EXHIBITIONS
トロイメライ
原美術館ARCで「トロイメライ」が開催されている。
以下、本展の展覧会ステートメントとなる。
「私たちは夢を見ます。夜ごと、あるいは街を歩きながら。目に映る風景の色や、聞こえる音、触れているものの重さや温度などに普遍的な事実があったとしても、受け止め方は人それぞれ。嬉しいことがあれば世界が輝いて見え、悲しいことがあれば近くにいる人の声を遠くに感じることもあります。この気持ちと身体の相互作用は、いま、確実に自身に起きていることではあるのに、夢をみているかのように曖昧で、とらえがたく、その実感を誰かと共有することも難しいものです。
夢とは眠るときにだけ見るものとは限りません。例えば、美しい景色やメロディに心を奪われる瞬間や、小説、映画や舞台の物語に没入している時間に、あなた自身はどこにいるといえるでしょうか。デジタルの画面のなかと、怪我をすれば痛みを感じる生身の身体の両方を行ったり来たりしている私たちにとって、いまや現実と架空を完全に切り離すことはナンセンスのようにも思えます。『現実(リアリティ)』とはどこかにあるものではなく、それぞれの実感=『確かさ』をたどる行為そのもの。まるで一枚ずつ見えないヴェールをかいくぐりながら歩みを進めるように、私たちはつねに、幾重にも折り重なった夢を現実に見ている状態だといえるのかもしれません。
時にアーティストは、不確かなイメージをとらえようと多様な表現を試みてきました。彼らが思い描き生み出した作品は、私たちに新しいビジョンを見せてくれます。そして美術館では、収蔵庫の中で静かに眠っている作品を呼び起こすのは学芸員の役割ですが、どのような『トロイメライ=夢見ごと』を立ち上げるのかは鑑賞者一人ひとりにゆだねられます。希望、理想、幻想、無意識、眠り……。本展では、誰もが身近に感じながらもその多彩さゆえに謎めく『夢』、『夢を見ること』をキーワードに作品を紐解いてゆきます」(展覧会ウェブサイトより)。
以下、本展の展覧会ステートメントとなる。
「私たちは夢を見ます。夜ごと、あるいは街を歩きながら。目に映る風景の色や、聞こえる音、触れているものの重さや温度などに普遍的な事実があったとしても、受け止め方は人それぞれ。嬉しいことがあれば世界が輝いて見え、悲しいことがあれば近くにいる人の声を遠くに感じることもあります。この気持ちと身体の相互作用は、いま、確実に自身に起きていることではあるのに、夢をみているかのように曖昧で、とらえがたく、その実感を誰かと共有することも難しいものです。
夢とは眠るときにだけ見るものとは限りません。例えば、美しい景色やメロディに心を奪われる瞬間や、小説、映画や舞台の物語に没入している時間に、あなた自身はどこにいるといえるでしょうか。デジタルの画面のなかと、怪我をすれば痛みを感じる生身の身体の両方を行ったり来たりしている私たちにとって、いまや現実と架空を完全に切り離すことはナンセンスのようにも思えます。『現実(リアリティ)』とはどこかにあるものではなく、それぞれの実感=『確かさ』をたどる行為そのもの。まるで一枚ずつ見えないヴェールをかいくぐりながら歩みを進めるように、私たちはつねに、幾重にも折り重なった夢を現実に見ている状態だといえるのかもしれません。
時にアーティストは、不確かなイメージをとらえようと多様な表現を試みてきました。彼らが思い描き生み出した作品は、私たちに新しいビジョンを見せてくれます。そして美術館では、収蔵庫の中で静かに眠っている作品を呼び起こすのは学芸員の役割ですが、どのような『トロイメライ=夢見ごと』を立ち上げるのかは鑑賞者一人ひとりにゆだねられます。希望、理想、幻想、無意識、眠り……。本展では、誰もが身近に感じながらもその多彩さゆえに謎めく『夢』、『夢を見ること』をキーワードに作品を紐解いてゆきます」(展覧会ウェブサイトより)。