じところに集まっている。その砂粒を私の采配で並べ直したうえで、「この出来事はこういう名前にしようかな」と名付け直しているというのが、私の作品制作に対する感覚としてあります。

 いっぽうで、そうやって並べた砂でつくったものも波にさらわれて、いつかはなくなってしまうように、いまは平らに見えている場所にも、かつては何かが存在していたのかもしれないと想像します。いままであった出来事のなかに、自分がしたこともどんどん埋もれていく。自分の作品だけでなく、いま起きている事件なども、決してなかったことになるわけではないけれど、膨大な時間のなかで相対的に更地になっていくようなイメージです。

──日常でふと目にした景色や身近な物事を、いわば向井さんの視点でシャープに風化させた砂粒をいくつも並べて展覧会をつくっているように感じます。それだからこそ、作品自体は小さかったり薄かったりしていても、風化する以前の確かな存在や、大きな時間の流れを感じさせるのかもしれません。どのようなときに「これは作品にできそう」と思うのでしょうか?

 私自身もわからないんですよね。「作品になる」と思いついた瞬間の記憶というのは、これまでありませんでした。無意識のうちに蓄積してきたもののなかから、何かつくろうかなと思ったときに様々なイメージが結びつきながら浮かんでくる感じで、形や素材、サイズなどとともに作品が生まれます。できた作品を見て、あとから「これは何によって結びついたんだろう?」と推理しながら、分解して色々と考えてみるのですが完全にはわかりません。それは神秘的な「降りてきた」とかではなくて、おそらく作品として結びつけている何かがある。私もそれが知りたくて、つくり続けながら考えています。

 第1回 BUG Art Award グランプリ受賞者個展 向井ひかり「ザ・ネイムズ・オン・ザ・ビーチ」は2月19日〜3月23日の会期で開催。また、第3回BUG Art Awardは、2月26日まで応募を受け付けている。展覧会を楽しむとともに、是非ともアワードへの応募も検討してみてほしい。