2025.8.4

最大規模の回顧展。「没後50年 髙島野十郎展」に見るその核心

美術団体や画壇にも属さず、ただひたすら独自の写実表現を探求し続けた高島野十郎(1890〜1975)。その過去最大規模の巡回展「没後50年 髙島野十郎展」が、千葉県県立美術館から幕を開けた。

文・撮影=中村剛士

展示風景より、《蝋燭》(1948以降、福岡県立美術館蔵)
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 高島野十郎(1890〜1975)は、没後10年を経てようやく本格的に評価が始まった異色の画家である。福岡県久留米市の酒造家に生まれ、東京帝国大学農学部水産学科を首席で卒業しながらも、家業や安定した将来を捨てて画家の道を選んだ。美術団体や画壇にも属さず、ただひたすら独自の写実表現を探求し続けた。その生涯は一見「孤高」に見えながらも、自然や人、社会との関わり合いの中で深く世界を見つめたものであった。今回の「没後50年 髙島野十郎展」は、そんな野十郎の全貌を探る最大規模の回顧展である。約150点の油彩・水彩・素描を中心に、書簡や日記、記録写真などの資料も豊富に揃い、野十郎芸術の核心に迫る構成となっている。

《りんごを手にした自画像》(1923、福岡県立美術館蔵)、《牡丹花》(1926頃、目黒区美術館蔵)

 プロローグ「野十郎とはだれか」では、彼の生い立ちと歩み、そして芸術の出発点が丁寧にたどられる。名古屋の旧制八高から東大農学部へと進み、社会の期待を一身に背負いながらも、自身の良心に従い絵を志す姿勢には、早くから既存の枠組みにとらわれない誠実さが感じられる。ヨーロッパ留学や、上京・疎開・移住を重ねるなかで、多様な土地と人との出会いが、画業の礎となった。

 第1章「時代とともに」では、同時代の画家たちとの関わりや、日本近代美術のなかでの位置づけに焦点をあてる。野十郎は美術団体やサロンからは距離を置いていたが、岸田劉生や草土社の細密な写実主義には強い影響を受けていた。青年期の野十郎がゴッホに強い共感を寄せていたことや、青木繁、坂本繁二郎、古賀春江ら同郷の画家たちとの出会いが、独自の表現の方向性をかたちづくっていったことも資料から明らかとなる。彼は「世の画壇と全く無縁になることが小生の研究と精進です」と書簡に記すいっぽう、決して時代の流れと断絶していたわけではない。明治から昭和にかけての近代洋画の文脈に、独自の精神性と技巧をもって対峙した存在である。

展示風景より、《からすうり》(1935、福岡県立美術館蔵)、《洋梨とブドウ》(1941、福岡県立美術館蔵)

  第2章「人とともに」では、「孤高の画家」というイメージを再考させる展示となっている。たしかに野十郎は団体に属さず、独身で暮らし、他の画家との交流も限られていた。しかしいっぽうで、彼の誠実な人柄と画業に惹かれた支援者や友人、コレクターたちが存在し、親子三代にわたって作品を守る人々もいた。展示では、野十郎に寄せられた手紙や、交流の記録をたどることで、芸術と生活が密接に結びつき、多くの人の共感を得てきた側面が明らかにされている。孤高でありながら決して孤独ではなかった野十郎の実像が、作品と証言によって浮かび上がる。

展示風景より

  第3章「風とともに」では、旅を愛した野十郎が日本各地やヨーロッパを巡り、見つめ続けた風景画が集められている。彼は気ままに旅に出ては長く滞在し、その土地の空気や光、季節のうつろいを丹念に観察して、静かな詩情とともに画布へと定着させていった。即興的な写生ではなく、じっくりと構図や対象を選び抜き、細部まで描き尽くす。その作品には、たんなる風景の記録を超えた精神性、野十郎が世界を受け入れ、再構成した独自の宇宙観が表現されている。

展示風景より、《田園太陽》(1956、個人蔵)

 第4章「仏の心とともに」では、仏教的な精神性や宗教的な主題に焦点があたる。野十郎は兄の影響もあり、若いころから仏教思想、とくに真言密教に関心を抱き、四国や秩父の札所巡りも重ねていた。野十郎にとって絵を描くことは、慈悲の実践そのものであり、対象を均等に、精緻に描くことが自らの生き方とも重なった。寺社や地蔵といった直接的な宗教モチーフだけでなく、蝋燭や太陽、月など光と闇をめぐる絵画世界に、無常観や生命観といった仏教的な理念が色濃く表現されている。

  さて髙島野十郎といえば、「蝋燭」「月」「太陽」など、光と闇を主題とする作品群である。とりわけ蝋燭を描いた小品の多くはサムホールサイズの小さな画面に、静けさと緊張感を孕んだ一本の炎が、徹底した写実で表現されている。これらは展覧会で公開されることなく、親しい人への贈り物として密やかに描かれたという。暗闇の中に浮かぶ炎は、たんなる光源ではなく、野十郎自身の精神性や祈り、そして受け取る人への感謝が託されている。微かな炎のゆらめきとともに、画家の孤独と慈愛が画布から静かに立ちのぼる。

展示風景より

  「月」や「太陽」をテーマとした作品もまた、野十郎芸術の本質を象徴する。太陽の連作は、朝や夕方、あるいは天空を覆う激しい光など、多様な瞬間がとらえられている。そこでは光はさまざまな色彩の粒となって広がり、空間全体を温かく包み込む。現実を超え、光そのものの在りようを追い求める表現は、仏教的な「無常」の観念を思わせる。晩年の柏時代に描かれた月の作品は、初めこそ月夜の風景を含んでいたが、やがて余計なものを徹底して捨象し、画面にはただ一点、闇の中に満月が輝くだけとなる。ストイックなまでに削ぎ落とされた画面構成が、逆に永遠性や静謐な力強さを感じさせ、鑑賞者の心に深い余韻を残す。蝋燭も月も、消えざる光として、時を超えて我々の内奥を照らし続けるのである。

展示風景より、《満月》(1963頃、東京大学医科学研究所蔵)

 そして、野十郎芸術のもうひとつの柱が、風景画である。旅を愛した彼は、日本各地のみならずヨーロッパにも長期滞在し、それぞれの土地の最も美しい表情を見極め、季節や時間を選び抜いて描いた。春のれんげ草、夏の濃緑、秋の紅葉、冬の雪景色など、四季の変化を明確にとらえた作品群は、たんなる写実にとどまらず、自然の営みの奥に潜む神秘や仏教的な無常観をも描き出している。細やかな筆致で丁寧に重ねられた色彩には、時間や命の移ろいに寄り添う静けさと、対象への深いまなざしが感じられる。野十郎はただ風景を写すのではなく、時間の流れや生命の気配、目に見えぬものまでも画布に定着させようとした。その姿勢は、風景画のひとつ一つからも強く伝わってくる。

 本展最大の見どころは、野十郎を象徴する「蝋燭」や静物画、各地の風景画など、初期から晩年までの傑作が一堂に会する点にある。蝋燭の灯りが闇を照らすシリーズは、極限まで写実を突き詰めた技巧と、画家自身の内なる祈りのような精神性が画面に満ちている。千葉・柏に移住してからの作品群は、雑木林や田園風景、身近な静物など、質素なモチーフの中に静かな光と空気感が表現され、彼が「パラダイス」と呼んだ晩年の境地がしみじみと伝わる。

 また、関連資料や記録写真も豊富に展示されており、野十郎が旅した地図や、手書きのメモ、当時の柏の風景写真などからは、作品と人生の背景を立体的に感じ取ることができる。併設で写実派洋画家・椿貞雄のコレクション展も開催され、同時代のリアリズム表現との比較鑑賞も興味深い。

 総じて本展は、画壇や時流から離れて「見ること」「描くこと」を一心に探究し続けた野十郎の姿勢に、現代の私たちが学ぶべきものが多いことを示唆している。名声や外的評価とは無縁の誠実な生き方と、自然や日常にひそむ美を静かに掬い取った作品群。その一点一点と向き合うことで、鑑賞者は静かな感動とともに、野十郎が見つめ続けた世界を追体験できるだろう。千葉ゆかりの地で開催される本展は、没後50年という節目にふさわしく、野十郎芸術の本質に迫るかけがえのない機会である。

展示風景より