2025.6.8

揺れる国際情勢下、2025年北京アートウィークが映し出す市場のリアル

関税摩擦、経済減速、地政学的緊張──不確実性が渦巻くいま、中国のアートマーケットはどこに向かうのか。5月下旬、北京では複数の大型アートイベントが同時開催された。フェアの現場とギャラリストたちの声から、アートを取り巻く構造変化と、そのなかでも生まれつつある新たな連携の兆しを読み解く。

文・撮影=王崇橋(ウェブ版「美術手帖」編集部)

北京当代の会場風景より
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 今年4月、米中間で新たな関税措置が発動された。一時的に最大145パーセントにも及ぶ報復関税の応酬は、両国間の貿易をほぼ停止状態に追い込み、美術作品の輸送も例外ではなかった。

 こうした混乱のさなか、アート・バーゼルとUBSが2024年の世界美術市場レポート「The Art Basel and UBS Global Art Market Report」を発表。中国のアートマーケットが前年比で31パーセント減少し、2009年以来最低の水準に落ち込んだことが明らかになった。

 国際情勢の不安定さが高まるなか、5月下旬の北京では、米中関税戦争以降、中国本土で初となる大規模なアートイベント──「北京当代(Beijing Dangdai)」「ART021 Beijing」、そして「Gallery Weekend Beijing」──が同時期に開催された。経済の減速や地政学的リスクが重なるなか、中国のアートマーケットはいまどこに向かっているのか。現地での取材とギャラリストへのインタビューを通して、今年の北京アートウィークの実像に迫る。

慎重な熱気に包まれた「北京当代」

 5月22日から25日まで、全国農業展覧館11号館で開催されたアートフェア「北京当代」には、120を超えるギャラリーや文化機関が集まり、約2万平米の会場を彩った。今年のテーマは「CONCAVE-CONVEX(凹凸)」。中国各地はもちろん、12ヶ国・32都市から出展者が集い、絵画、彫刻、映像、新メディア、デザインなど、多様な表現を紹介した。

北京当代の会場風景より

 北京とロンドンを拠点とするHdM Galleryは、中国人アーティストと海外アーティストの作品をバランスよく構成し、来場者から好意的な反応を得ていた。ギャラリー創設者のハドリアン・ド・モンフェランによれば、パンデミック直後は色彩が鮮やかでわかりやすい作品が人気を集めていたが、近年は再び、精神性の高い作品や個人的な物語性を持つ表現に注目が集まっているという。

 同ギャラリーが798芸術区で開催中の、趙銀鷗(ザオ・インオウ)による個展も話題を呼んでいる。派手な色彩や装飾的モチーフに頼らず、作家自身の個人史を内省的に描く作品群が共感を呼び、販売も順調に進んでいるという。

北京当代の会場風景より、HdM Galleryのブース

 ド・モンフェランはまた、米中関係の緊張がギャラリー運営にも影響を及ぼしていると語る。アメリカ人作家の展覧会は、関税政策の不透明さから延期を余儀なくされたほか、アメリカとの取引を抱える中国人コレクターも、高額作品の購入に慎重になっているという。政治・経済の不確実性が市場全体に影響していることは否めない。

北京当代の会場風景より、Galerie Urs Meileのブース

 北京とスイス・ルツェルンに拠点を構えるGalerie Urs Meileのルネ・マイレは、市場がいま“選別のフェーズ”にあると指摘する。経済的な不安から購買を控える層もいるいっぽうで、自らの美術的な志向やコレクション方針が明確なコレクターたちはいまも活発に動いており、多くの人気作家には依然として長いウェイティングリストが存在しているという。

 そうした長期的な視点に立つコレクターと信頼関係を築いてきたギャラリーは、いまも比較的安定した基盤を維持している。対照的に、トレンドや商業性に依存するギャラリーにとっては、いまの市場はやや厳しい状況にあると話す。

北京当代の会場風景より

 成都を拠点とし、今年で設立20周年を迎えたA Thousand Plateaus Art Spaceの創設者・劉傑(リウ・ジェ)もまた、自身のギャラリーを「静かに、長期的な視点で取り組む場」と位置付ける。今年の市場環境についても、「昨年よりも手応えを感じている」とし、若いコレクター層の増加を前向きな変化ととらえている。

選別の時代に再始動した「ART021 Beijing」

 同時期、798・751芸術区に位置する旧貯油タンクを改装した会場では、「ART021 Beijing」が開催された。旧称「JINGART」からリブランディングを経て再出発した今年のフェアには、11の国と地域から約50軒のギャラリーが出展。北京のアートシーンに新たな彩りを添えた。

ART021 Beijingの会場風景より
ART021 Beijingの会場風景より

 2013年に上海で創設され、今年ニューヨークにも常設スペースを構えたギャラリー・BANKは、米中間の貿易摩擦により輸送や展示スケジュールに影響を受けたものの、上海とニューヨークの2拠点体制を活かして活動を継続。現在はアメリカでアジア系アメリカ人アーティストの個展に注力しており、今後も地域に根ざしたプログラムを展開していくという。

ART021 Beijingの会場風景より、BANKのブース

 同ギャラリーのスポークスパーソンはまた、「市場の過熱感は落ち着きつつあり、アートを本気で長期的に取り組もうとするギャラリーが残っていくフェーズに入っている」と現状を分析。「いまはまさに取捨選択の時代」とも語った。

 東京のMJK Galleryは、昨年に続きART021 Beijingに出展。今回は黒宮菜菜や西村大樹といった若手日本人アーティストの作品を紹介した。共同創設者の孫亜君(ソン・アクン)によれば、昨年出展した土井沙織による動物をモチーフにした作品がコレクターから高い関心を集め、とくに一部の作品が6000〜7000元(約12〜14万円)という価格設定に驚きの声も多かったという。

ART021 Beijingの会場風景より、MJK Galleryのブース

「現在の中国市場では、価格が手頃な作品に対するニーズが明らかに高まっている」と孫は分析。米中の関税問題については「日本には直接的な影響は少ない」としつつも、「むしろこうした状況だからこそ、日本のギャラリーが中国市場に挑戦する好機だ」と前向きな姿勢を示した。

ART021 Beijingの会場風景より

不確実性の時代におけるアートの足場

 国際情勢の緊張や世界経済の不透明感が強まるなか、A Thousand Plateaus Art Spaceの劉傑は「いまはグローバルな構造の転換期にある」としたうえで、「ポスト・グローバル化」あるいは「脱グローバル化」への移行が進んでいくとの見方を示す。そうした時代だからこそ、アート業界内での横断的な連携や対話の重要性が、これまで以上に増しているという。

 Galerie Urs Meileのマイレも、こうした時代において「コミュニティの力」が鍵になると指摘する。アーティスト、コレクター、キュレーター、メディアなどと信頼関係を築いてきたギャラリーや文化機関は、外部環境が揺らぐなかでも安定した基盤を持ち、いまこそネットワークと対話が本質的な力を発揮するときだと強調する。

北京当代の会場風景より

 劉はまた、今後の戦略として日本との連携をさらに強化していく構想を明かした。近年は「温泉大作戦」や「Art Collaboration Kyoto(ACK)」などを通じて日本のコレクターや関係者との接点を築いており、今後は中国側のプロジェクトを日本に紹介するだけでなく、日本人アーティストとの共同企画にも積極的に取り組みたいとしている。

 経済・政治の先行きが一層不透明になるなかで、アートマーケットもまた慎重かつ選別的なフェーズに移行しつつある。ギャラリストたちへの取材からは、短期的な熱狂よりも、長期的な視点に立ったコレクションや着実な展示活動、そして作品を取り巻く人々との信頼関係づくりが今後の鍵になることが浮かび上がってきた。

 グローバル化が揺らぐ現在、アートが持つ「地域を越えてつながる力」に改めて注目が集まっており、地域内での連携や対話を深めることが新たな可能性への扉をひらくかもしれない。北京で過ごした数日間は、そんな変化の兆しを静かに、しかし確かに感じさせるものだった。

北京当代の会場風景より