「インタラクティヴ・アートは体験されて初めて成立する」。三原聡一郎・平川紀道が語る三上晴子作品の修復と継承

NTTインターコミュニケーション・センター [ICC]で開催中の企画展「知覚の大霊廟をめざして──三上晴子のインタラクティヴ・インスタレーション」(〜3月8日)。2015年に病気により急逝した作家・三上晴子の生前、作品制作に参加し、没後にはその修復にも携わったアーティストの三原聡一郎と平川紀道に話を聞いた。

聞き手=中島良平 写真提供=NTTインターコミュニケーション・センター [ICC]

左から、三原聡一郎、平川紀道 撮影=冨田了平
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 メディア・アートの先駆者のひとりであるアーティスト・三上晴子(1961〜2015)は、1984年より情報社会と身体をテーマとした大規模なインスタレーション作品の発表を開始した。そして1990年代半ばからは、人間の知覚にフォーカスし、インターフェイスを介したインタラクティヴな作品を手がけるようになる。90年代前半の4作品が近年、東京都現代美術館に収蔵されるなど、再評価の機運が高まっている。

 その三上によるインタラクティヴ・インスタレーション作品3点が同時に展示される国内外でも初めての機会として、「知覚の大霊廟をめざして──三上晴子のインタラクティヴ・インスタレーション」(〜3月8日)は注目を集めている。こうした展覧会の実現は、近年の再評価の機運をかたちにしたものと言えるだろう。そのいっぽうで、テクノロジーと密接に関わるメディア・アートならではの問題も横たわっている。保存と修復に関する問題だ。

 作家本人が2015年に仕様書などをほとんど残すことなく急逝したため、作品が故障した場合や、作品に用いられているハードウェアが製造中止になった場合などに、どのように修復すべきかという課題が残されている。いっぽうで三上は、作品が展示されるたびに最新の技術を取り入れ、アップデートすることにも積極的だったという。そのような経緯を踏まえ、作品の委嘱元である山口情報芸術センター[YCAM]や、当時の制作関係者によって、作家の死後も修復や一部再制作が行われてきた。

 多摩美術大学の学生時代に三上の指導を受け、卒業後もアーティストとして活動しながら三上の作品制作にも携わった三原聡一郎と平川紀道に話を聞いた。

インタラクティヴ・インスタレーションの修復にあたって

──まず、おふたりが制作と修復に携わったのは、どの作品のどの部分ですか。

平川紀道(以下、平川) 僕が関わったのは、今回展示されているうちの《欲望のコード》(2010/2011)と《Eye-Tracking Informatics》(2011/2019)という2作品です。《欲望のコード》では、「巡視する複眼スクリーン」と名づけられた丸いスクリーンに映し出される映像を担当し、視覚的なデザインとアルゴリズムのデザイン、プログラムの実装をしました。

 《Eye-Tracking Informatics》では、映像のデザインとプログラミングを行いました。この作品では体験者の視線を読み取るのですが、2018年の修復時に2011年に使用していた視線をトラッキングするシステムが最新のOSでは動かないことがわかったんです。その時点で、将来的に使っていけるであろうシステムをリサーチした結果、Pupil Labsというベルリンのスタートアップがつくっているデバイスを採用することになり、この作品のためにカスタマイズしたプラグインを書いたりもしました。

展示風景より、三上晴子《欲望のコード》(2010/2011)の「蠢く壁面」 撮影=木奥恵三
展示風景より、三上晴子《欲望のコード》(2010/2011)の「巡視する複眼スクリーン」 撮影=木奥恵三

──《Eye-Tracking Informatics》は、当初はリング状の構造体に設置したカメラで鑑賞者の視線をトラッキングしていましたが、2018年のアップデートではメガネ型デバイスへと変更されました。その結果、作品のコンセプトは維持されつつも、身体が拘束されるような体験は失われたとも言えます。この変更については、どのような協議が行われたのでしょうか。

平川 あのリングが、あの作品においてどういった存在なのかということを三上さんと議論したことがないので、何を基準にどこまで変更してよいのかということは関係者らで話し合いながら進めました。修復前のシステムでは、カメラがリング、つまり椅子の一部に固定されているので、鑑賞者が動いてはいけないという状況が発生していたわけですが、メガネ状になったことで、自分の首が動いたとしても目とカメラの相対的な位置は変わらず、技術的に身体を固定する必要はなくなりました。ただ、いざリングを外してメガネを通して体験してみたところ、何か体験の質が変わってしまったという印象を居合わせたメンバーが、みな同様に感じていました。

三上晴子 Eye-Tracking Informatics──視線のモルフォロジー 2011 撮影=木奥恵三

 三上さんが「病院のような感じにしたい」と話していたことは、共通の認識でした。歯医者や眼医者で、自分が診療台に寝かされて、治療中に動くと自分の身に危険が及びそうだから動けない、という感覚が生まれると思うのですが、リング状の構造体は、計らずもそういった拘束感を体験者に与えていたわけです。技術的にはリングが不要になりましたが、作品体験の質を変えないことを優先し、椅子にアームレストを設け、そこに腕を置くことで身体を固定される感覚を残しました。

展示風景より、三上晴子《Eye-Tracking Informatics》(2011/2019)。写真は2019年に撮影されたもので、リング状の構造体はメガネ型デバイスへとアップデートされている 撮影=木奥恵三
展示風景より、三上晴子《Eye-Tracking Informatics》(2011/2019) 撮影=木奥恵三

──三原さんはどのような部分に携わったのでしょうか。

三原聡一郎(以下、三原) 僕は2006年から2013年まで山口情報芸術センター[YCAM]に勤め、その期間中に三上さんに委嘱した作品の多くに関わっていました。今回の展示作品《欲望のコード》には大きく分けて「蠢く壁面」「多視点を持った触覚的サーチアーム」「巡視する複眼スクリーン」と名づけられた3つの要素があるのですが、その全体の技術的なリアライゼーションの統括を行いました。そして、三上さんが亡くなった後の2016年ぐらいから作品の修復を始め、2019年の札幌国際芸術祭に出品するはずだったのですが、コロナウイルスによるパンデミックで中止となり、今回が修復後の初めての展示となります。

 まず、三上さんが亡くなった段階から、YCAMが遺族と契約を交わし、作品の管理を一任していただける状況になっていました。《欲望のコード》が2010年に完成してから、海外巡回なども行ううちに不具合の出てくる部分が少なからずあり、それは随時直していたんですね。金型を交換したり、モーターの取り付け方を変更したり、結構細かな部分です。展示を最適化するために技術的な部分を三上さんに提案すると、基本的にノーということはなく、任せていただいていました。そうした経緯があるので、三上さんが亡くなって修復することになってからは、インスタレーションの耐久性と堅牢性を優先し、ハードウェアの部分に関しては踏み込んだ修復を徹底的に行いました。

《欲望のコード》の設営風景。左から、白井伸樹(東京スタデオ)、鹿島田知也(ICC学芸員)、指吸保子(ICC学芸員)、三原聡一郎
《欲望のコード》の設営風景。左から、三原聡一郎、田部井勝彦(MeAM Inc.)

作者不在の作品をどのように継承するのか

──修復にあたっては、制作当時の記憶や判断が重要だったと思います。三上さんとは、生前どのようにコンセプトやイメージを共有していたのでしょうか。

平川 三上さんの指示はコンセプトを論理的な言葉で伝えると言うよりも、具体的な例や、そうでない場合は擬音などの感覚的なものを多用したものでした。《欲望のコード》の「巡視する複眼スクリーン」でいうと、昆虫の複眼という大きなモチーフの話がまずあり、踏み込んだ内容としては、インターネットから監視カメラの映像を取り入れ、過去の映像と壁に設置したアームカメラが拾った映像をリアルタイムでキャプチャーしてあわせて使えるようにしたい、といった映像素材の指示がありました。

 それからプロトタイプをつくり、実際に見ていただきながら制作を進めました。やはり、昆虫の複眼の印象を映像でどう表現できるのか、どういったアルゴリズムでそれが実現できそうなのか、ということは、言葉で説明しても共有しきれないので、僕が行うプログラミングと三上さんが想像していることの結びつく部分を手探りで見つけようとしました。そもそも複眼は光を見る器官であって映像を映す器官ではないわけなので、それがどういったものであるべきなのかは、おそらくふたりともわかっていなかったと思います。

──三上さんのイメージを具現化するプロセスを平川さんのプログラミングが担う、ということですね。

平川 僕にとっても初めてつくるものですし、三上さんにとっても初めて見るものができあがっていくので、何かを実際に見ないとコメントのしようもないわけですが、プロトタイプを見たときの三上さんのリアクションですぐにわかります。そこから先のフィードバックが指針となり、進む方向が決まっていく感じです。ただ、最初に三上さんが思い描く本当の意味でのマスタープランは、現実の技術的には不可能なものを想像していたと思うんですね。それを思い描きながら、実現不可能なプランに執着するのではなく、自分が持っているイメージに可能なだけ近づき、作品として着地させるためには、現在ある技術に寄せていく必要があることはよく理解されていたのではないかと思います。適当なタイミングで折り合いをつけ、着地させるのが本当にうまかったと思います。

三原 僕はYCAM時代、基本的に三上さんと制作スタッフのあいだの技術的な窓口を務めていたのですが、平川くんが言ったように、実現がほぼ不可能なことをわりとニュートラルに伝えてくるんですね。「昆虫が蠢くようにして鑑賞者を追いかけてほしいの」みたいな。それを受けて、YCAMの大脇理智が最初に割り箸とストローを輪ゴムで止めたようなものをつくり、関節とロッドの抽象的な運動を三上さんに見せた記憶があります。それをシリンダーサーボとステッピングモーターで駆動させ、カメラとプロジェクタを水平垂直に操作し、天井にグリッド配置でセンサーをつければ、そこのエリアの人の動きをキャプチャーするシステムをつくることができると説明しました。

 昆虫が蠢くようにして空間自体が人を追い回す状況が生まれるというその当時に実現可能な前提をつくり、ロボットアーム制御とセンサーの一連のシステムをアーティストのクワクボリョウタさんにお願いしたり、ロボットアーム機構とデザインをYCAMの大脇理智さんに担当してもらったりしました。当然三上さんには、細かく技術的な説明を逐一しましたが、最初のイメージが共有できれば、技術的なディテールはわりとこちらの判断に任せてもらえました。

《欲望のコード》におけるロボットアームの設営を行う三原聡一郎

──そうした制作時のプロセスが、おふたりをはじめ制作に関わった方々のあいだで共有されていたからこそ、修復が行われ、今回の展示が可能になったのだと感じます。実際に修復に携わって、改めて三上さんの作品の独自性をどのように感じましたか。

三原 三上さんは人間の知覚を個別に取り出して、ある意味で研究テーマのようにして扱っているので、表面的にはクールな構造の作品を制作してきたように思うのですが、実際には三上さんの身体や感覚の人間的な部分をもととして作品が手がけられていたわけです。作品システムは抽象的にデータを取り出すようですが、三上さんの知覚でもあり、身体的でもある。矛盾しているようだけど、面白いつくられ方だなと感じます。

 実際のところ三上さんの作品は、その空間に入った瞬間、インスタレーションを体験しているのではなく、自分自身をとらえられているような感覚を覚えることが多いんですね。誰かの作品を鑑賞者として楽しむ、作品と自分が切り離された感覚ではなく、作品を体験することで、自分自身のことを強く意識するようになります。どの作品においても、自分がターゲットとしてとらえられており、その存在や痕跡が作品のそこかしこに痕跡として投影されている。結果、体験者である自分の意識は作品ではなく、自分自身へ向かう感覚があります。あの空間の静寂かつ不気味な感じを、三上さんがわりと気に入っていたこともよく覚えています(笑)。

展示風景より、三上晴子《欲望のコード》(2010/2011) 撮影=木奥恵三

平川 あと、作品をよく鏡に喩えていたなということをいまの三原さんの話を聞いて思い出しました。「鏡をなかなか越えられないのよ」というのは学生のときによく耳にした言葉です(笑)。今回の展示で、《Eye-Tracking Informatics》の視線データの記録をもとにインタラクションの研究をした展示を行っているのですが、あの作品は鑑賞者の視線がなければ成立しないように、三上さんの作品は、作品の体験者がいなければ始まらない。それはすごく特殊な点だと思います。体験者がいなければ作品なんて機械の塊でしかない、というような言い方をよくされていたんです。インタラクティヴであることが本質的な作品性と結びついている、という点は三上さんの独自の要素ですね。

「インタラクションのアーカイヴとその計算論的分析」設営風景。左より平川紀道、久保田晃弘

三原 ICCの無響室で、《存在、皮膜、分断された身体》(1997)という三上さんの作品(*1)を初めて体験したのですが、サラウンドで三上さんの心音や呼吸音が聞こえて、目の前に映像が流れてくるんですね。いまでこそ、そうした音響や映像のシステムやプログラミングツールなどは普及していますが、90年代当時は、特殊な装置をつくりたいと思ったときに、自分たちでつくりかたから考える必要があったわけです。それに取り組んだ人たちがのちにメディア・アーティストと呼ばれるようになっていき、こうした分野を開拓していったと思うんですが、あの作品を体験し、コントロールシステムも確認できたことで、三上さんが本当につくりたかったものを目指して完成させた作品なんだと強く感じました。

展示風景より、《存在、皮膜、分断された身体》(1997) 撮影=冨田了平
展示風景より、《存在、皮膜、分断された身体》(1997) 撮影=冨田了平

*1──今回無響室で展示される作品は、三上による《存在、皮膜、分断された身体》(1997)の一側面であるサウンド・インスタレーション版の再現となる。

作品を未来に手渡すために

──三上さんの作品を今後も多くの人が体験できるものとして残すためには、テクノロジーの発展に応じたアップデートや修復が必要になると思います。そのためには、制作に関わった人々のイメージや情報が共有されていることが前提となります。メディア・アートをはじめ、新しい素材や技術を用いた現代アートでは、作品の保存と修復が大きな課題です。おふたりは、ご自身の作品が未来のオーディエンスとコミュニケーションを取るために、どのような点を意識していますか。

三原 僕はサウンド・アートと呼ばれる音の芸術から制作を始めました。フェリックス・ヘスという尊敬するオランダのアーティストがいて、2018年に日本に展示招聘したことがあります。当時77歳だったのですが、彼の作品で修復の必要があったために展示が叶わなかった《Sound Creatures》という作品について修理の提案をしてみました。すると彼は、「電子回路が修復できたとしても、自分が現場のコンディションをチェックして、了解したことまでも含めての作品だから、自分が死んだ後に作品が展示されることはない」と結構はっきりおっしゃられたんです。それを聞いて、回路図などが残されているので残念だとは感じましたが、同時に清々しいとも思いました。

 それと、本人にとっても突然だと思っているのですが、三上さんが何も残さずに突然この世を去ってしまったことで、やはり我々は三上さんの作品を修復をするときに確認したいことがあるわけです。このネジはどっちを選ぶか、みたいな細かいことまで確認できていたことがいまはできない、というのがひっかかる。

 このようなアーティストの作品の残し方についての生前意思を意識した経験も踏まえて、自分は3年くらい前から、作品のレシピをつくるようになりました。そういった“作品の残し方”の試論を、去年、慶應義塾ミュージアム・コモンズで展覧会として発表しています。具体的なプログラム、設計図、システムダイアグラムなどを料理のレシピをヒントにまとめ、アートピースとして展示しました。デジタル版は、国立国会図書館のデジタルアーカイヴに収めて公開されています(*2)。

「三原聡一郎 レシピ:空気の芸術」展示風景 慶應義塾ミュージアム・コモンズ 撮影=山本糾

──三原さんの作品を自由に再制作できる、オープンソースとして公開されているということですか。

 公開されているレシピに基づいて制作されるかぎり、自由にやってくれて構わないと一筆書いています。現在、情報科学芸術大学院大学(IAMAS)で学生が授業として再制作しており、展示するそうなので楽しみにしています(笑)。自分が作品を制作するときにオープンソースの恩恵を受けたので、文化的資源循環の実践として、利用者の善意に基づいたシステムを自分も提案しています。

《レシピ:空気の芸術》(2024)の展示の様子 慶應義塾ミュージアム・コモンズ 撮影=山本糾

──平川さんは作品の仕様書などについてどう意識していますか。

平川 作品を残すという意味でいうと、オーストラリアの美術館に収蔵された作品があります。その際に美術館からは、システム図や機材リスト、理想の展示サイズといった仕様に加えて、ソースコードや素材となっている画像まですべてを提供してほしいと求められて、実際に提供しました。作品を収蔵する立場なら当然だなと思い、それからはソースコードを含め、読み解けば誰かがつくり直せる情報と一緒に作品を渡すようにしています。ただ、実際に僕の作品はスケーラブル(scalable)な作品が多いので、部屋のサイズに応じてプロジェクションのサイズが変わると、プログラミング上でパラメーターを調整しないと空間に対して最適なかたちで展示できない、というようなことが起こります。作品の印象が変わってしまうので、現場でサイトスペシフィックに決めていくしかない。それをすべて仕様に残せるかというと現実的ではないので、それは課題だと思っています。

平川紀道 datum 2019 ニュー・サウス・ウェールズ州立美術館蔵

──テクノロジーありきではなく、体験や印象を生み出すものが作品だという平川さんの考えがそのような思考の背景にあるように感じます。

 僕は普段、自分からメディア・アーティストだと名乗ることはありません。というのも、テクノロジーとサイエンスはわけて考えたいと思っていて、自分にとってより関心があるのは、どちらかというとサイエンスのほうだからです。僕はサイエンスとの緊張関係を保つことで、普遍的でありながらサイエンスとは異なる何かに近づけるのではないかと考えており、そのためのツールとして、必要があればいまあるテクノロジーを使ってもよいと思っています。ですから、技術の変化によって作品の大きな主題が変わる、というようなことは起こらないはずです。こうした考え方は、制作と修復に携わるなかで、三上さんの作品からも感じてきたことです。

 メディア・アートや多様な手法を用いたインスタレーションは、保存や修復に加え、作者不在の場で展示が行われる際の再現性についても、しばしば議論の対象となる分野だ。まして、細かな仕様書などを残すことなく急逝した作家の作品となれば、制作時にどのような作品を、あるいはどのような体験を目指して手がけられたのかという本質が、見損なわれてしまう可能性もある。しかし、三上晴子の作品に関しては、制作に密に関わりながら作家と作品に向き合ってきた三原聡一郎や平川紀道らの存在が、現在において最適なかたちでの展示を可能にしている。三上作品をいかに保存していくかという課題が解消されたわけではないが、没後10年という節目に、これほどの作品体験ができる貴重な機会を、ぜひ見逃さないでほしい。

*2──三原聡一郎による《レシピ:空気の芸術》の全データ、国立国会図書館デジタルコレクション。https://dl.ndl.go.jp/search/searchResult?publisher=%E4%B8%89%E5%8E%9F%E8%81%A1%E4%B8%80%E9%83%8E