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2025.9.19

「幕末土佐の天才絵師 絵金」(サントリー美術館)開催レポート。芝居絵屏風で知られる絵金の画業に迫る

東京・六本木のサントリー美術館で「幕末土佐の天才絵師 絵金」が開催されている。本展はあべのハルカス美術館、鳥取県立博物館からの巡回であり、東京の美術館では初の大規模展となる。会期は11月3日まで。

文・撮影=大橋ひな子(ウェブ版「美術手帖」編集部)

展示風景より
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 東京・六本木のサントリー美術館で、幕末から明治初期にかけて数多くの芝居絵屏風を残した絵金(1812〜76)を取り上げた「幕末土佐の天才絵師 絵金」が開催されている。本展はあべのハルカス美術館(2023)、鳥取県立博物館(2024)からの巡回であり、東京の美術館では初の大規模展となっている。会期は11月3日まで。

 土佐の絵師・金蔵、通称「絵金」は、高知城下・新市町(現・はりまや町)の髪結いの子として誕生したとされる。幼少時より画才のあった金蔵は、同じ町内の南画家や土佐藩御用絵師に絵を学び、18歳のとき、土佐藩主の息女・徳姫の駕籠かきの名目で江戸にいく。江戸では、駿河台狩野派の土佐藩御用絵師・前村洞和(まえむらとうわ)の下で3年間修業し、帰郷後は土佐藩家老の御用絵師となった。

 しかしその後、いまだに理由は不明だが、城下を追放され町絵師となる。一説によると贋作の制作依頼を受けたことがその原因とされているが、確かな資料は残っていないという。ただ、墓碑銘によると絵金から手ほどきを受けた者は数百人おり、明治9年(1876)に65歳で亡くなった後も、絵金と弟子筋の手による芝居絵屏風や絵馬提灯が多数残っている。

 絵金といえば、で知られる「芝居絵屏風」は、歌舞伎や浄瑠璃のストーリーを絵画化したもの。その多くが神社や自治会などに分蔵されており、それらをまとめてみられる機会は滅多にない。本展は全3章を通じて、絵金の代表ともいえる芝居絵屏風をはじめとした作品を一挙に紹介し、絵金について理解を深められる機会となっている。

展示風景より

 第1章は「絵金の芝居絵屏風」と題され、絵金の基準作として知られる、香南市赤岡町の4つの地区が所蔵する芝居絵屏風が展示されている。高知県に現存する約200点の芝居絵屏風類、その多くが2つに折り曲げることのできる二曲一隻の形態だ。一部を除いて神社や公民館、自治会などで管理されており、現在でも神社の夏祭りで実際に使用されている。

 夏祭りでは、当然外に芝居絵屏風が置かれるため、時間帯によっても見え方は異なる。本章では展示ケースに入れられた状態で展覧されるが、少しでもその見え方の違いを体感できるように、照明の明度や色味を一定の時間内で変化させている。

展示風景より、《伊達競阿国戯場 累》 香南市赤岡町本町二区

 屏風には、ひとつの画面に複数の場面が描きこまれる異時同図法が使われており、時間経過を伴う芝居のストーリーが1枚のなかで展開されている。もととなる歌舞伎や浄瑠璃の演目内では表現しづらい鮮烈な場面が、成人の背丈くらいの大きさの二曲一隻に極彩色で描かれ立ち現れるため、近くで見るとよりその迫力が伝わってくる。

展示風景より、《浮世柄比翼稲妻 鈴ヶ森》 香南市赤岡町本町一区

 芝居絵屏風がいまでも多く残されている高知県香南市赤岡町は、絵金が叔母を頼って一時滞在したといわれる土地だ。この赤岡では、芝居絵屏風を飾る「須留田八幡宮の神祭」と「土佐赤岡絵金祭り」という2つの祭りが現在も開催されている。会場では祭りの様子が写真と映像で紹介されており、実際に芝居絵屏風がどのように飾られているのかを知ることができる。

展示風景より
展示風景より
展示風景より、祭りの様子を撮った写真

 また本章では、御用絵師であった絵金が残した、芝居絵屏風以外の掛軸や絵巻、画帖なども展覧されている。絵金の晩年作である《常盤御前図》は、病で右手が利かず、左手で描いたとの伝承がある作品。芝居絵屏風で知られる絵金だが、経歴からも想像できる通り、絵師としての高い技術力も持っていたことわかる。

展示風景より、《常盤御前図》 高知県立美術館 【展示期間:9月10日~10月6日】

 ほかにも、安政元年(1854)11月4日に起きた安政東海地震を題材とした《土佐震災図》や、四季折々の風物を描いた絵巻《土佐年中風俗絵巻》といった芝居絵屏風以外の絵金の画業を知ることができる作品が紹介されている。

展示風景より、《土佐震災図》 佐川町教育委員会
展示風景より、《土佐年中風俗絵巻》 個人蔵(高知県立美術館寄託)

 第2章「高知の夏祭り」では、屏風を絵馬台(台提灯)に飾る高知の夏祭りが再現されている。見上げるほどの大きさであるため、対面するかたちで見た第1章の芝居絵屏風ともまた印象が異なる。

展示風景より
展示風景より

 芝居絵屏風を飾る祭りは、赤岡町のほかでも開催されており、本章ではそのうち3つの神社で組み上げられる絵馬台を再現している。台に設置された木札は、実際に神社で使われているもので、キャプションの役割を持っている。

展示風景より、絵馬台にかけられた木札

 高知市朝倉の朝倉神社では、参道をまたぐ山門型の絵馬台が6台組み上げられる。1台につき表裏計4点の芝居絵屏風をはめることができ、人々はその絵馬台をくぐるようにして拝殿に向かう。この祭りは毎年7月24日に開催されている。

展示風景より、朝倉神社の絵馬台を再現したもの

 香美市土佐山田町の八王子宮には、5点の屏風を飾るための大型の「手長定長(てながあしなが)絵馬台」が使用され、近年では2019年7月24、25日の夏の大祭で披露された。地元の宮大工・原卯平(はらうへい)によってつくられたもので、絵馬台自体に様々なモチーフの彫刻が施された装飾的なものになっている。

展示風景より、八王子宮の絵馬台を再現したもの

 氏子の高齢化や屏風の劣化などの理由により絵馬台の数は年々減少しているが、昨年、数年ぶりに絵馬台が組まれる神社もあり、文化の継承を積極的に行う動きも見られる。

 また本章では、行燈絵とも呼ばれる絵馬提灯も紹介されている。絵馬提灯は、毎年新調されていたため現存作は非常に少ない。しかし近年「釜淵双級巴(かまがふちふたつどもえ)」という作品が発見された。本作には石川五右衛門を主人公にした芝居が描かれているが、一部読本や芝居にはない場面も登場する。もとは25点だったが、「第十七」が抜けた24点で現存しており、そのすべてが紹介される貴重な機会となっている。会場では、右側から順にストーリーが展開される並びとなっており、生々しい描写とともに、主題となったストーリーを追える構成となっている。

展示風景より
展示風景より

 最後の第3章「絵金と周辺の絵師たち」では、屏風や絵巻、軸物以外の絵金の作品と、絵金と深い関わりのあった絵師の作品が展示される。

 ここで改めて「絵金」という呼び名について詳しく触れたい。絵師・金蔵の愛称として「絵金」と呼ばれているが、じつは、金蔵の芝居絵屏風の大流行により、芝居絵屏風そのものも「絵金」、金蔵の弟子たちも「絵金」、さらに転じて絵描きの総称も「絵金」と呼ばれた事実がある。そのため、一様に「絵金」といっても、絵師・金蔵のことを指さない場合もあり、絵金筆と伝わる芝居絵屏風においても、金蔵が描いたものから金蔵の作風を受け継いだ絵金派の作品までを指すこともある。

 しかし金蔵の弟子に当たる絵師は確実に複数名いたことが判明している。例えば、米国から帰国した中浜(ジョン)万次郎から聞き書きした漂流記を土佐藩主に献上し、坂本龍馬とも交流のあった知識人・河田小籠(かわだしょうりょう)もそのひとり。本章では前期(9月10日〜10月6日)で河田による横幕が展覧されている。なお後期(10月8日〜11月3日)では、ほとんど現存していない紙製の幟のなかでも、絵金の基準作となる《近江源氏先陣館  盛綱陣屋》も展覧されるため、こちらも必見だ。

展示風景より、河田小龍《義経千本桜 加賀見山旧錦絵(横幟)》(1857) 高知県立歴史民族資料館【展示期間:9月10日~10月6日】

 また会場には、江戸時代、土佐藩に素麺や菓子を納めた老舗の西川屋に伝わる幟《養老の滝図/龍虎図》も紹介されている。3本のうち、真ん中の幟が金蔵の作品だといわれている。

展示風景より、金蔵/宮田洞雪《養老の滝図/龍虎図》 土佐藩御用菓子舗 西川屋

 現在も祭りで飾られる芝居絵屏風をはじめとし、まだ謎の多い「絵金」の存在とその画業に迫る本展。東京初の大規模展覧会を通じて、作品の迫力と、いまもなお伝わる「絵金」が残した文化を、間近に感じる機会となるだろう。