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2025.4.24

「宇宙からの音響」(草間彌生美術館)開幕レポート。病と闘い、向き合うことで生まれた作品を見る

草間彌生美術館で、草間彌生の芸術の根源ともいえる「病」に着目した展覧会「宇宙からの音響」が開幕した。会期は8月31日まで。

文・撮影=安原真広(ウェブ版「美術手帖」副編集長)

展示風景より、《オブリタレーション・ルーム》(2002-現在)  (C) YAYOI KUSAMA
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 東京・弁天町の草間彌生美術館で、草間彌生(1929〜)の芸術の根源ともいえる「病」に着目した展覧会「宇宙からの音響」が開幕した。会期は8月31日まで。

 本展では初期から現在に至るまでの多様な作品群および関連資料を展示。病をキーワードに、草間の豊饒な創造力の根源を見ることができる。

展示風景より、2階ギャラリー  (C) YAYOI KUSAMA

 1階エントランスでは、本展のアイコンとして少女像《ヤヨイちゃん》と犬の《トコトン》(ともに2013)が来場者を迎える。また、ここでは幼少期から幻覚や幻聴に悩まされた草間の半生をつづったエッセイ「わが魂の遍歴と闘い」から引用されたフレーズも展示されており、一見可愛らしい少女と犬が、こうした草間の病との闘いの経験から生まれていることが示唆される。

展示風景より、《ヤヨイちゃん》《トコトン》(ともに2013)  (C) YAYOI KUSAMA

 2階のギャラリーは、草間がその来歴のなかで、精神的苦痛とどのように対峙し制作に反映してきたのかを、作品や関連資料によって紹介している。

 草間は家庭を顧みなかった放埒な父と、苛烈な性格の母のもと、幼少期から精神的な負荷を受けながら育ち、幼少期より水玉や網目などが現れた絵を描いていた。画家になることも母親に反対されていたため、画材の入手に苦慮しており、例えば初期作《芽》(1951)などは種袋を木枠に張ってキャンバスをつくり描いたものだ。若い草間の心の奥底から湧き上がる苦悩と制作への情念があらわれた、迫力ある作品といえるだろう。

展示風景より、《芽》(1951)  (C) YAYOI KUSAMA

 渡米後の草間の作品としては《14丁目のハプニング》(1966)に注目したい。おさげ髪の草間がニューヨークのダウンタウンで、赤い水玉柄のファルスの集合体に横たわるパフォーマンスで、自身の恐怖の対象である男性器の群れを、自らの身体をもって乗り越えようとする作品だ。

展示風景より、2階ギャラリー  (C) YAYOI KUSAMA

 精神状態が悪化し、帰国後の75年からは精神科に入院することになった草間。入院中の病院では膨大なコラージュや色紙などを制作した。死の淵に立つ草間の危機的な精神状態が現れているとともに、来たるべき解放の予感も感じさせる作品群といえるだろう。

展示風景より、2階ギャラリー  (C) YAYOI KUSAMA

 3階展示室の壁面では、21世紀の草間の画業を代表する「わが永遠の魂」シリーズおよび、その後に制作が始まり、現在も続く最新の絵画シリーズ「毎日愛について祈っている」などを展示している。

 草間の現在が示されているともいえるこれらの作品は、宇宙のイメージと結びついてもいる。トラウマと対峙し、病と闘いつづけてきた草間が辿りついた、ひとつの生態系を成しているともいえる絵画群。なかにはマーカーペンでメッセージが書かれた作品もあり、苦難のなかでも絵を描く草間の筆跡が、祈りのように鑑賞者にも響いてくる。

展示風景より、3階ギャラリー  (C) YAYOI KUSAMA

 同階の壁面を覆うのは白地にピンクのドットを散りばめた、複数のキャンバスからなる巨大な絵画作品《ピンク・ドッツー星の墓場で眠りたい》(1993-94)だ。鮮やかなピンクのドットの反復を近くで見ていると、めまいにも似た感覚をおぼえる本作だが、これは草間が言うところの「自己消滅」を体現した作品ともいえる。自身の内面のみならず、周囲をも巻き込みながら消滅せんとする、圧倒的な自我に気圧されるだろう。

展示風景より、《ピンク・ドッツー星の墓場で眠りたい》(1993-94)  (C) YAYOI KUSAMA

 4階では鑑賞者が参加できるインスタレーション《オブリタレーション・ルーム》(2002-現在)がひと部屋を使って展開されている。すべてが白く塗られた室内には、テレビ、ソファ、テーブル、時計、棚といった、日常的な家具や雑貨が配置されている。部屋の入口ではカラフルな円形のシールが配られ、来場者はこのシールを室内のどこでも好きなところに貼りつけることが可能だ。

展示風景より、《オブリタレーション・ルーム》(2002-現在)  (C) YAYOI KUSAMA

 草間が提唱する、水玉の群れのなかに埋没していく自己消滅が、ここでは来場者とのセッションとして展開する。少しずつ白く無機質な部屋を覆い尽くしていくカラフルな水玉は、この場を訪れた人々の記録でもあり、不在と消滅の証でもあるといえる。水玉を貼りつけて部屋を出た鑑賞者は、自己が部屋から消滅したことを悟るとともに、自分がいなくなった部屋の未来の姿に思いをはせることになる。

展示風景より、《オブリタレーション・ルーム》(02-現在)  (C) YAYOI KUSAMA

 そして、半屋上階である5階では、インスタレーション《ナルシスの庭》(1966/2025)を見ることができる。外の風景を映すステンレスの球体群を覗き込むと、まるで鑑賞者自身が分裂し増殖しているかのような印象を受けるだろう。反復と増殖を繰り返した果てにたどり着くであろう「自己消滅」という救済。本展を通して見ると、本作に新たな意味が生まれてくる。

展示風景より、《ナルシスの庭》(1966/2025)  (C) YAYOI KUSAMA

 草間の闘いの歴史であり、同時に創作の根源にある「病」に正面から向き合った本展。生きていくうえで誰もが対峙することになる「病」とどのように付き合うのか。草間というひとりの芸術家の実践と昇華は、そのためのヒントと勇気を与えてくれるのではないだろうか。