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2026.6.19

「もはやない国のかつてない光 東ドイツの女性写真家たち」展(神奈川県立近代美術館 葉山)開幕レポート。東ドイツの女性たちは何を見つめたのか

神奈川県葉山町の神奈川県立近代美術館 葉山で、「もはやない国のかつてない光 東ドイツの女性写真家たち」が開幕した。会期は8月30日まで。会場の様子をレポートする。

文・撮影=大原愛美(編集部)

クリスティアーネ・アイスラー《無題》(1983)。本展で一部作品はヴィンテージプリントとともにその拡大版も展示され、詳細部分にも目を向けることができる。
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 神奈川県葉山町の神奈川県立近代美術館 葉山で企画展「もはやない国のかつてない光 東ドイツの女性写真家たち」が開幕した。会期は8月30日まで。担当は同館学芸員の三本松倫代。

本展の展示ロビーには東ドイツの壁掛け地図や東ドイツ美術の図録が展示されている。写真奥はジビレ・ベルゲマン《アネッテとアンゲラ》(1982)。

 本展は東ドイツの15人の女性写真家によるヴィンテージプリントなどを作家ごとに展示することで、それぞれの個性や問題意識を明確に浮かび上がらせるものとなっている。労働者、家族、若者文化、ファッション、身体表現──同じ東ドイツを生きながら、その視線は驚くほどに多様であることがわかる。

ガブリエレ・シュテンツァーの作品。左から《女性詩人─詩》(1984/2025)、《女性詩人─詩、羽を持った》(1984/2025)。シュテンツァーは自身の身体を用いてジェンダーロールや文化の規範を問い直す実践を行なった。

「知られざる女性写真家たち」では終わらない

 本展の意義は、東ドイツの女性写真家を紹介することだけではない。日本で戦後ドイツ写真が紹介される際、その中心にあったのはベルント&ヒラ・ベッヒャーに連なるデュッセルドルフ派をはじめとする西ドイツの系譜だった。いっぽうで東ドイツの写真家、とりわけ女性写真家たちは長らく写真史の周縁に置かれてきた。だが会場で作品を見てまず驚かされるのは、西ドイツのそれに匹敵する完成度の高い表現だ。デジタル補正も高度な編集環境も存在しなかった時代に撮影された写真は、構図、光、タイミングのいずれも緻密に計算されている。写真史を補完する展示という以上に、一群の優れた写真としての見ごたえも感じられる。

クリスティアーネ・アイスラー《無題》(1983)。本展ではライプツィヒの美術大学で写真を学んだ作家が多く取り上げられている。
エリザベート・マインケによるファッション写真。「東のヴォーグ」と称されたファッション・文化雑誌『ジビレ』の写真のほとんどは女性写真家によって撮影された。マインケは本誌で静物、風景、ファッション写真を発表した。

 当時の社会主義体制下の東ドイツでは女性の就労が積極的に推進され、写真の世界も例外ではなかった。ファッション誌の撮影、工場取材、報道写真、行政からの委託撮影など、その仕事の延長線上で、多くの女性たちが自らの表現を育てていった。

 なかでも興味深いのは、職業写真と作家活動が明確に分離していなかった点だ。ときに対立的に語られることもある「仕事」と「創作」は、東ドイツではひと続きのものとして存在していた。そのことは、会場に並ぶ作品からも感じ取れる。ブリキッテ・フォイクト(1934〜2025)は居酒屋や縫製工場など様々な場所で働く女性のポートレイトを、ウーテ・マーラー(1949〜)は創作性の高いファッション写真を撮影した。社会を記録する視線と個人的な関心とが自然に交差し、それが写真表現として結実している。

ジビレ・ベルゲマンによるファッション写真。ベルゲマンもまた『ジビレ』誌で活躍した代表的な写真家のひとり。
ウーテ・マーラーのファッション写真群 左から《ユーリア》(1979/2025)、《ベビーカーを押すエッダ》(1979/2025)、《ユッタ・ドイチュラント》(1981/2025)。モデルのポージングやモチーフに作家の独創性があらわれる。

社会主義国家のなかで。オルタナティブな存在、消えゆく街、身体、家族、そして女性たちの連帯

 東ドイツは社会主義国家であったものの、その社会の内実は決して均質的ではなかった。クリスティアーネ・アイスラーが記録したパンクシーンや少年院で撮影された写真からは、社会の外縁に生きる若者文化の熱量が伝わってくる。アイスラーのアンダーグラウンドな文化を記録したいという意志と、それを視覚表現として定着させる技術によって、作品は時代の証言を超えた強度を獲得している。東ドイツにもオルタナティブな文化圏が確かに存在していたことを、本展は具体的なイメージによって示す。

クリスティアーネ・アイスラーの作品群。アイスラーはパンクスの若者や少年院の子供など、アンダーグラウンドな場に身を置く人々を被写体として選んだ。
ジビレ・ベルゲマン「デンクマル(記念碑)」シリーズ(1975〜1986)。ベルゲマンは東ドイツと再統一後の社会における日常生活と文化の変容をとらえた。

 国家と都市の変化に向けられた視線を象徴するのが、ジビレ・ベルゲマン(1941〜2010)の代表作「デンクマル(記念碑)」シリーズ(1975〜1986)だ。カール・マルクス(1818〜1883)とフリードリヒ・エンゲルス(1820〜1895)の立像の建立過程を追ったこのシリーズは、巨大なモニュメントが運ばれ、組み立てられ、都市空間へ配置されていく過程を記録した作品だ。もともとはベルゲマン自身の関心から始まった撮影だったが、後に公式記録としても位置づけられることになる。都市が国家の変化を映し出すなか、本シリーズは都市の変化を時間の流れに沿って捉えており、写真メディアの特性が伝わってくる。

エーファ・マーン《大学広場》(1989)。作品内の建物は解体されたものではなく、行政の管理不足により崩壊したもの。

 エーファ・マーン(1947〜)は建築に目を向けた。崩れゆく建物や変貌する街並みを写したその作品は、たんなる風景写真にとどまらない。東ドイツでは、建物が行政の管理が及ばず老朽化によって崩壊した事例も少なくなかったという。被写体となった建築は、そうした社会の変化を物語る痕跡としても読むことができる。

ガブリエレ・シュテッツァーの作品。左が《癒しの大地》(1982/2024)、右が《カルメン─叫び》(1983/2025)。
レナーテ・ツォイン「罹患」シリーズ(1983〜84)より。ツォインは乳がんの治療を受けていた時期の自身の身体と周囲の環境を記録した。

 本展では、ガブリエレ・シュテッツァー(1953〜)による《癒しの大地》(1982/2024)をはじめ、作家自身の身体を用いた作品も多く展示されている。レナーテ・ツォインによる乳がんを経験した身体のヌードを被写体とする実践・「罹患」シリーズ(1983〜84)は、東ドイツにおける女性表現の射程の広さを示しており、フェミニズム史においても重要な作品といえる。

マーギット・エムリッヒ《リビングルーム》シリーズ(1975〜1976)。左から《クリスタ・M(40歳)、教師;娘ヴィニー(15歳)、生徒》、《ヘルベルト・F(27歳)、画家;エリカ・F(22歳)、保育士》。照明や家具などのこだわりが垣間見え、時勢の閉塞的な印象とは対極的だ。
ウーテ・マーラー宛カード類。作品を印刷した写真紙の裏に住所やメッセージが書かれている。

 いっぽうで、家族や住空間を主題としたマーギット・エムリッヒ(1949〜)の「リビングルーム」シリーズ(1975〜76)も印象深い。住まいのなかで撮影された写真には、政治史や年表からは見えてこない生活の感触を感じることができる。家具の配置、壁紙、衣服、身振り。そこには人々の趣味やこだわり、親密な関係性が刻まれている。

 また展示ケースには、女性写真家同士が送り合った写真やメッセージも紹介されている。写真の裏面に残された住所や言葉からは、職業人として活動する女性たちのネットワークが見えてくる。

「閉ざされた国」の向こう側へ

 社会主義国家だった東ドイツは閉塞的な社会というイメージが先行する。しかしその内側では、女性たちが職業人として活動し、国境を越えた交流を築き、写真表現を発展させていた。「もはやない国のかつてない光」が照らし出すのは、失われた国家の記録だけではない。それは女性史、労働史、フェミニズム史、そして写真史が交差する豊かな世界の一幕だ。

ジビレ・ベルグマン《マウアーパーク、ベルリン》(1996/2025)。本展の作品のなかで唯一東西ドイツ併合後に撮影されたもの。開放的な空気感が伝わってくる。
マリア・ゼフツ《インター・エッセ》(1985-87)より20点。本展のためにゼフツ本人が展示デザインを考え、インスタレーションとして展示されている。