3DCGから獲得した色理解で印刷物をデザインする。橋本麦評「八木幣二郎 NOHIN: The Innovative Printing Company 新しい印刷技術で超色域社会を支えるノーヒンです」
東京・銀座のギンザ・グラフィック・ギャラリーで開催された第402回企画展「八木幣二郎 NOHIN: The Innovative Printing Company 新しい印刷技術で超色域社会を支えるノーヒンです」を、映像作家・橋本麦がレビュー。3DCGを用いた視覚表現と、それを実現するための印刷技術の試行錯誤について、ソフトウェアの特徴と八木によるテクノロジーの解釈の視点から掘り下げる。
3DCGから獲得した色理解で印刷物をデザインする
ウェブ版「美術手帖」上に掲載されたこの記事を、恐らくほとんどの方はディスプレイを通して読んでいることだろう。筆者もまた、iPhoneで撮影した展示の写真を眺めながら、このテキストを2800×2560ピクセルのディスプレイに表示されたアプリで執筆している。ここでふと、印刷技術とディスプレイ技術の違いについて思いを馳せてみる。印刷とは、不透明な平面に版を重ね、環境光の反射によってイメージを表現する技術だ。いっぽう、ディスプレイは、パターンを成して配置された素子が蛍光することでイメージを表示する、いわば光る面だ(*1)。一般に、印刷の色域はRGBよりも狭いと言われている。例えば、PhotoshopでキャンバスカラーをRGBからCMYKに変換すると色褪せて見える。しかしそれは、CMYKの4版を混ぜ合わせたプロセスカラーにおける話である。特色もある。紙に限らず様々な支持体を選ぶことができ、エンボス加工もできる。あるいは、その印刷物が見られる環境光のほうをコントロールすることも、プロジェクトによっては可能だ。画素あたりの自由度がつねに3のディスプレイと異なり、印刷はそのデザインの数だけ、(予算が許す限り)複数の版からなる色空間をつくり上げることができる。
映像やWebといった領域で、ディスプレイ上の表現を扱う筆者は、そうした印刷表現の持つ豊かさにささやかな憧れを抱いてきた。そして、映画のVFXへの憧れという近しい原体験を持ち、Zbrushといった3DCGソフトに触れながらも時にグラフィック・デザイナーを名乗る八木幣二郎の、その領域横断的な活動をかねてからフォローしていた。その彼がデザインの聖地とも言うべきギンザ・グラフィック・ギャラリー(ggg)で展示をするのだから、足を運ばずにはいられなかった。架空の印刷会社「NOHIN(ノーヒン)」や、Zbrushを思わせる架空の技術「Z線印刷」が織りなす偽史。日本のデザイン史に残るポスターと並置された彼のグラフィック。「デザインの展示」としての社会的、スペキュレイティヴな側面について言及したいところだが、そうした批評は後にも先にも多く書かれるであろうから、映像作家であり「ツールおたく」でもある筆者としては、無粋にもあえて技法的・技術的側面に注目し、そこから見えるグラフィック表現や制作環境のいまについて触れてみたい。
ところで、Zbrushとはモデリングソフトのひとつである。粘土をこねるように造作できるその特徴的な操作性から、VFX業界で動物やクリーチャーなどのデザインに使われてきた。Zbrushには、モデル表面に色を吹き付けることのできるテクスチャリング機能も搭載されている。その際、多くのデザインツールのようにたかだか4つのスライダーを調整して色を選ぶのではなく、じつに多くのパラメーターを指定する必要がある。光を受けたときどの色を拡散するか。どのくらいマットで、あるいはどのくらい金属光沢を持っているか。表面がどう光を放射し、微細な凹凸を持つか。こうしたチャンネルが「版」を成してモデルを幾重にも覆うことで初めて、それが空間内でどのように光を反射するかを記述することができる。このように、3DCGにおける色とは定数値としてではなく、反射表面に対する入射光と視線角度の関係性のもとに、関数として表現される(*2)。
「反射と拡散をデザイン」する
本展示のグラフィックで目を惹くのは、ツヤ盛り加工や立体UVプリント、アクリル版への出力といった特殊印刷だ。そこには3DCGというテクノロジーを経た八木の拡張された色理解が、版表現として反映されている。ZBrushのマテリアルには拡散や鏡面反射といったチャンネルがあるのだが、まさしくアーティストの布施琳太郎がその寄稿文で触れていたように、彼は「色彩ではなく反射と拡散をデザイン」しているのだ(『ggg Books 137 八木幣二郎』、 DNPアートコミュニケーションズ)。
こうした物性と不可分な色理解は、本来自然なものなのかもしれない。例えば、ガジェット製品のカラーリングで時折目にする、マットブラックやピアノブラックという色名は光沢という情報を含んでいる。物体表面のツヤは視線を変化させたときの反射から把握できるものだ。同様に、金色や玉虫色も、3次元的な周辺光の映り込みや色変化のパターンから表象される。このように表色系上のただひとつの点には還元できない色彩の反射のありようを、私たちは自然と「色」として扱っている。もっとも、より根源的に色を考えるならば、右目で赤、左目で緑を見たときに重なり合って見えるチカチカ(*3)のように、物理的性質に還元できない現象学的なものとしてとらえるべきかもしれない。いずれにせよ、ポスターは公共空間のなかで通り過ぎられながら見られるものであるから、こうしたメディアにおける色とは、変化する環境光や視線角度という外部入力に呼応して色彩の反射率を変化させる関数的なものとして理解されなくてはならない。
DTP革命によって、デザイナーは紙への出力を経ずとも、表示内容が可変なディスプレイ上でその造作を試行錯誤することができるようになった。この意味で、ディスプレイは印刷技術を内包するメタ・メディアとなった。しかしディスプレイは、ブラウン管の時代から視線角度や環境光に依らず、一定の色彩を一定の強度で知覚できるよう改良されてきた。視野角が液晶ディスプレイの性能指標といて用いられたことや、Apple製品における周辺光に応じてディスプレイの色温度を自動調整するTrue Tone機能の登場がその例だ。こうした技術は、デザイナーにとっての色への理解を現実世界に根ざした動的なものから、カラーコードのような恒常的な存在へと純化させる。例えば、「#000000」は黒であり、それ以上のものではないように思える。しかし、近年有機ELやミニLEDの普及により、バックライトによる黒浮きは軽減され、より完璧な漆黒へと近づいている。「グルーのパラドックス」よろしく、「#000000」に対応する物理現象は2017年前後(*4)を境にすり替えられているのだ。しかし、とくにWebやUIデザインなどのオンスクリーン領域では、RGB色空間が前提として深く浸透したために、物理や知覚に則した色理解から疎外され、配色は記号としてのカラーコードの組み合わせに退行した。
デザインツールがソフトウェア化され、UIの直接編集性が高まっても、拡散と反射からなる印刷物と光るディスプレイには超えられない隔たりがある。畢竟、版下や写植の時代から変わらず、プレビューの向こうに紙に印刷され、光のなかに置かれたときの拡散と反射、そして手触りを想像するのが「紙」のグラフィック・デザイナーに求められる力なのだろう。こうしたことは改めて説明されるまでもない前提知識でもある。しかしディスプレイを表現の場とする筆者には、そうした手技や身体性の世界が時折新鮮に感じられる。だからこそ、3DCGというディスプレイ技術とともに発展したテクノロジーを経由し、往年のデザイナーとは異なるアプローチから物性理解に到達した八木のスタイルは現代的でもあるとともに、ユニークなのだ。
テクノロジーの誤用から生まれた新たな表現
もうひとつ彼のポスターにおいて特徴的なのが、その階調表現だ。想像ではあるが、3DCG空間内に極端に浅い被写界深度のレンズを置き、その前にグラフィックをマルチプレーン撮影のようにレイヤー状に配置する。そして、その一部を合焦面から前後させることで、タイポグラフィや図版を滲ませるような効果をつくり出す。カメラ内の光学現象をシミュレーションするための機能を誤用することで、主要なベクターグラフィックツールにおけるグラデーション機能ではつくり出すことのできない階調表現を表現しているのだ。さらに、3Dシーンを低品質でレンダリングした際に残るノイズを意図的に残し、さらにその上からディザと呼ばれる効果を加えて分版することで、独特の点描効果を生み出している。もっとも、そのディザも、配列法や誤差拡散法といった一般的なアルゴリズムをそのまま用いずに、歪みや独特のパターンを加えているのだが。そうしたディティールの積み重ねで、並行世界のグラフィックデザインのような異質さを生み出し、「Z線印刷」という架空の技術に説得力を持たせている。
グラフィックデザインや映像制作において、ソフトウェアへの移行とその高機能化は、制作者を精密な身体制御や単純反復から解放し、成果物の高次構造にフォーカスすることを可能にした。それと呼応するように、少なくともオンスクリーン領域におけるデザインの議論の中心は、色彩やテクスチャといった手触りの構成からコンポーネントの組み合わせへ、そして、どうユーザーに体験を提供し、関係を結ぶかという社会的なものへと移行した。ディティールへのこだわりは、色空間、PostScriptやCSS3といった規格、あるいはデザインシステムによって無意識に規定され、またAcidgraphicsやY2K、Chrometypeといったインターネット・エスセティック の影響にもさらされる。ツール、フォーマット、そしてスタイルの隙間を軽やかに縫う彼の手つきは、そうした「ぽさ」に慣らされた私たちの感覚をほぐしてくれる。彼の、こうしたグラフィックシーンにおけるアウトサイダー的な態度は、3DCGツールへの理解に加え、「ディスプレイ派」と名付けられた動向にまつわる議論や展示(*5)といった、同世代の現代美術家や写真家、メディア・アーティストとの交流も影響しているのだろう。
いささかバランスに欠けるレビューになってしまった。兎も角も、言葉で語ろうとすると企画としてのギミックや思弁性にフォーカスされやすい本展示だが、ツール、画素、物性からボトムアップに立ち現れてくる強度についても、同じ制作者としてどうしても触れておきたかったのだ。
*1──電卓などに使われるバックライトの無い液晶ディスプレイや、E-Inkといった例外はあるが。
*2──3DCGにおける陰影表現の物理モデルとしては、双方向反射率分布関数(BRDF; Bidirectional Reflectance Distribution Function)などが実際に用いられている。
*3──Reddish greenなどとも呼ばれる。https://en.wikipedia.org/wiki/Impossible_color
*4──それぞれのメーカーにおいて初のOLED搭載機器となるiPhone X、Pixel 2 XLの発売年
*5──企画展「ディスディスプレイ」(2021年7月7日〜25日、CALM & PUNK GALLERY)