2025.4.11

「没後80年 小原古邨 ―鳥たちの楽園」(太田記念美術館)レポート。江戸と近代をつなぐ花鳥画の淡彩木版の美

近年人気が高まる近代の絵師・小原古邨の画業を、約130点の作品で追う「没後80年 小原古邨 ―鳥たちの楽園」が太田記念美術館で開催中だ。会場の様子をレポートする。

文・撮影=坂本裕子

前期展示風景より、《月に真鴨》 個人蔵
前へ
次へ

 人気急上昇の小原古邨、ふたたび

 明治末から昭和前期にかけて活躍した絵師・小原古邨(おはら・こそん、1877~1945)。花鳥画に優れ、なかでも鳥や花、動物や虫を、江戸時代から続く伝統的な浮世絵の技法で表した版画は、木版画とは思えない柔らかく淡い色彩を特徴とする。その静かでしっとりとした情感は、近年急速に注目され、人気が高まっている。

 石川県金沢市に生まれ、日本画家・鈴木華邨(すずき・かそん)に師事した古邨は、画家として22歳の時から日本絵画協会主催の展覧会にも出品し、それなりに評価を受けていたが、明治36年(1903)を境に日本が制作から距離を取るようになる。その後、彼が活躍の場としたのが木版画による花鳥画の制作で、作品は国内向けというよりは、海外からの観光客を中心に売買されたそうだ。このためか、日本ではあまり取り上げられることなく歴史に埋もれた存在となっていた。

前期展示風景より、1階展示室 

 太田記念美術館では2019年に古邨の個展を開催しており、長らく日本では忘れられていたこの絵師をいち早く取り上げた美術館のひとつである。その際には予想外の反響があり、同館の1日の入館数の歴代2位を誇る人気だったそうだ。

 今年は古邨の没後80年にあたり、それを記念して同館では6年ぶりに改めて小原古邨の個展「没後80年 小原古邨 ―鳥たちの楽園」を開催することとなった。企画担当は主任学芸員の日野原健司。古邨の画業のうち明治末から大正にかけて、松木平吉、秋山武右衛門といった版元から刊行された作品に注目し、前後期で全点展示替えの総数約130点が紹介される。前回の展覧会では出品されていなかった初出品作が4分の1を占め、再訪者にも嬉しい内容となっている。

前期展示風景より、2階展示室

古邨といえば、まず「鳥」

 花鳥画のなかでもとくに古邨が得意としたのが「鳥」だ。本展では古邨の鳥を画題とした作品を、「花樹と鳥」「月下の鳥」「雨に濡れる鳥」「鳥の家族・つがい」「雪景色のなかの鳥」「水辺の鳥」「鳥百姿」と、描かれた情景をテーマに追っていく。

 花とともに華やかで愛らしい様子を見せたり、月の下に寂寥感とともに佇んだり、あるいは雨や雪のなかの孤高な姿を見せ、ときに水辺に優雅に憩う。様々な種類の鳥たちの、多彩なシーンが描かれている。いずれも、しっかりとした輪郭線に囲まれた色面が特徴といえるそれまでの浮世絵版画とは異なり、淡く、抑え目の色彩のグラデーションに彩られた、水彩画のようにも見えてくる。とくにモノトーンの濃淡が醸し出す雰囲気はすばらしい。

前期展示風景より、「花樹と鳥」
「花樹と鳥」前期展示風景より、《桜に烏》 個人蔵
「花樹と鳥」前期展示風景より、《柿に目白》 個人蔵

 それぞれの鳥たちの表情にも留意したい。雀はそのにぎやかな鳴き声が聴こえてきそうで、鷹は力強く勇猛だ。ミミズクは悪人面ともいえそうな不愛想が楽しい。猛禽に緊張する小禽たちの姿には物語を紡ぎたくなるし、ひよこの無邪気さには、獲物を取りあう残酷さも描写される。伝統的な花鳥画の構図を踏襲しつつ、より生き生きと引き立てているといえる。

「月下の鳥」前期展示風景より、《月に木菟》の2点 ともに個人蔵
「鳥の家族・つがい」前期展示風景より、左から《鶏とひよこ》《蝶を取りあうひよこ》 ともに個人蔵
「雨に濡れる鳥」前期展示風景より、左から《雨中の鷹》、《雨中の雉》 ともに個人蔵

鳥だけじゃない、古邨の魅力

 鳥を愛した古邨だが、もちろんほかの動物たちも見事な描写で表している。虎や鹿といった大型の動物から、猿や狐のユーモラスな姿、鮭などの魚類や蛙などの水生生物、蝶や虫まで。「水の生き物」「動物」の章では、こうした生物にもそそがれた古邨のまなざしに触れる。

「動物」前期展示より、左から《月に虎》《松に鹿》 ともに個人蔵
「動物」前期展示より、《踊る狐(試摺)》 個人蔵 ※後期は本摺が展示される

 鳥も含め、古邨の写実の力とともにすばらしいのは、彫師・摺師としての技だ。羽毛や獣の毛並みの重なりや柔らかさ、月夜の風情や水のたゆたい、蝶の羽や花弁のひとひらなどの表現。その繊細な彫りは、ぼかし摺りや木目を生かした摺り、あるいはきめ出しや空摺りといった高度な技術があればこそだ。まさに、浮世絵版画の醍醐味と言える。

「水の生き物・虫」前期展示より、左から《糸瓜に轡虫》《鯉》 ともに個人蔵

 同時に、江戸時代には見られなかった鳥や花が多く含まれることも注目だ。エメラルドブルーやピンクなどのパステルカラー、鮮やかな黄やオレンジなどの色彩とともに、そこには近代ならではの要素が見いだせる。構図や画の雰囲気も、古来の花鳥画から、近代絵画のエッセンスをはらんでいく様子が感じられるだろう。

「水の生き物・虫」前期展示より、左から《百合に蝶》《向日葵に蝶》
「動物」前期展示より、左から《月に虎》《松に鹿》 ともに個人蔵

古邨が連なる花鳥画の歴史

 古来、日本画において愛されてきた花鳥画の伝統は浮世絵版画でも踏襲され、その初期より描かれてきた。最後に同館のコレクションより、古邨も参照したであろう江戸から明治に活躍した絵師たちの浮世絵版画を追い、浮世絵における花鳥画の長い歴史の流れに、改めて古邨を位置づける。

「江戸・明治の花鳥画」前期展示風景より

 錦絵の創始者のひとり鈴木春信、妖怪画で知られる鳥山石燕、最後の浮世絵師ともいわれる河鍋暁斎、光線画で名をなした小林清親、近年同じく注目される渡辺省亭や上村松園の師でもあった幸野楳嶺(こうの・ばいれい)まで、いかに花鳥画というテーマが日本人に親しまれ、その遺伝子がいまも私たちに生きているのかが実感できる。

「江戸・明治の花鳥画」前期展示風景より、河鍋暁斎 『暁斎楽画』乾巻より《土竜に驚く雀》 

 古邨は、昭和元年(1903)頃より画号を祥邨と改め、渡邊庄三郎が進めた「新版画」として作品を発表するようになり、海外で開催された新版画の展覧会で人気を博したという。古邨が創出した「鳥たちの楽園」は、浮世絵版画の終焉から新版画への移り変わりも体現しているのだ。その詩情、美しさとともに、浮世絵版画という技法の歴史にも想いを馳せてみたい。