櫛野展正連載「アウトサイドの隣人たち」:霧の中から立ち上がる命

ヤンキー文化や死刑囚による絵画など、美術の「正史」から外れた表現活動を取り上げる展覧会を扱ってきたアウトサイダー・キュレーター、櫛野展正。2016年4月にギャラリー兼イベントスペース「クシノテラス」を立ち上げ、「表現の根源に迫る」人間たちを紹介する活動を続けている。彼がアウトサイドな表現者たちに取材し、その内面に迫る連載。第91回は、自閉症スペクトラム症・ADHDと診断された岩田大陸さんが、「半機械」の生き物たちの制作を通じて自身と向き合い続けてきた軌跡について考察する。

文=櫛野展正

岩田大陸さん
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 伊豆半島の付け根に位置し、箱根の山々と富士山を間近に仰ぐ静岡県田方郡函南町。この町に暮らす岩田大陸(いわた・りく)くんは、誰に見せるためでもなく、自室で黙々と自分だけの「生き物」たちをつくり続けてきた。方眼紙や爪楊枝、磁石、そして日用品などを道具や素材として組み合わせ、動物と機械が融合したような「半機械」の生態系を生み出している。これまで公募展や展覧会への出展歴は一切なく、作品は家族のなかだけで大切に保管されてきた。

 大陸くんは、2007年に4人兄弟の長男として生まれた。幼少期の大陸くんは好奇心が旺盛で、じっとしていない子供だった。母親の千恵さんが当時の保育所での様子を振り返ると、彼は集団の輪に入ろうとせず、いつもひとりで好きなことに没頭していた。隅で静かに座っているのではなく、ひとりで動き回っているタイプだった。その姿に千恵さんは「落ち着きのない子だな」と違和感を覚えた。幼稚園の頃は「普通学級で大丈夫」という周囲の言葉を鵜呑みにしていたが、小学校に入ると状況は一変する。小学校1年生の初めての参観日前日、担任から電話がかかってきた。「大陸くんを見て驚かないでください。先に伝えておきます」。実際に教室へ行くと、彼は落ち着きのない様子で、10分と座っていられず、授業にも向き合うことができていなかった。「何かあるのかしら、まずいな」。千恵さんがそう思い始めた矢先、友人関係のトラブルも起きてしまう。

 ちょっとした悪戯が過ぎたり、コミュニケーションが上手く取れなかったりすることで、次第に周囲と距離ができていった。8歳で療育手帳を取得し、自閉症スペクトラム症とADHDの診断を受け、小学校3年生からは特別支援学級へ入った。

 中学校に入ると、大陸くんは周囲との違いをより鮮明に意識するようになる。自己肯定感は著しく低下し、自分を責めることが増えていった。朝になると「学校に行きたくない」と泣き出し、不安定な感情のコントロールに苦しむ日々。周囲は決してそう思っていないのに、激しい思い込みや勘違いから「自分は嫌われている」と袋小路に入り込み、「どうやったら死ねるかな」と漏らしたり、壁に頭を打ちつけて自傷に及んだりすることもあった。物事を0か100かで捉えてしまい、冗談も通じない。友達関係を築くことは難しく、千恵さんに「どんなことがあってもママにはわからないでしょ」と、孤独な胸の内をぶつけることもあった。

 中学から高校へ入っても、その辛さは尾を引いている。高校2年生まで服薬を続け、思い詰めながらもなんとか登校はしていたが、精神的な負担から次第に痩せ細っていった。特に彼を苦しめたのは、感覚過敏に伴う「痛み」への極端な恐怖だった。高校2年生の頃、サッカーの最中に相手の肘が肋骨にぶつかった。普通の人ならやり過ごせるような衝撃であっても、感覚が過敏で「絶対に痛い」と思い込んでしまう彼にとっては、「このまま死んでしまうのではないか」という耐え難い恐怖に直結した。その不安を拭い去るために、3つもの病院を巡った。専門の医師に「大丈夫だ」と直接言ってもらうことでしか、彼は納得し、安心することができなかったのだ。

 「自分に余裕がなくて、一時期は制作もやめていました。ストレスが限界突破して、何も気力がなくなって。痩せていく自分を見て『このまま死ぬんじゃないか』という負のスパイラルに陥っていました」。

 その暗闇のなかで、彼は「時間が経てば治るんだ」と自分に言い聞かせ、ずっと先の未来の自分を想像しながら必死に耐えてきた。転機となったのは特別支援学校での活動だった。月・火・木と長時間行われる木工班での作業。電動鋸で木を切るといった無心の活動が、嫌なことを忘れさせてくれた。「少しずつ、気持ちが戻ってきたんです」と彼は振り返る。

 高校3年生になり、心はだいぶ落ち着いてきた。いまも週末は家で過ごし、学校にすごく仲の良い子がいるわけではない。周りの子たちの関心はゲームやスマホに向けられており、同じ趣味を持った相手もいない。学校では周囲に話を合わせるようにして過ごしており、「親友以下、友達以上。それ以上はいません」と大陸くんは語る。それは、人との距離感に悩み抜いた彼が辿り着いた、自分を守るための切実な境界線なのかもしれない。

 そんな大陸くんにとって、創作の原点は幼少期の「分解」にある。買ってもらったおもちゃをすぐに壊してしまうため、千恵さんは困り果てていたが、「壊したかったわけではない。組み立てられた内部の部品を見たい、仕組みを知りたいという欲求が勝っていたのだと思う」と千恵さんは当時を分析する。小学校の廊下を自作の段ボールの鎧で練り歩いた少年は、中学生になると段ボールや木材を使って武器などを制作するようになる。中学3年生の頃には、学校で余っていた木を削ってスコップや大きな爪楊枝をナイフで削り出すまでになった。

大きな爪楊枝

 やがて高校生になり、素材は「方眼紙」へと行き着く。段ボールだと切った断面にバリや穴が出てしまうが、画用紙の裏面であればより細かい加工ができると考えたからだ。驚くべきことに、大陸くんの制作に設計図や下書きは存在しない。すべては彼自身の感覚を頼りに進められていく。

 「大雑把なイメージはあるけど、霧の中にあるパーツのような感じ。頭の中で一度パーツを組み立ててみて、それを一つひとつ分解していく。うまく行ったらそのパーツを取り出して、現実につくっていくんです。部位を作ると鮮明になり、モヤが晴れて制作しやすくなる」。

岩田大陸さん

 その技法も独特なものだ。例えば、綺麗な曲線をつくるために「ムヒのキャップ」の丸みを帯びた形状を土台にして骨組みをつくり、かたちが整ったら外すといった型取りの手法を用いている。方眼紙を何枚も重ねて厚みを出し、一部の表面を剥がして毛羽立ちをつくり、単色ながら素材感の違いを表現するなど、複雑な構造体を組み上げている。最近では「可動域を広くしたらもっとカッコ良くなるかも」と考え、レゴブロックのボールジョイントパーツを骨組みに採用するなど、技法はつねにアップデートされている。

 ハシビロコウ、ラクダ、気球。彼のオブジェが放つ不思議なリアリティは、彼自身の「乗り手」としての視点から来ている。宮崎駿監督・スタジオジブリ制作の『ハウルの動く城』や『天空の城ラピュタ』、あるいはジョージ・ミラー監督の映画『マッドマックス』のような世界観を好む彼は、「想像している世界のシルエットを出してみよう」という決意のもと、制作を進めている。「どういう環境で、どういう動き方をするのか。それを考えるのが一番楽しい。砂漠なのか、平地なのか、あるいは水の中なのか。自分がその乗り物に乗った気になって、操縦席からの景色を想像しながら制作しています」。

ハシビロコウ
ラクダ

 例えば「気球」の制作では、強いこだわりが随所に見られる。習字の半紙を骨組みに貼り、透けないように一枚ずつ重ねて膜をつくることで、独特の重厚感を生み出した。しかし、その気球自体の重みで下の船が潰れてしまうという課題に直面する。そうした構造上の困難を一つずつ乗り越えることで、彼の表現はより強固なものになっていった。ピストルのような形状をした戦車の作品では、普通の戦車よりも独自性を持たせたいと、車輪ではなく「動物の足」を生やした。それぞれの環境下で「どうすれば実際に動かせるか」という理屈を突き詰めていく大陸くんの想像力は、つねにリアリティに裏打ちされている。

気球

 彼は自分の作品に対し、極めて客観的な視点を持っている。他人から見てどう見えるかをつねに意識し、外からは見えない内部構造までつくり込んでいる。爪楊枝とストッパーでは劣化してしまう接続部には、磁石を仕込んで耐久性を持たせている。「お粗末なものが世に出たら、恥ずかしい」と語る彼は、世の中の職人たちの緻密な仕事に敬意を払っている。一度つくり終えると燃え尽きて辞めようと思うが、しばらくするとまた頭のなかに設計図が浮かび、制作をはじめてしまう。それは彼にとって、かつてはストレス発散の手段であったが、最近では純粋に楽しむものへと変化してきている。

内部構造までつくり込まれた作品

 卒業後は近所のスーパーマーケットでの勤務も決まった。最近では「朝食べないと体力が持たない」と自覚し、生活を整えられるようになってきている。「次はまた船をつくってみようかと思っています」 。早ければ3日ほどで一気に制作してしまうという驚異的な集中力。岩田大陸というひとりの若者が、自室で霧を晴らすようにつくり上げてきた「半機械」の生き物たち。それは、彼が過敏な感覚や生きづらさと向き合いながら、自分の手で世界を構築し直してきた軌跡そのものである。

 取材後、SNSに投稿したところ、特にFacebookには5500件を超える「いいね」が付き、その反響が鳴り止まない。「素晴らしい」「圧倒されました」「一緒に展覧会がしたい」といった応援メッセージも次々と寄せられた。かつて「ママにはわからない」と孤独を深め、自分を守るために他者との距離感を取ってきた大陸くん。その彼が、自室の片隅で静かに生み出してきた「生き物」たちが、いま、多くの人々の心に勇気と感動を届けている。春から社会人として新たな一歩を踏み出す大陸くんにとって、これらの温かなエールは、彼が構築してきた独自の世界が、外の世界とも確かにつながっていることを証明する何よりの光となったはずだ。これからも彼は、自分にしか見えない「霧」を晴らしながら、誰にも真似できない命を吹き込み続けていく。