2025.1.25

「豊原国周生誕190年 歌舞伎を描くー秘蔵の浮世絵初公開!」(静嘉堂文庫美術館)開幕レポート

東京・丸の内の静嘉堂文庫美術館(静嘉堂@丸の内)で、「豊原国周生誕190年 歌舞伎を描くー秘蔵の浮世絵初公開!」が始まった。

文・撮影=橋爪勇介(ウェブ版「美術手帖」編集長)

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 東京・丸の内の静嘉堂文庫美術館(静嘉堂@丸の内)で「豊原国周生誕190年 歌舞伎を描くー秘蔵の浮世絵初公開!」が開幕した。

 三菱二代社長・岩﨑彌之助(1851〜1908)がその骨格をつくった静嘉堂では、彌之助の夫人・早苗(1857〜1929)が愛玩した「錦絵帖」が多数所蔵されており、1996年の「静嘉堂文庫の古典籍 第二回 歌川国貞展―美人画を中心に」展でその主要作品を紹介した経緯がある。

 本展は、その錦絵帖から、美人画と並ぶ浮世絵の二大ジャンル・役者絵を紹介するものだ。展示は「第一章 歌舞伎の流れ」「第二章 珠玉の錦絵帖」「第三章 明治の写楽・豊原国周」「第四章 歌川国貞の肉筆画帖」で構成されている。

 広義の歌舞伎を描いた絵の始まりは慶長年間(1596~1615)、京都で阿国歌舞伎が流行した頃とされている。役者絵は歌舞伎役者のブロマイドであり、寛政年間(1789~1801)には勝川派や東洲斎写楽、初代歌川豊国、国政らによって、役者の胸から上をとらえた大首絵の優品が次々に生み出され、画題のバリエーションも広がっていった。

 本展第一章では、静嘉堂の浮世絵版画一枚物のコレクションによって木版技法の発展の歴史をたどりつつ、役者絵の流れを俯瞰して把握できるだろう。

展示風景より、《歌舞伎図屏風》(17世紀)

 「錦絵」(多色摺木版画)の彫・摺の技術が最高潮に達したのは幕末明治期。なかでも歌川国貞は三代歌川豊国を名乗り、錦絵界の重鎮となった。二章では、早苗夫人が愛玩した錦絵帖より、国貞(三代豊国)、初代豊国、国芳、芳幾、二代国貞、そして豊原国周(くにちか)といった「歌川派」の役者絵が並ぶ。版元が摺りたての錦絵を折帖にして納めたとも言われるこれらの画帖は、早苗夫人が個人的に楽しんでいたものであり、これまで一般公開されてこなかった。そのため、摺りたてのように鮮やかな色彩をいまに伝えている。

展示風景より
展示風景より、豊川国周「三世市川九蔵の直助権兵衛」「三世片岡我童の田宮伊右衛門」「五世尾上菊五郎の矢頭与茂七」「小仏小平・小岩の霊」(1884)
展示風景より

 三章は本展のタイトルにもある豊原国周にフォーカスしたパートだ。今年生誕190年の節目となる豊原国周は国貞の弟子で、「明治の写楽」と讃えられた存在。写真の流行する時代の影響を受け、陰影法を用いるなど、明治浮世絵に新境地を開いた。また「生来任侠にして奇行に富む」「妻を離別すること 40人以上、転居実に83度」「一男二女ありしも画系を継がず、門人数名あり」という、一癖も二癖もある人物だ。

展示風景より
展示風景より
展示風景より

 本章にずらりと並ぶ画帖もすべて初公開であり、見事な色彩が残る。三枚続一人立で構成された作品は、舞台を見ているかのような臨場感を与える効果を生み出している。画題は、彌之助・早苗夫妻が贔屓にした五世尾上菊五郎(1844〜1930)を描いたものが大半を占めるのも大きな特徴だ。

 なかでも「梅幸百種(ばいこうひゃくしゅ)」は、五世菊五郎(俳名が梅幸)の半身の舞台姿とコマ絵に俳句などを描いた大判100枚からなる揃物で、国周の集大成とも言えるもの。版元・具足屋とともにわずか2年でつくりあげた傑作だ。

展示風景より、豊原国周「梅幸百種」(1893-94)

 なお、画帖は前後期ですべて展示替えされる。

 第四章では、歌川国貞の肉筆画帖であり、極彩色で細密に描かれた「芝居町 新吉原風俗絵鑑」に目を凝らしたい。同作は、江戸の二大歓楽街である芝居町と新吉原の情景を6図ずつ、合計12図とした大画面のアルバム。歌舞伎小屋での1日を場面ごとに描き、役者絵のバリエーションをも網羅する力作だ。

 本作は無落款ではあるものの、描写力などから役者絵と美人画でならした国貞(三代豊国)以外に描ける絵師はいないとされ、現在では国貞の作とされている。本展では芝居町の6図が通期で見られる。

展示風景より、歌川国貞「芝居町 新吉原風俗絵鑑」(19世紀)
展示風景より、歌川国貞「芝居町 新吉原風俗絵鑑」(19世紀)より「浅間ヶ嶽」

 なお、本展では大河ドラマ『べらぼう』でも注目を集める版元・蔦屋重三郎の小特集も見どころのひとつ。蔦屋重三郎が打ち出した歌麿やその弟子たち、写楽周辺の絵師たちの作品とともに、いまはなき蔦重の墓碑の拓本という貴重な資料も見ることができる。

展示風景より、蔦屋重三郎墓碑拓本