美術批評はいかにして輸入されるのか? 1997年1〜3月号連載「他の批評基準」
『美術手帖』創刊70周年を記念して始まった連載「プレイバック!美術手帖」。アーティストの原田裕規が美術手帖のバックナンバーを現在の視点からセレクトし、いまのアートシーンと照らしながら論じる。今回は、1997年1〜3月号で連載された「他の批評基準」をお届けする。

美術批評はいかにして輸入されるのか?
これまで『美術手帖』では、世界的に重要な論考がいくつも翻訳・紹介されてきた。フェミニズム美術史の嚆矢となったリンダ・ノックリンの「なぜ女性の大芸術家は現われないのか?」(松岡和子訳)、ポスト・インターネットの記念碑的論考とされるアーティ・ヴィアカントの「ポスト・インターネットにおけるイメージ・オブジェクト」(中野勉訳)などがその代表的な例だ。
こうした訳出論考のなかでもとりわけ重要で、いまでも度々引用されているのが、アメリカの美術史家レオ・スタインバーグの「他の批評基準」だ。林卓行の訳により、本誌の1997年1~3月号に掲載されたこの論考では、モダニズムの批評家クレメント・グリーンバーグの形式主義的な批評(一元的な発展史観)が批判され、それに代わる「他の」批評基準(多元的な歴史観)が示されている。
ここでキーワードになるのが「平台型絵画平面(flatbed picture plane)」という概念である。ルネサンスの理論家アルベルティが絵画を窓の比喩を用いて語ったように、絵画は長らく鑑賞者に対して垂直の場(=窓のような存在)であり続けてきた。
それに対してロバート・ラウシェンバーグらの作品では、視線を足元に90度回転させたような水平性を見て取ることができる。スタインバーグはこれを「天板」や「図面」の比喩を用いて語り、そこでは何かが「再現」されるのでなく「種々のものが散りばめられ、データが記入される」と論じている。従来的な絵画を語る軸(主題/形式、抽象/具象など)を離れて、視点の枠組みをラディカルに変えてしまったという意味で、その試みはパラダイムシフトだったと言える。その新たな認識は、D・クリンプやR・クラウスといった後代の批評家にも大きな影響を与えることになった。
ところで、ここで論考の紹介時期について改めて確認しておきたい。1968年に初めて発表された本論が日本語に訳されたのは97年のことだった。なぜ、30年近い時を経ての訳出だったのだろうか。それを考えるうえで見逃せないのはその執筆姿勢である。
本論考では新たな「理論」が示されるのみならず、執拗な記述によって、自らの批評基準を「他」に向けて不断に問い直すという態度が身をもって示されていた。この態度こそが、強い言葉で人々を扇動する(グリーンバーグ的な)指導者タイプの批評家像でなく、自らを省みることで倫理的な問いを模索する伴走者タイプの批評家像として、当時共感をもって受け入れられたのではないだろうか。その意味で本論の(再)受容には、社会的に求められる批評家像の変化もまた反映されているのかもしれない。

(『美術手帖』2025年10月号、「プレイバック!美術手帖」より)


