2025.12.11

藤原ヒロシが見たアンディ・ウォーホル「SERIAL PORTRAITS - SELECTED WORKS FROM THE COLLECTION」(エスパス ルイ・ヴィトン東京)。「ウォーホルから教えられることは尽きることがありません」

東京・表参道のエスパス ルイ・ヴィトン東京で開催中のアンディ・ウォーホル「SERIAL PORTRAITS - SELECTED WORKS FROM THE COLLECTION」展を藤原ヒロシが訪れた。日本のカルチャーシーンの一翼を担ってきたクリエイターの目に、ポップ・アートを生んだアンディ・ウォーホル作品はどう映ったのか。

取材・文=山内宏泰 撮影=稲葉真

アンディ・ウォーホル《THE SHADOW》(1981)と藤原ヒロシ
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ウォーホルはいつもそばにいた

 ポップ・アートの確立者であるアンディ・ウォーホルは、1949年より広告イラストレーターとして活動を始め、徐々にアートの世界へ移行していった。東京・表参道のエスパス ルイ・ヴィトン東京で開催中のアンディ・ウォーホル「SERIAL PORTRAITS - SELECTED WORKS FROM THE COLLECTION」展は、初期から亡くなる直前となる80年代までの作品を展示しており、展覧会タイトルにあるように、人物像をテーマにした作品が並ぶ。藤原のウォーホルとの出会いはどのようなものだったのか。

 「僕の“アンディ・ウォーホル体験”は、無意識に接したレベルでいえば、10代の頃に見たホラー映画『悪魔のはらわた』(ポール・モリセイ監督、1974)が最初です。ウォーホルが監修をしていたというのはずっと後になって知りました。その次は音楽ですね。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドをプロデュースした人として、うっすら認識しました。中学生になってようやく現代美術というものがあると知り、ウォーホルの作品を目にして、有名人の顔をコピーしただけでアートになるのか、面白いなと思いました。もちろん彼のやったことの意味を、ちゃんと理解できているとはとうてい言えない状態でしたけれど。その後日本での認知も進み、一挙に身近な存在になりました。ただし80~90年代には『お金持ちの必須コレクション』といった扱いとなり、少々チャラく見えてしまった時期もありましたね」。

 94年に米国ピッツバーグにアンディ・ウォーホル美術館ができ、日本では96年に東京都現代美術館で大規模な個展「アンディ・ウォーホル 1956-86:時代の鏡 MIRROR OF HIS TIME」が開催。その時期から、アーティストとしての再評価が進んだともいえそうだ。藤原も「体感としては2000年代になってから、再び存在感が増してきました。沈んでもまた浮かび上がってくるのは、本質がちゃんと備わっているからでしょう」と語る。

 展示作品を見ていく。まずは証明写真をシルクスクリーンにした1960年代の《SELF-PORTRAIT(セルフポートレイト)》。続く78年の《SELF-PORTRAIT(セルフポートレイト)》は、多色刷りのシルクスクリーンで人物像を連ねるおなじみの手法を確立してきた頃の作品だ。

アンディ・ウォーホル SELF-PORTRAIT 1963-64 キャンバスにアクリル絵具とシルクスクリーンインク 52.8×43.3×3.4cm Courtesy of the Fondation Louis Vuitton, Paris © The Andy Warhol Foundation for the Visual Arts, Inc. / Licensed by Adagp, Paris 2025 Photo © Primae / Louis Bourjac

 「ウォーホルといえばシルクスクリーン、と代名詞のような手法になっていますね。僕は同じ手法を用いてものをつくることは多くないものの、ウォーホルから受けた影響は僕自身もとてつもなく大きいと感じます。彼の後続の世代はみなそうだと思いますが。トレースや複製といった概念を提唱した結果、例えばマリリン・モンローのひとつの絵柄を、100円の絵葉書から100億円の大型作品まで、幅広いラインアップで展開することができたわけです。僕も折にふれてウォーホル作品は購入してきました。いま手元に残っているのは、数十点の写真作品や、電気椅子を描いたキャンバスなどです」と藤原。

 次の展示は、ボールペンで描いたドローイング「UNINDENTIFIED MALES(名のない男)」シリーズ。50年代の仕事で、街で見かけた気になる男性をスケッチしている。また、ウォーホル自身がポラロイドカメラで自分を撮ったシリーズは、78年から10年ほど撮り続けたものだ。藤原は映されたウォーホルの姿を次のように分析した。

アンディ・ウォーホル UNIDENTIFIED MALE (名のない男) 1955-57 紙にボールペン サイズ可変 Courtesy of the Fondation Louis Vuitton, Paris © The Andy Warhol Foundation for the Visual Arts, Inc. / Licensed by Adagp, Paris 2025 Photo © Primae / Louis Bourjac
アンディ・ウォーホル UNIDENTIFIED MALE (名のない男) 1955-57 紙にボールペン サイズ可変 Courtesy of the Fondation Louis Vuitton, Paris © The Andy Warhol Foundation for the Visual Arts, Inc. / Licensed by Adagp, Paris 2025 Photo © Primae / Louis Bourjac

 「ファッションを変えたり、かつらやサングラスをつけて変装したりして、アイデンティティを自らどんどん分割しています。本当の自分がどれなのかわからなくなりそうですが、変わっていくことをよしとする潔さを感じさせます。『昔は良かった』と回顧したりするのは、過去のアイデンティティにすがるたんなるノスタルジーであって、それでは視野が狭くなってしまいます。ウォーホルは過去の自分にとらわれず、どこまでも広がっていくことを志向していますね」。

ポラロイドで撮影されたセルフポートレイト写真のシリーズ(1977-86)が並ぶ

ポップな表現の裏に暗さと狂気がある

 広い展示空間の壁面に掛かる2点組みの《SELF-PORTRAIT(セルフポートレイト)》(1977年頃)は、もとになっている写真は左右で同じだが、色味や像の角度を変えることで、異なる表情を見せている。反対の壁にある《THE SHADOW(シャドー)》は1981年のシルクスクリーン作品で、セルフポートレイトではあるが実体より影のほうをメインに描き出している。藤原は本作を次のように見る。

アンディ・ウォーホル SELF-PORTRAIT 1977頃 キャンバスにアクリル絵具とシルクスクリーンインク 203×203cm Courtesy of the Fondation Louis Vuitton, Paris © The Andy Warhol Foundation for the Visual Arts, Inc. / Licensed by Adagp, Paris 2025 Photo © Primae / Louis Bourjac

 「ちょっとした視点の転換で印象が大きく変わる不思議さと面白さを、シンプルな表現でまとめていますね。影を強調した作品のほうは、ウォーホルの内なる暗さと狂気がにじみ出ているかのよう。ダークサイドと狂気というのはアートの源泉であり、本質だと思います。僕もそのふたつは内に秘めて、とても大切にしているつもりです」。

 フランツ・カフカやアルベルト・アインシュタインらの肖像を色鮮やかに刷った《TEN PORTRAITS OF JEWS OF THE TWENTIETH CENTURY(20世紀のユダヤ人10人の肖像)》(1980)を経て、通路状のスペースへ進むと、ウォーホルが被写体となった写真群が並ぶ。ウォーホルは収集癖があり、自分が写ったスナップショットや新聞・雑誌記事の切り抜きを膨大に集めており、それらはいま歴史的資料にもなっている。そして展示の最終地点にあるのは、ロバート・メイプルソープがウォーホルの晩年の姿を撮った写真作品だ。本作を見ながら、本展について藤原は次のようにまとめた。

アンディ・ウォーホル《TEN PORTRAITS OF JEWS OF THE TWENTIETH CENTURY》(1980)と藤原ヒロシ。「僕自身、ウォーホルから受けた影響はとてつもなく大きい。彼の後続の世代はみなそうだと思いますが」

 「どこか寂しげな表情が、印象的で美しいです。ウォーホルは作品を量産すると同時に自分の姿もたくさん表に出しています。セルフプロデュースをする表現者の“はしり”でしょう。こうして展示を見ていくと、僕らが慣れ親しんでいる表現や文化の原点の多くが、ウォーホルにあることがよく理解できます。ウォーホルとその作品は、いまなお見る価値がたくさんあるのだと思います。トレースや複製の概念をアートに導入したウォーホルですが、それでもやはり実物の作品にふれるとたいへん面白いし、気づきが多いと感じました。ウォーホルがシルクスクリーンを始めたとき、それは最新の技法でありデジタル感があったのでしょうけど、いま見ると当時の彼のシルクスクリーン作品はアナログっぽさに満ちています。手作業の部分があったわけですから、フィジカルな感覚が含まれているのです。当時と現在では、複製という言葉の意味やニュアンスも違ってきている。作品の生み出し方から見せ方、生き方やセルフプロデュースの方法論まで、ウォーホルから教えられることは尽きることがありません」。