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2025.4.15

台北のパブリックアート・プロジェクト「平凡な人々のための萬華散歩」が試みたものとは。都市の記憶と身体の関係を歩く

昨年、台北で行われたパブリックアート・プロジェクト「平凡な人々のための萬華散歩」。本プロジェクトで発表された作品について、台湾の都市におけるパブリックアートと市民の関係を読み解きながら紹介する。

文=栖来ひかり

許懿婷《裙底風光》(スカートの下の風と光)のパフォーマンス (c)三月影像
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台北のパブリックアート

 台北という都市をきまぐれに歩く、それはひとつの編集的かつ創造的な行為である。五感を羅針盤にして、視覚で風景のなかの違和感をとらえ地層のように蓄積した記憶への裂け目を探しだす。嗅覚で水の匂いを察知してかつての川跡や暗渠をたどる。聴覚で行きかう車の喧騒のなかにかつて存在した踏切と汽笛の音をきく。昔ながらの道路ぞいには美味しい老舗がかならずあるし、細ながく桃色がかった石組みの壁を触れば、100年以上前にこの石が城壁のどこかの一部だったころの温度を伝えてくれるだろう。そうこうしているうち、頭の中にわたしだけの台北地図が出来上がっていく。

 そうしてこの地図はほかの誰の地図とも接続可能である。その接続を可能にするもののひとつに、「公共芸術(パブリックアート)」があるだろう。

 台湾では1998年に「パブリックアート設置法」が設置された。これは当時、台湾美術界の中心にいた蕭麗虹(シャオ・リーホン)、范姜明道(ファンジャン・ミンダオ)といったアーティストらを中心に推し進められたもので、公共建築予算の1パーセントをパブリックアートに運用することが定められている。

展示風景より、松本薫《Cycle-90°風との会話》 (c)三月影像

 近年、公共建築の老朽化が進んでいる台北市では、地価の高騰と共に都市の再開発が急務となっている。そこで台北市が主導して、国営住宅のほか廃校や古くなった福祉施設などを含めた市内40か所の社会住宅が再開発の最中だが、これに伴って地区ごとに「パブリックアート設置法」に準じた公共芸術プロジェクトが進んでいる。キュレーターの吳慧貞(ウー・フェイツェン)が企画したこのプロジェクトの名称を「家在台北 - HOME TO ALL」といい、具体的には

  1. 恒久的なアート作品の設置
  2. 「芸術社会工程」と呼ばれる参加型プロジェクト
  3. 常駐のアートワークステーションを導入

 といったアートレジデンス計画から、多様な創作や活動を通じて地域との対話やつながりを深め、社会住宅を「市民の共通の家」として機能させるのを目指しているという。

展示風景より、陳飛豪+岡部千絵《羽衣、八島と月宮殿》 (c)三月影像

 このHOME TO ALL計画では、地域ごとにそれぞれ3年を一期として文化資源が継続的に提供されるが、昨年、萬華区において3つの社会住宅を舞台に展開したのが、この「平凡な人々のための萬華散歩」だ。本プロジェクトのキュレーションは、キュレーターの林宏璋(リン・ホンジョン)、企画を手掛けたのは同区に位置する現代アートのオルタナティブ・スペース「水谷藝術」である。

 萬華で再開発をむかえる3つの社会住宅を拠点とし、アートをもって「家」を切り口に近代以降の都市の記憶――植民地史、労働史、都市史――を掘り起こしたこのプロジェクトは、そこにコミットする概念として、ミシェル・ド・セルトーが提唱した「歩行者の修辞学」を中心に据えた。ここで「まち歩き」という行為は、都市を歴史や記憶、生活の痕跡が交差する重層的な空間として再構築していく美学的実践と位置づけられる。またそれは、地域住民(=平凡な人々)に新たな「語り手」としての声をもたらし、民主主義を再定義していく取り組みでもあるとキュレーターの林宏璋はいう。

萬華地区の魅力

 台北でもっとも歴史ある萬華地区は、伝統文化・宗教・産業・観光が融合する台北西部の旧市街の中心地だが、貧困や犯罪の温床となるなど複雑なレイヤーをもつ街だ。個人的には、考えさせられる事や発見が多いという意味で、台北市内においては「まち歩き」が最も魅力的な場所ともいえる。

龍山寺 撮影=栖来ひかり

 萬華(ワンファ)は、そもそも旧称を「艋舺/バンカ」といい、台湾の原住民族(台湾先住民の台湾における正式名称)と漢人の交易拠点として発展した。「バンカ」とは当時の原住民ケタガラン族の言葉で「丸太でつくった舟」を意味する。18世紀以降の開墾により宗教と政治の中心地として発展し、日本の植民地期にはバンカに「萬華」と字をあてて改称され、東京浅草をモデルに商業・娯楽地域として都市計画が施された。

 戦後、中華民国統治下となってからは、南機場エリアには「眷村」と呼ばれる国民党の軍属居住区や「国宅(グォザイ)」と呼ばれる公営住宅が建設され、独自の文化が形成された。1950年代以降、西門町は映画館文化の中心地として栄え、冷戦期の文化産業の象徴ともなった。だが1980年代後半以降に都市の中心が東に移っていくと共に衰退し、21世紀に入って再開発が進んでいる。

国宅 撮影=栖来ひかり

 世界各地の土地の「多声性」によって共通性をみつけていく文化人類学者の今福龍太は「艋舺=萬華という一つの土地の名のなかに複雑に反響する、原住民と台湾人と漢人(外省人)と日本人の声……。台湾は、こうした響きあい混ざりあう声の記憶に彩られた、クレオール(文化混淆)の土地なのだとあらためて教えられる」(『地平』2025年4月号「いくつものフォルモーサへ」)といっている。

 萬華地区の北部にあたる西門町エリアは、近年では東京原宿のような若者文化やゲイカルチャーの集う先進的な街だが、清朝時代は川にちかい城外で、一般人の立ち寄らない死体の転がる荒野だった。日本時代になると台湾総督府(現・総統府)の西側に発達した日本(内地)人居住地区となり、お屋敷街や娯楽エリアとしてお芝居や映画をかける劇場街ができた。

 この萬華地区で展開されていた「平凡な人々のための萬華散歩」のパブリックアートを紹介していきたい。

陳飛豪(チェン・フェイハオ)+岡部千枝《羽衣、八島と月宮殿》

 日本の植民地下の台湾に焦点をあてるアーティスト陳飛豪と、現代の喜多流で演者を務め、自身も「湾生」(日本統治下の台湾で生まれ戦後に引き揚げた日本人)の孫にあたる岡部千枝によるインスタレーションやワークショップの拠点となったのが、西門町にある日本時代の木造建築をリノベーションした「大村武(ダーツェンウー)」居酒屋である。

展示風景より、陳飛豪+岡部千枝《羽衣、八島と月宮殿》 (c)三月影像

 能楽者・大村武は1898年に日本で生まれ、11歳のときに台湾に移住した。日本の能楽「喜多流」を台湾で広めた大村武は、ここ西門町に稽古場をつくった。女性の能楽者が殆どいなかった当時において、植民地であった台湾や朝鮮では女性演者が活躍し、ここ西門町の稽古場もその舞台となった。

展示風景より、陳飛豪+岡部千枝《羽衣、八島と月宮殿》 (c)三月影像

 アーティストらは、台湾における能楽のリサーチや映像インスタレーション、ワークショップを通して、家父長制の象徴である天皇を頂点とした「帝国」のもと、植民地とジェンダーの関係から「はみだした」能楽のイメージを再現することで、歴史のなかの台湾とジェンダーの新たな関係性を可視化しようとする。

陳飛豪+岡部千枝《羽衣、八島と月宮殿》のワークショップ (c)三月影像

松本薫《Cycle-90°風との会話》

 風力を利用したキネティック・アートをつくる日本出身のアーティスト・松本薫は、今回のプロジェクトのパーマネント設置作品をつくった。松本の作品は数学・力学・物理と幾何学といった科学を基礎にして自然環境に溶け込むことで台湾では非常に好まれ、2008年より毎年のように台湾のパブリックアートを制作している。

 今回の作品《Cycle-90°風との会話》は、新しく建てられた福星社会住宅の庭に設置された。福星社会住宅は、台北市街地において少子化によってはじめて廃校となった中興小学校の跡地に建てられた。住宅ビルの庭には小学校の校庭にあった樹々が残されており、そのそばにある本作は、昔もいまもおなじ風と対話をしている。

展示風景より、松本薫《Cycle-90°風との会話》 (c)三月影像

 松本は、古くから北台湾の信仰の中心となってきた龍山寺をはじめ屋台など下町の風情があるここ萬華は人と人との距離感がちかい「原風景」のようなものがあるという。作品づくりの過程においては、現在は中高年となった小学校の卒業生らと交流し、ともに校歌を歌い朝の体操をするなどしながら街の思い出を共有してもらうワークショップを行った。これに関するアーカイブは、作品そばにある中興小学校記念碑のQRコードより辿ることができる。また本作には、さまざまな形でHOME TO ALL計画に関わっている台湾在住アーティストの大塚麻子もスタッフとして参加した。

展示風景より、松本薫《Cycle-90°風との会話》 (c)三月影像

林安狗(アンチー・リン)《現地と他者――艋舺の作家・黄鳳姿の本の朗読プロジェクト》

 中国福建地方からの移民らによって出来た萬華は、龍山寺や青山宮といった信仰の中心地をもとに発展した。日本時代以前からこの地に住んでいた住人らには「萬華人」としての文化や誇りがある。日本植民地下の萬華で育った黄鳳姿(こう・ほうし/1928~)が11歳のときに発表した文学作品を、実際に言及された場所で朗読したのが林安狗だ。

林安狗《現地と他者――艋舺の作家・黄鳳姿の本の朗読プロジェクト》のパフォーマンス (c)三月影像

 黄鳳姿が日本語で記した萬華における漢人らの伝統的な節句や日常は、菊池寛や佐藤春夫をはじめとする当時の台湾文壇で絶賛され、「天才少女作家」の呼び名を得た。その後、自らを見出した恩師であり編集者の池田敏雄と結婚した黄鳳姿は、戦後に日本へと「引き揚げ」、「池田鳳姿」としての日々を送る。現代に生きる「日本語話者」の台湾人女性であるアンチーが、歩く朗読を通して、「日台融合」の美名のもとに持ち上げられ戦後に声を失ったひとりの台湾人女性の越境とジェンダーと歴史を浮かび上がらせた。

林安狗《現地と他者――艋舺の作家・黄鳳姿の本の朗読プロジェクト》のパフォーマンス (c)三月影像

涂維政(トゥ・ウェイツェン)《百の職人による多宝塔》

 台湾北部でもっとも古い地域である萬華は、いまも多くの老舗や伝統的な匠を擁する。神話的なものを土台に虚構の遺跡をつくり出すなどリアルとフィクションの往来を具現化してきたトゥは、萬華の100名の職人をフィールドワークする。

展示風景より、涂維政《百の職人による多宝塔》 (c)三月影像

 そこで採集された物品は、粘土で型どりされ、人造石で模造品がつくられて「多宝閣」(様々な骨董を並べる棚)に収められる。燈籠、お香、仏像、菓子、青草(ハーブ)、金工、刺繍、活版印刷など、この地域を代表する伝統の物品が、それぞれの職人の思い出や物語と共に収蔵される。

展示風景より、涂維政《百の職人による多宝塔》 (c)三月影像

蔡明亮(ツァイ・ミンリャン)《西寧国宅》

 台湾を代表する映画監督のひとりである蔡明亮が、まもなく取り壊しとなる西寧国宅(公営住宅)のさまざまな暮らしや空間、住人たちを記録したドキュメンタリー映像作品。

展示風景より、蔡明亮《西寧国宅》 (c)三月影像

 1981年に完成した「西寧国宅」は16階建てでA、Bとふたつの棟に分かれ、地下は駐車場と伝統市場、1・2階は商業スペース、そのうえが居住エリアで約500世帯が暮らしていた。時間を経るうちに老朽化し、大部分は低収入世帯となり、ビルの上から飛び降り自殺が起きたり、殺人事件にまつわる怪談や噂話でも知られてきた。

展示風景より、蔡明亮《西寧国宅》 (c)三月影像

 これまでテレビドラマ「海角天涯」そして映画『洞』の舞台として「西寧国宅」を撮ってきた蔡明亮が、その最後の姿を映像のなかに留める。なおこの作品は、台湾公営テレビの「公視+」に登録すれば、2025年5月28日まで無料でオンライン視聴できる。

展示風景より、蔡明亮《西寧国宅》 (c)三月影像

許懿婷(シュー・イーティン)《裙底風光》(スカートの下の風と光)

 龍山寺周辺に200年のあいだ存在してきた性風俗の歴史に焦点を当てたこのプロジェクトは、現地でのパフォーマンスを中心に展開された。これは、事前のフィールドワーク、セックスワーカー当事者たちとの絵画や文章の制作をふくんでいる。パフォーマンスでは、高所作業車をつかって性産業に従事する女性たちの身体を高所に置き、性産業で社会的に低く見られがちな存在を象徴的に高い位置に持ち上げた。

許懿婷《裙底風光》(スカートの下の風と光)のパフォーマンス (c)三月影像

 地上では「ちらちらと見られ」「抹消される」存在である女性たちが、萬華の空を旋回しただよいながら「観られる」。また、彼女たちは高所の籠のなかで自身の身体の象徴として樹木を剪定し、都市計画の中で剪定される自身の状況を表現する。女性の身体と男性のまなざしを通して、現在の制度がジェンダー差別や階級格差を助長している問題を批判し、どのように女性が主体的に行動できる環境を国家や社会が構築できるのかを模索した。​

許懿婷《裙底風光》(スカートの下の風と光)のパフォーマンス (c)三月影像

 ​徹底したコロナ対策でゼロに抑えられていた台湾のコロナ爆発の綻びとなったのが、ここ萬華の「茶室」と呼ばれる風俗店だったことを思い出す。萬華の歴史的課題である性産業は、台湾における人権と公共の福祉の対立という普遍的な社会議題をもあぶりだしている。

許懿婷《裙底風光》(スカートの下の風と光)のパフォーマンス (c)三月影像

台湾だからこその「パブリックアートへの信頼」

 1980年代の民主化以来、人権や民主、自由という普遍的な価値観に対して高い意識をもつ市民らが、社会に大きなうねりと進歩を与えてきた。こうした意識は、様々な異なる背景をもつ移民社会であることや隣国の脅威につねに晒されている緊張感から醸成されたが、こうした台湾社会の持つ民主的価値観は、近年、日本をはじめ国際的にも注目されるようになった。台湾政治を研究する国際政治学者の小笠原欣幸は台湾に根づくこの空気を「生き生きとした民主主義」と表現するが、これはまさに、ポスト・マルクス主義者の研究者らが言うところの「真の民主主義は『対立(antagonism)』によって形成される。民主主義とは、制度との緊張関係を伴いながら構築される過程であり、それがなければ、単なる既存秩序の再生産にすぎない」を思い出させる。

林安狗《現地と他者――艋舺の作家・黄鳳姿の本の朗読プロジェクト》のパフォーマンス (c)三月影像

 一般的に、都市再開発計画とは建設会社や行政のすすめる俯瞰的な「上」からの視点で進められる。そして、このHOME TO ALL計画も台北市都市発展局が主催しているものではあるが、興味深いのは、そのなかに「下」の視点、つまり「歩く」という身体的行為をもって都市を物語る主導権を取り戻そうとする、上からの視点に拮抗する力を積極的に与えていることである。そこにあるのは、矛盾や断絶と向き合いながらも独自の秩序と生命力を保ってきた台湾というヘテロトピアであり"HOME”に生きる「平凡な人々」の“多声”に耳をそばだてようとする、パブリックアートへの信頼そのものだといえるだろう。

展示風景より、蔡明亮《西寧国宅》 (c)三月影像