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2025.2.8

「おかえり、ヨコハマ」(横浜美術館)開幕レポート。巨大美術館の新たな門出

3年にわたる大規模改修工事を経て昨年11月1日より一部開館してきた横浜美術館がついに全館オープン。「横浜」をキーワードに、様々な人々を迎え入れたいという想いを込めた企画展「おかえり、ヨコハマ」展が始まった。

文・撮影=橋爪勇介(ウェブ版「美術手帖」編集長)

展示風景より
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 3年にわたる大規模改修工事を終え、横浜美術館(1989年開館)がついに全館オープンを迎えた。その最初を飾るのが、記念展「おかえり、ヨコハマ」だ(休館中に行われた横浜美術館の収蔵品引っ越しプロジェクトについてはこちら)。

横浜美術館

 本展は、2020年4月に就任した横浜美術館館長・蔵屋美香(前・東京国立近代美術館企画課長)の就任後初となる自主企画。蔵屋によると、このタイトルには、「『3年ぶりに横浜美術館が帰ってきた』という意味と、『異なる時代にいろいろな地域からやってきて横浜に暮らした(あるいは現在暮らす)様々な人たちを、あらためて『おかえり』と言って迎え入れたい』という希望が込められているという。

 会場は「第1章 みなとが、ひらく前」「第2章 みなとを、ひらけ」「第3章 ひらけた、みなと」「第4章 こわれた、みなと」「第5章 また、こわれたみなと」「第6章 あぶない、みなと」「第7章 美術館が、ひらく」「第8章 いよいよ、みなとが、ひらく」の全8章で構成されている。

誰でも無料で入れるグランドギャラリーは外光が入る空間となった

第1章 みなとが、ひらく前

 第1章は、「横浜の歴史は開港に始まる。それ以前は小さな漁村に過ぎなかった」という、横浜についての決まり文句を再考するセクション。横浜市歴史博物館の協力のもと、《人面付土器》(鶴見区上台遺跡)をはじめ、縄文期から広義の横浜市域に暮らしてきた人びとがつかったモノ、遺したモノが、「女性」「子ども」などのテーマに沿って紹介される。

展示風景より、《人面付土器》(鶴見区上台遺跡)

第2章 みなとを、ひらけ

 横浜が開港したのは1859年。当時の様子は、現在のみなとみらい線日本大通り駅付近に上陸したペリーの様子を描いた、ペーター・ベルンハルト・ヴィルヘルム・ハイネ(伝)《ペルリ提督横浜上陸の図》(1854以降)からうかがうことができる。

 また横浜の西洋風の街並みや各国人の姿、鉄道などの風物は、錦絵となって流通した。昇斎一景《汐留より蒸気車通行の図》(1872)はその一例だ。

展示風景より、ペーター・ベルンハルト・ヴィルヘルム・ハイネ(伝)《ペルリ提督横浜上陸の図》(1854以降)
展示風景より、昇斎一景《汐留より蒸気車通行の図》(1872)

 またこの章では、開港直後に始まる横浜の遊廓を描いた歌川芳員や歌川貞秀らの作品、さらには遊女の手紙などが紹介されている。外から入ってくる人びとを受け入れるため、まず遊廓や赤線を設けられた横浜。この構造は、その後も横浜にかたちを変えて残り続けることになる。

展示風景より、上から歌川貞秀《横浜本町景港崎街新郭》(1860)、《横浜本町并に港崎町細見全図》(1860)

第3章 ひらけた、みなと

 横浜では外国人向けの土産物や輸出品として、多くの絵画や工芸品がつくられた。この章では、こうした文化と文化の接触面(コンタクト・ゾーン)に生まれた品々が並ぶ。

 なかでもハイライトとなるのは、土産物としての絵画を制作する五姓田芳柳のもとに生まれた洋画家・五姓田義松や、女性が美術を学ぶ機会は長く限られていたなかで絵画を学び、大成した義松の妹・渡辺幽香の絵画だ。また、京都から横浜に移り住んで窯を構えた宮川香山による高浮彫の《高浮彫牡丹ニ眠猫覚醒大香炉》(明治前期)など、横浜ゆかりの陶磁器作品も並ぶ。

展示風景より、中央は五姓田芳柳(伝)《外国人女性和装像》(制作年不詳)
展示風景より、五姓田義松《老母図》(1875)
展示風景より、渡辺幽香《幼児図》(1893)
展示風景より、宮川香山《高浮彫牡丹ニ眠猫覚醒大香炉》(明治前期)

第4章 こわれた、みなと

 急速に増加した横浜の人口の多くは、輸出入関連の仕事を求めて日本各地から集まった人々で占められていた。第4章は、そんなバックグラウンドを持つ横浜二世のふたり、輸出向けの提灯を商っていました家に生まれた日本画家・今村紫紅(しこう)と、輸出陶磁器の梱包業を商う家に生まれた牛田雞村(けいそん)にフォーカスする。

 またこの章では、1923年の関東大震災による横浜への影響にも言及。中島清之の絵巻は山手の丘から見下ろした景色を描いたもので、焼け残った建物が仔細に描かれている点でも貴重な資料だ。

展示風景より、今村紫紅《平親王》(1907)、《伊達政宗》(1910)
展示風景より、中島清之《関東大震災絵巻》(1923)

第5章 また、こわれたみなと

 関東大震災、そしてその後の世界恐慌による打撃を乗り越えて、横浜は徐々に震災からの復興を果たしていった。瓦礫を埋め立てた山下公園が完成したのもこの頃(1930年)だ。

 震災復興から戦時下まで、繁栄を謳歌しながら、少しずつ時代の波にのまれてゆく横浜の姿を作家たちはどのように描いたのか。その代表例として展示されるのが洋画家・松本竣介の作品群だ。「Y市の橋」は、横浜駅近くの月見橋を描く一連の作品で、松本を代表するシリーズ。本展で初めて、横浜でまとまったかたちで紹介された。

展示風景より、松本竣介「Y市の橋」シリーズ

第6章 あぶない、みなと

 1945年5月に発生した横浜大空襲で被害を被った横浜。戦後も中心部は占領軍接収によって長く復興を阻まれた。この6章では、占領下から高度経済成長期までの横浜の様子をとらえた作品が並ぶ。

 1859年の開港時にいち早く港崎(みよざき)遊廓が開かれた横浜では、敗戦の際にも米軍兵のための慰安施設が準備。その役割は、真金町(永真)遊郭、本牧のチャブ屋街、街娼などにも引き継がれ、1958年の売春防止法完全施行まで続いた。

 本章ではとくに、赤線地帯で働く女性たちをとらえた写真家・常盤とよ子の作品群に目を凝らしたい。

展示風景より、常盤とよ子の作品群
展示風景より、常盤とよ子の作品群

第7章 美術館が、ひらく

 1983年に開発が始まった「みなとみらい21 地区」。89年には「横浜博覧会(YES’89)」にあわせて丹下健三設計の横浜美術館が開館した。この章では、同館設立過程を当時の貴重な資料とともに見ることができる。あわせて、ポール・セザンヌ《縞模様の服を着たセザンヌ夫人の肖像》(1883-85 )やパブロ・ピカソ《ひじかけ椅子で眠る女》(1927)など、開館前後に収蔵され、30年以上親しまれてきたコレクションの名品も揃う。

展示風景より、横浜市市民局市民文化室による『横浜市美術館(仮称)開設準備ニュース』(1986)

第8章 いよいよ、みなとが、ひらく

 最終章は、横浜美術館の新たな門出を象徴するセクションだ。章の前半に子供たちのために選ばれた作品が、鑑賞の手がかりとなるような「問い」とともに並ぶ。子供用の椅子とテーブルもあるので、親子でじっくり作品と向き合う時間が取れそうだ。

展示風景より

 また後半では2010 年代以降の作品が並ぶ。なかでも、同館「奈良美智:君や 僕に ちょっと似ている」(2012)の際に出品された奈良美智《春少女》(2012)や、新収蔵された百瀬文の《聞こえない木下さんに聞いたいくつかのこと》(2013)、松田修の《奴隷の椅子》(2020)に注目だ。

展示風景より、右が奈良美智《春少女》(2012)
松田修の《奴隷の椅子》(2020)

 そしてグランドギャラリーでは、本展のために委嘱制作された檜皮一彦の新作《walkingpractice / CODE: OKAERI [SPEC_YOKOHAMA]》が展開されている。横浜の街に存在する障害物に花を咲かせる映像作品を生み出すとともに、それを車椅子の人々にとってはアクセスできない大階段に展示。ここにスロープを張り巡らせることで、「同じ景色」が見えるようなアクセシビリティが確保された。

展示風景より、檜皮一彦《walkingpractice / CODE: OKAERI [SPEC_YOKOHAMA]》(2024)

 蔵屋が初めて「ローカル」をテーマに企画した本展は、「横浜」というキーワードを真正面からとらえており、横浜美術館の新たな門出として申し分ないものとなった。じつに幅広い時間軸、ジャンルの作品・資料を通して、新たな横浜の姿が見えてくるだろう。なお、新収蔵された淺井裕介の《八百万の森へ》(2023)を含むコレクション展も忘れないようチェックしてほしい。

展示風景より、淺井裕介《八百万の森へ》(2023)