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2025.9.20

「ゴースト 見えないものが見えるとき」(アーツ前橋)開幕レポート。見えない存在に目を向け、対話を試みる

アーツ前橋で「ゴースト 見えないものが見えるとき」がスタートした。会期は12月21日まで。

文・撮影=三澤麦(ウェブ版「美術手帖」編集部)

展示風景より、トニー・アウスラー《Obscura(Maebashi version)》
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 群馬・前橋にあるアーツ前橋で「ゴースト 見えないものが見えるとき」がスタートした。会期は12月21日まで。ディレクターは南條史生(アーツ前橋 特別館長)、キュレーターは井波吉太郎、武田彩莉、出原均、庭山貴裕。

 「ゴースト」とは元来、幽霊や亡霊のような実体のない存在を指す言葉だ。同展ではその意味合いを拡張し、戦争や政治的抑圧が引き起こした凄惨な記憶や歴史的な課題から、また人工知能(AI)や仮想現実(VR)といった新たな生命の在り方に至るまでをゴーストとしてとらえ、実体があるようでないような存在の魅力や重要性をアーティストらの視点から問いかけるものとなっている。

 参加アーティストは、岩根愛、丹羽良徳、ハラーイル・サルキシアン、尾花賢一+石倉敏明、諸星大二郎、ヒグチユウコ、平田尚也、松井冬子新平誠洙、丸木位里・俊、竹村京、西太志、クリスチャン・ボルタンスキー横尾忠則諏訪敦アピチャッポン・ウィーラセタクン+チャイ・シリ、トニー・アウスラー、マームとジプシー、山内祥太、daisydoze。

前列左から竹村京、平田尚也、尾花賢一、石倉敏明、岩根愛。後列左から、西太志、諏訪敦、トニー・アウスラー、南條史生、藤田貴大(マームとジプシー)、山内祥太、竹島唯(daisydoze)、井波吉太郎

 本稿では、全20組(国内16組、海外4組)による107点の作品から、いくつかピックアップして紹介したい。

 写真家の岩根愛は、ハワイと福島を巡る盆踊りの関係に着目した作品を展示している。かつてサトウキビ労働者としてハワイに渡った日本人は福島県の出身者が多かったという。その労働者たちが伝えた福島の盆踊りが、いまなおハワイでは受け継がれているのだ。

 作品には、かつてそこに存在していた労働者の家族写真が、亡霊のようにサトウキビ畑に投影されている。そこからつながる盆踊りのパノラマ写真は、あたかもいまは亡き存在や記憶を弔っているかのようだ。

展示風景より、岩根愛《KIPUKA》(2011-18)

 丹羽良徳は、2012年にロシアのモスクワ現代美術館で開催された展示にあわせ、滞在制作を実施。崩壊したソ連の残像を追うドキュメンタリー映像《モスクワのアパートメントでウラジミール・レーニンを捜す》を発表した。現代を生きる人々は、どのようにレーニンをとらえているのか。丹羽のインタビューに応じた現地の人々の様々な反応にも注目してほしい。

展示風景より、丹羽良徳《モスクワのアパートメントでウラジミール・レーニンを捜す》(2012)

 アーティストの尾花賢一と文化人類学者の石倉敏明がタッグを組んで展開するのは、群馬県北東部にある赤城山にまつわる伝承をもとにしたストーリー性のある作品だ。会場では、階段の空間を用いて「赤堀道元と娘の話」の物語をなぞることができる仕掛けとなっている。階段を下りながら娘の身に起きた出来事をたどるうちに、あたかも異界に踏み込んでしまったかのような体験ができるだろう。

展示風景より、尾花賢一+石倉敏明《赤城山リミナリティ part2/火山娘たちのドリーミング》(2025)

 丸木位里・俊による「原爆の図」シリーズは、1945年広島に投下された原爆によって被害を受けた人々の姿を、全15部に渡って描いたものだ。今回展示されている第1部は、生きながらにして死者の姿をしている人々と猫がとらえられており、その姿はタイトルにもあるように「幽霊」と喩えられた。戦後80年を迎えた今年、遠い昔であるかのような過去の日本に、この幽霊が確実に存在していたという事実を、改めて心に刻む必要があるだろう。

展示風景より、丸木位里・俊《原爆の図 第一部 幽霊》(1950)

 土地の歴史や記憶に焦点を当てた作品もあれば、最新のテクノロジーに見られる、現代そして未来のゴーストの姿を想起させるような作品も紹介されている。

 例えば、新平誠洙はポートレートを生成AIに学習させ、その過程で生じる異形の状態を画家の伝統技法を用いて描き出している。実在しない人物の肖像画を描き続けながら、新平は「人が描くこと」「AIが描くこと」そして「描くことの意味」についてまでも思考を巡らせているかのようだ。

展示風景より、新平誠洙「Phantom Paint」シリーズ

 山内祥太は2週間の滞在制作を経て、同展のための新作を発表している。アーツ前橋の吹き抜け空間を活用して展示される《Being...Us?》では、人類が姿を消した未来で、未知の生物たちがこの地にいたであろう人間の姿を想像している。あたかも遺跡のような場所に佇む未知の生物は「未来のゴースト」と言えるかもしれないし、その生物が想像するのは人間という「過去のゴースト」かもしれない。

展示風景より、山内祥太《Being... Us?》(2025)

 会場のもっとも広い地下スペースで展示を行うのは、アメリカ・ニューヨーク出身で、実験的ヴィデオ・アーティストの先駆者としても知られるトニー・アウスラーだ。実体のないものに関心を持ち、心霊現象の資料などを個人的に収集もしているというアウスラーは、この空間に4つの作品を点在させている。プロジェクションを用いて投影される巨大な目や男女の不安げな表情。これらに共通するのは、様々な示唆に富んだアプローチでありながらも、どこかユーモアを感じさせるといった点だろう。

展示風景より、トニー・アウスラー《Obscura(Maebashi version)》
展示風景より、トニー・アウスラー《Autochtonous》

 開幕に先立ち、南條は「不透明なことの多い現代社会。そういった不安のなかで未来を見つめようとするも、昔の記憶やかつてのシステムが失われていく。そういった現象も“ゴースト”という言葉に内包した」と語る。

 新時代の到来とともに失われていく風習、忘れられていくかつての傷跡。発展してゆくテクノロジーと、そのなかに潜む空さ。我々の日常や営む世界に存在するちぐはぐな状態と割り切れない感情は、どのような場面にも存在することを、同展は伝えてくれている。そういった状態を受け入れつつ、少しずつそれらと向き合ってみることが、新たな可能性を見つける糸口となるのかもしれない。