2025.12.6

「いつもとなりにいるから 日本と韓国、アートの80年」(横浜美術館)開幕レポート。日韓のアートを通して問い直す、共生のかたち

横浜美術館で、リニューアルオープン記念となる展覧会「いつもとなりにいるから 日本と韓国、アートの80年」がスタートした。会期は2026年3月22日まで。

文・撮影=三澤麦(ウェブ版「美術手帖」編集部)

展示風景より
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 横浜美術館のリニューアルオープン記念展「いつもとなりにいるから 日本と韓国、アートの80年」がスタートした。会期は2026年3月22日まで。担当学芸員は、日比野民蓉(横浜美術館主任学芸員)。

 本展は、1965年の日韓国交正常化から60年となる節目に合わせ、韓国の国立現代美術館(MMCA)との共同企画により、3年間の研究・調査を経て開催されるもの。同館のリニューアルオープンの際に改めて制定された「多文化共生、多様性尊重」という理念に基づいている。

 企画を担当した日比野は、その狙いを次のように語る。「韓国近代史における研究はこれまで蓄積されてきているが、戦後、そして1965年の日韓国交正常化以降から現在の日韓におけるアートを通じて交流や表現の変遷が十分に語られていないと感じていた。65年以降は、とくに日韓間で行われた主要な展覧会をたどることで、その実態をとらえることを試みている」。

 今回の展覧会は全5章立ての構成となる。2階の第1~4展示室とホワイエ、さらに1階の無料スペースとなるギャラリー8の6つのスペースには、50組以上の作家による約160点の作品が日韓両国から集結。ゆたかな歴史を育んできた日韓のアートを通じて、互いの姿や関係性を新たに発見する場となることを目指している。

展示風景より

 まず、「1章 はざまに──在日コリアンの視点」では、日韓国交正常化以前の1945〜60年代前半の約20年間に焦点を当て、日本と朝鮮半島の“はざま”に位置した在日コリアン作家の活動を取り上げる。

 例えば、当時日雇い労働者として日本で働いていたチョ・ヤンギュ(曺良奎)の作品からは、在日コリアンとしての生活の実感を描いた代表作が展示されている。また、日本の美術批評家・織田達朗との書簡も紹介されており、日本の美術界とも密接につながっていたことがうかがえる。在日1世としてのアイデンティティの所在を探る表現や、当時の生活を反映した具象絵画が中心となる展示空間だ。

展示風景より、曺良奎《密閉せる倉庫》(1957)
展示風景より、「曺良奎から織田達朗宛書簡」(1958-60)

 そのほか、この時代を主題に制作する林典子やナム・ファヨンなど現代作家の作品も取り上げ、国交のなかった20年間に“はざま”を生きた人々の人生にも光を当てている。

展示風景より、林典子《sawasawato》(2013-)

 ホワイエで展開される「2章 ナムジュン・パイクと日本のアーティスト」では、ヴィデオ・アーティストの先駆者ナムジュン・パイクと日本の美術界との交流が、作品と資料によって紹介されている。日韓国交正常化以前に日本を訪れ、公私のパートナーであった久保田成子や、技術者として長くパイクを支えた阿部修也との出会い、さらにはハイレッド・センターとの交流など、その特異な関係性の軌跡が読み取れる。

展示風景より、久保田成子による作品群

 3章以降では、1965年以降、つまり国交正常化後の日韓の動きに目を向ける。国交が正式に結ばれると、人や作品の往来が活発になり、両国で現代美術を紹介する展覧会も増えていった。「3章 ひろがった道 日韓国交正常化以後」では、1960〜80年代に行われた5つの展覧会を紹介し、交流の様相や互いに与えた影響を俯瞰している。

 最初の展示室では、1968年に東京国立近代美術館で開催された「韓国現代絵画展」を取り上げ、当時の出展作と資料から、日韓の作家がどう影響しあったのかを読み解く。

展示風景より、「韓国現代絵画展」(1968、東京国立近代美術館)に関する資料
展示風景より、関根伸夫《位相 No.13》(1958)
展示風景より、手前は関根伸夫《位相-大地1》(1986)、奥は李禹煥《風景 (Ⅰ)(Ⅱ)》(1968 / 2015)

 続く展示室では、1975年に東京画廊と韓国の明東画廊が主導した「韓国・五人の作家 五つのヒンセク〈白〉」、77年の「韓国・現代美術の断面」、79年の「第5回大邱(テグ)現代美術祭」の作品や資料が並んでおり、当時の美術関係者が築いていった、アートを通した日韓交流の初期段階を示す展示となっている。

展示風景より、「韓国・五人の作家 五つのヒンセク〈白〉」(1975)に出展された作品群
展示風景より、「韓国・現代美術の断面」(1977)、「第5回大邱現代美術祭」(1979)に出展された作品群
展示風景より、『美術手帖』1977年10月号。「韓国・現代美術の断面」の開催にあわせて実施された座談会の様子が掲載されている

 なかでも、1981年にソウルで開催された「日本現代美術展─70年代日本美術の動向」は、両国の公的機関が初めて連携して実施したもので、韓国において日本の現代美術を大規模に紹介した初の事例となった。ここでは、斎藤義重や山口長男、高松次郎、辰野登恵子ら、幅広い世代46名の作家が名を連ねている。

展示風景より、「日本現代美術展─70年代日本美術の動向」(1981)に出展された作品群
展示風景より、「日本現代美術展─70年代日本美術の動向」(1981)に出展された作品群

 このほか、今年夏に逝去したクァク・ドッチュン(郭徳俊)の作品も展示されており、在日コリアン2世としてのアイデンティティや葛藤がその作品や制作活動から読み取れる。

展示風景より、郭徳俊によるドローイング。日韓国交正常化が実現した1965年前後に、ドローイングの傾向に大きな変化が見られる
展示風景より、郭徳俊「大統領と郭」シリーズ

 「4章 あたらしい世代、あたらしい関係」では、1990年代に台頭した日韓双方の若い作家たちの新たな表現に注目する。当時、日本で学ぶ韓国人学生は数多くいたが、その逆はほとんど例がなかった。こうした状況に風穴を開けたのが、92年にソウルで開催された中村政人と村上隆による「中村と村上展」であった。本章では、この2人展と、同時期にソウルを拠点にしていたイ・ブルの作品を手がかりに、新たな潮流を読み解いていく。

展示風景より、「中村と村上展」(1992)で展示された中村政人の作品群
展示風景より、「中村と村上展」(1992)で展示された村上隆の作品群
展示風景より、手前はイ・ブル《無題(渇望赤)のためのデッサン》(2011)

 最終章「5章 ともに生きる」では、1980年代から現在までの日韓アーティストの取り組みに焦点を当てる。富山妙子、イ・ウンノ(李應魯)、パク・インギョン(朴仁景)など、韓国民主化運動に連帯した作品をはじめ、社会で見過ごされがちな課題を表現を通して提示する現代作家の作品が紹介される。

展示風景より、富山妙子《自由光州》(1980)
展示風景より

 なかでも目を引くのが、在日コリアン2世のパートナーを持つ高嶺格による《ベイビーインサドン》(2004)だ。結婚式の写真や映像、高嶺のテキストが日韓両表記で構成され、会うことを避けてきたパートナーの父(アボジ、在日1世)との関係を前に、高嶺が抱いた葛藤が物語性をもってせまってくる。

展示風景より、高嶺格《ベイビーインサドン》(2004)
展示風景より、高嶺格《ベイビーインサドン》(部分、2004)

 展示の最後を飾るのは、田中功起による映像作品《可傷的な歴史(ロードムービー)》(2018)。本展のメインビジュアルでもあるこの作品は、在日コリアン3世のウヒと、日系アメリカ人にルーツを持つスイス人のクリスチャンが対話を重ね、「アイデンティティを保ちながら、どのようにともに生きるか」という問いに向き合っていく。

 本展タイトル「いつもとなりにいるから」が示すように、両国はこれまでも、そしてこれからも隣りあって生きていく。支配と被支配という複雑な歴史を抱えつつも、両国は近しい存在として共感や共通の課題も共有している。本展は、そうした歴史的事実や交流にもとづき、今後どのような関係が築けるのか、未来への問いとして提示しているように感じられた。

展示風景より、田中功起《可傷的な歴史(ロードムービー)》(2018)

 なお、同館の無料スペースとして一般開放されているギャラリー8では、百瀬文とイム・フンスンが映像による交換日記を紡いだプロジェクトが紹介されている。異なる立場の二人によって交わされる対話は、ときに似通うこともあれば、真逆の受け取られ方をしてしまうこともあるという。ここで示されている「普遍的なものは、個人的なものからしか語り得ない」というイムの考え方は、本展に通底するテーマでもあると感じられた。このプロジェクトは誰でも鑑賞できるため、本展へ足を運ぶきっかけにもなりそうだ。

展示風景より、百瀬文×イム・フンスン《交換日記》(2025)