2024.10.19

「Everyday Enchantment 日常の再魔術化」(シャネル・ネクサス・ホール)開幕レポート。興味をかき立てる造形が提示する日常のなかの気づき

東京・銀座のシャネル・ネクサス・ホールで、長谷川祐子による次世代キュレーター育成のためのプロジェクト「長谷川Lab」とコラボレーションした企画シリーズ「Everyday Enchantment 日常の再魔術化」が開幕した。会期は12月8日まで。

文・撮影=安原真広(ウェブ版「美術手帖」副編集長)

展示風景より、小林椋《ここから握り見ることのできる節足の引き潮は段々》(2024)
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 東京・銀座のシャネル・ネクサス・ホールで、長谷川祐子(金沢21世紀美術館館長、東京藝術大学名誉教授)による次世代キュレーターを育成する「長谷川Lab」とのコラボレーション企画シリーズ「Everyday Enchantment 日常の再魔術化」が開幕した。会期は12月8日まで。

展示風景より、小林椋《ここから握り見ることのできる節足の引き潮は段々》(2024)

 シリーズ第1回となる本展は、長谷川のアーティスティック・ディレクションのもと、キュレーションを「長谷川Lab」の佳山哲巳とフィン・ライヤンが担当。参加作家はビアンカ・ボンディ、小林椋、丹羽海子の3名だ。

 長谷川は本シリーズについて次のように語る。「若いキュレーターが育っていくプロセスを見せていきたいと思っている。現代はAIの革命によって、人間の想像力やヒューマニティの変革が迫られる時代だ。キュレーションとは関係性をもって事物を配置することで、新たな意味を生成する行為。その点でこの時代において、キュレーションとは変革のための重要なプロセスになるはずだ」。

左からフィン・ライヤン、長谷川祐子、佳山哲巳

 ビアンカ・ボンディは1986年、ヨハネスブルグ生まれ。現在はパリに在住しており、おもに塩水を用いた化学反応を利用して作品を制作。生と死のサイクルに焦点を当てつつ、「物質の生命」に目を向けさせようとする作品を制作してきた。

展示風景より、ビアンカ・ボンディ《Ripple》(2024)

 本展でボンディは「Ebb(引き潮)」と名づけた、4つのタペストリーからなる作品群を展示している。本作は、太平洋の海底で電気を発する金属鉱床が酸素を生成している、という論文にインスピレーションを得てつくられたものだ。

展示風景より、ビアンカ・ボンディ「Ebb(引き潮)」シリーズ(2024)

 人間中心主義に異議を唱え続けてきたボンディは、無機的で無生物として認知されるはずの鉱床が、まるで植物のように生命を支える酸素をつくっているという論文の内容に感銘を受け、酸化して様々にその色彩を変化させる金属のようなタペストリーをつくりあげた。

展示風景より、ビアンカ・ボンディ「Ebb(引き潮)」シリーズ(2024)

 小林椋は1982年、東京都生まれ。既視感のある造形とギミック、音や照明などを組み合わせ、目的が明らかではない装置を制作している。本展で小林は、消費社会のなかで反復される造形的なイメージをオブジェクトとして具現化。そのアイデアソースには、例えば1930年代のアメリカの工業デザインなどがあるという。会場に構築され、パーツがゆっくりと回転する小林の作品はその流線型の造形などに、過去の流行との接続を見出だせる。

展示風景より、小林椋《ここから握り見ることのできる節足の引き潮は段々》(2024)

 小林はプラスチックという素材の成り立ちについても着目し、本作を制作している。初期のプラスチックである「ベークライト」は、石油精製の過程で出るコールタールを有効活用することで生まれた。本来は廃棄物であったものから人類の生活様式を一変させるにいたったプラスチックの物語も、本作には織り込まれている。

展示風景より、小林椋《ここから握り見ることのできる節足の引き潮は段々》(2024)

 丹羽海子は1991年愛知県生まれの作家で、身体のジェンダーを超えていく主体のあり方を、彫刻を通じて探り続けている。本展ではアメリカのリユースショップでよく扱われている、金属製のフィギュアを素材としたインスタレーションを作成。これらのフィギュアは、男性であれば男性らしいとされてきた野球などのスポーツをし、女性であれば女性らしいとされてきた花を摘んでいたりする。

展示風景より、丹羽海子《ダフネのクローゼット》(2024)

 丹羽は、こうしたフィギュアに現れたジェンダーロールに注目し、これらを溶かして混ぜることで、新たな壊れやすく繊細なフィギュアを制作して展示。さらにフィギュアとともに花を飾ることで、会期中に花が朽ちながら変化していくという時間の経過も作品に織り込んだ。

展示風景より、丹羽海子《ダフネのクローゼット》(2024)

 丹羽の作品は会場のいたるところで顔をのぞかせるが、いずれも非常に繊細でもろい。このもろさは、人とのあいだに強固な関係を築きにくく、つねに移ろいやすかったという、丹羽のトランスジェンダーとしての経験も投影されているという。

展示風景より、丹羽海子《ダフネのクローゼット》(2024)

 3作家の作品はいずれも強固なコンセプトに支えられながら、観賞者が自らの身体をつかって様々な確度で仔細に観察し、眺めたいと思わせる視覚的な強度も持っている。ロジックの前に感性に訴えかける構造、そこにキュレーターたちによる「魔術」が感じられる展覧会となっていた。

展示風景より、丹羽海子《ダフネのクローゼット》(2024)