2024.12.17

「生誕120年 人間国宝 黒田辰秋―木と漆と螺鈿の旅―」(京都国立近代美術館)開幕レポート

京都国立近代美術館で、生誕120年を迎える人間国宝・黒田辰秋の回顧展「生誕120年 人間国宝 黒田辰秋―木と漆と螺鈿の旅―」がスタートした。会期は2025年3月2日まで。

文・撮影=三澤麦(ウェブ版「美術手帖」編集部)

展示風景より
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 京都国立近代美術館で、生誕120年を迎える人間国宝・黒田辰秋(1904~1982)の回顧展「生誕120年 人間国宝 黒田辰秋―木と漆と螺鈿の旅―」がスタートした。会期は2025年3月2日まで。担当学芸員は大長智広(同館主任研究員)。

 黒田は出身地である京都を拠点に活動した日本を代表する木漆工芸家であり、1970年には木工芸の分野において初めてとなる重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された人物だ。木と漆を用いた実用性と美の両立を追求し、図案・素地づくりから装飾までを一貫して自身で手がけることで独自の創作世界を切り開いた。

 開催に先立ち、担当学芸員の大長は同展について次のように語る。「展覧会全体そして作品の一点一点から黒田の本質がわかる内容となっている。自分でつくると決めたものに対して、適切な素材や技術を選び、図案からすべて自身で手がける。その一貫したビジョンが作品それぞれから読み取ることができるのが印象的だ。本展を通じて、ものづくりの原点に立ち返る機会になれば」。

 会場では、黒田の生涯と作品を「第1部 黒田辰秋の軌跡『黒田辰秋 人と作品』より」「第2部 用と美の邂逅」といった2部、233点を通じて紹介している。

 随筆家・白洲正子が1972年に企画編集を行った作品集『黒田辰秋 人と作品』には、当時すでに68歳であった黒田の半世紀にわたる作家活動の記録が記されており、黒田を語るうえで重要な資料となっている。第1部は、その作品集をもとに黒田の活動がダイジェストとして紹介されている。

展示風景より
展示風景より、《朱蒔粉塗鹿花文文庫》(1925)
展示風景より、《彩漆群蝶図手筐》(1948)

 最初期から晩年までの作品が並ぶ空間を見渡すと、その作風が大きく変わっていないことにも気がつくだろう。「一見起伏が少ないように感じるかもしれないが、それはつまり黒田のなかで何をつくるべきかが明確で、それを生涯貫き通したということもできるだろう」と大長は黒田の作家活動の特徴について述べた。

展示風景より
展示風景より、《拭漆楢家具セット》(1964)

 第2部となる「用と美の邂逅」では、黒田の仕事の特徴を「民藝」「木」「塗」「螺」のいった4つのキーワードから深掘りしている。「黒田は一般的に民藝の作家だと言われているが、自身ではあくまでも個人作家であると考えていたようだ」と大長。そこには、柳宗悦が提唱した「用の美」にもあるように、日常生活における工芸の機能美に賛同しながらも、自身が生み出した作品に対する強い責任感が表れているのだという。

展示風景より
展示風景より

 黒田の木工芸作品と言えば、全体的な佇まいや装飾からうかがえるおおらかさが印象的だ。とくに彫りのデザインは朝鮮家具の特徴を取り入れながらも、そこに自身のアイデアを組み込むことで独自のものへと進化させている。また、黒田が好んだ技法のひとつに「拭漆」が挙げられるが、この手間のかかる技法を取り入れることで、素材の持つ魅力をより引き出している。

 このように、既存のアイデアや技法を、素材本来の美しさを引き出すためにどのように取り入れていくかといった研究・実践からも、黒田の個人作家としての在り方をうかがい知ることができるだろう。

展示風景より
展示風景より、《欅拭漆彫花文長椅子》(1949頃)

 木工芸や漆芸といった領域で数々の代表作を生み出した黒田だが、作家をもう一歩語るうえで欠かせないのが「螺鈿」の技法を用いた作品だという。黒田の螺鈿作品は、模様を描くために素材をはめ込むといったいわゆる古典的な装飾方法は採っておらず、貝の異なる質感をいかに美しく引き出しながら作品化するかというところに重きが置かれている。その配置が見せる表面のグラデーションや凹凸は目を凝らして見たくなるほどだ。

展示風景より、手前は《螺鈿市松文手筐》(1937)
展示風景より、《耀貝螺鈿飾箱》(1974頃)
展示風景より、《螺鈿瓜形棗》(1949)

 先に触れた通り、黒田は古典から学びつつもその在り方を疑い、研究し、独自の表現を生み出しながらも、実用性との両立を何よりも大切にしていた。人々の日常生活のなかに溶け込みながらも、決して存在感を失わない黒田作品の妙がここにあるのだと本展を通じて理解することができるだろう。