2025.11.25

「没後10年 江見絹子ー1962年のヴェネチア・ビエンナーレ出品作品を中心にー」(神奈川県立近代美術館 葉山)開幕レポート。作為×偶然を求めたある画家の挑戦

神奈川県立近代美術館 葉山で、「没後10年 江見絹子ー1962年のヴェネチア・ビエンナーレ出品作品を中心にー」が開幕した。会期は2026年2月23日まで。

文・撮影=大橋ひな子(ウェブ版「美術手帖」編集部)

展示風景より
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 神奈川県立近代美術館 葉山で、コレクション展「没後10年 江見絹子ー1962年のヴェネチア・ビエンナーレ出品作品を中心にー」が開幕した。会期は2026年2月23日まで。

 江見絹子(1923〜2015)は、兵庫県明石市生まれ。神戸市立洋画研究所で学んだのち、1949年から行動美術協会展に出品しはじめる。第4回行動美術展に初入選を果たした後、53年からの2年間米仏に滞在し帰国。56年には横浜の海を臨む山手の丘にアトリエを構え、以来、横浜に居住しながら制作・発表を続けた。

 そんな江見は、日本人女性として初めてヴェネチア・ビエンナーレ(第31回・1962年)に参加したことでも知られる。本展では、ヴェネチア・ビエンナーレの出展作に加えて、同館が所蔵する江見の代表作が15年ぶりに展覧される貴重な機会となっている。

 本展は同館の展示室3bを会場に開催されており、一部を除いて、入り口から時計回りで年代順に作品が紹介されている。会場に入ってまず感じるのは、ひとりの作家の作品が並んでいるとは思えないほど、その作品らの印象が年代によって異なるということだ。印象的なものを順に紹介していきたい。

 まず、52年の第7回行動展で行動美術賞を受賞した《むれ(2)》と、56年のシェル新人賞展でシェル美術賞(三等)を受賞した《生誕》が展覧される。《生誕》は、江見の娘である、作家・フランス文学研究者の荻野アンナがお腹の中にいるときに制作されたものだ。

展示風景より、江見絹子《むれ(2)》(1952)
展示風景より、江見絹子《生誕》(1956)

 58年に制作された《断片》は、幾何学的抽象な作風である。この頃日本ではアンフォルメル旋風真っ只中だったが、江見はそんな流行りのなかでも明確なフォルムを描いた。

展示風景より、江見絹子《断片》(1958)

 そして会場には、今回の目玉とも言える62年の第31回ヴェネチア・ビエンナーレへの出展作8点が紹介される。これらは江見のアトリエにまとまったかたちで残されており、2003年度に同館へ寄贈されたものだ。発見時のものにクリーニングを施し、当時の色彩に近いかたちで公開されている。

展示風景より

 58年の作品が幾何学的抽象の作風だったのに対し、62年のこれらの作品には、そうした幾何学的モチーフはまったく見られない。加えて、その制作手法も非常に特徴的である。江見は自身の旧作を新作の素材として再利用したのである。旧作を自宅の庭にある池に浸して絵具を剥がし、それをふるいにかけて新しい絵具と混ぜ合わせる。そうしてできた絵具を新しいキャンバスに盛りつけるという斬新な手法を用いた。

展示風景より、江見絹子《作品4》(1962)(中央)

 当時アンフォルメルでは作品に砂などを混ぜるといった行為を実践する者もいたが、江見は油絵具とキャンバスという素材にこだわったうえで、自身の作品に偶然性を取り入れようとしたのかもしれない。

 本展では興味深い小作品も紹介されている。59年に制作された《作品(クリマ)》は、58年までに制作された幾何学的抽象の作品を火で炙ったものだ。作品の表面に煤がついていることから、火の上に作品を持ち上げたことが予想できる。62年より前に、すでに自然の摂理による偶然性を取り入れる制作スタイルが垣間見える。

展示風景より、江見絹子《作品(クリマ)》(1959)

 続いて、第5回現代日本美術展に出展され、鎌倉近代美術館賞を受賞した《作品1》と、その隣にまた作風の異なる《クロノスの貌》(1975年)が紹介される。

展示風景より、左:江見絹子《作品1》(1962)、右:江見絹子《クロノスの貌》(1975)

 この2点の制作時期の間には13年の時が流れる。75年以降、江見は絵具を薄く伸ばしてキャンバス上に流すという制作手法をとった。大きなキャンバスを江見が自身の手で持ちあげ、傾けながら絵具を流すという大変重労働な作業であったという。自然の摂理による偶然を取り入れる動きは、このときにも実践されている。

 80年に制作された《FUDARAKU》は、江見の代表作のうちのひとつ。江見の母親が亡くなった直後に制作した作品だ。当時江見は泣きながら本作を描いていたという。

展示風景より、江見絹子《FUDARAKU》(1980)

 86年頃からまた作風が変化する。自然の摂理による偶然を取り込むだけでなく、自身の筆跡をキャンバスに残す作為的な方法にも挑戦していた。86年の《幻想と秩序》にも、その兆候が見てとれる。

展示風景より

 娘の荻野アンナ曰く、「江見絹子は自己模倣を絶対にしなかった」。文学や写真、社会状況など様々なものからインスピレーションを受けながら、試行錯誤を経て作風の異なる作品をつくり続けた江見は、つねに自身への挑戦を続けていた。没後10年という節目の今年に、江見絹子という作為と偶然による制作に挑戦し続けた1人の作家の、画業をたどってみてはいかがだろうか。

江見の娘である、芥川賞作家の荻野アンナ