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2025.4.29

「酒呑童子ビギンズ」(サントリー美術館)開幕レポート。重要文化財《酒伝童子絵巻》(サントリー本)を大公開

サントリー美術館で、展覧会「酒呑童子ビギンズ」がスタートした。会期は6月15日まで。

文・撮影=三澤麦(ウェブ版「美術手帖」編集部)

展示風景より、狩野元信《酒伝童子絵巻 上巻》(1522)
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 東京・六本木のサントリー美術館で、展覧会「酒呑童子ビギンズ」がスタートした。会期は6月15日まで。担当学芸員は上野友愛(サントリー美術館副学芸部長)。

 酒呑童子といえば、現代にも伝わる様々な歴史物語や、それらをもとにつくられた創作作品のなかでも耳にする機会が多いのではないだろうか。平安時代、都で貴族の娘や財宝を次々に略奪していた酒呑童子が武将・源頼光とその家来によって退治される物語は14世紀以前に成立。その後、絵画や能などの題材になって広く普及した。とくに、同館が所蔵する重要文化財・狩野元信筆《酒伝童子絵巻》(以下、サントリー本)は、後世に大きな影響を与えた室町時代の古例として知られている。

 本展は、2020年に解体修理を終えたばかりのこのサントリー本を同館史上最大規模に広げて公開するとともに、酒呑童子という「鬼」がいつどのように誕生したのかといった、「はじまり」の物語についても紹介するものとなる。

展示風景より

 会場は全3章構成。まず第1章では、今回のメインである狩野元信筆《酒伝童子絵巻》(サントリー本)がお披露目されている。

 そもそも酒呑童子の住処は、物語によって丹波国大江山(京都)もしくは近江国伊吹山(滋賀)と言われており、サントリー本は伊吹山系の最古の絵巻となる。小田原・北条氏綱の依頼から、狩野派の祖・狩野元信によって描かれたこの絵巻は、同派を代表する画題のひとつでありながら、江戸時代以降は様々な流派によって描かれ、「図様のはじまり」とも言える作品となった。

展示風景より、狩野元信《酒伝童子絵巻 上巻》(一部、1522)。修復前は様々な箇所にひどい縦折れが入っていた
展示風景より、狩野元信《酒伝童子絵巻 上巻》(一部、1522)。元信による、「唐絵」と「大和絵」の画風を交えて描く「和漢融合」の技法が存分に発揮されている
展示風景より、狩野元信《酒伝童子絵巻 上巻》(一部、1522)。一巻35メートルの長さを誇る絵巻を展示室で一挙公開している。
※許可を得て撮影しています。

 また、サントリー本で描かれた図様は、能の世界にも展開されてきた。会場では、その演出にも影響した可能性に注目しながら、能の謡本や上演のダイジェスト映像「能 観世流『大江山』替之型」もあわせて紹介されている。

展示風景より

 続く第2章では、「酒呑童子」の物語がいかに後世に伝わり、展開を生み出していったかに焦点を当てている。

 近年、酒呑童子の誕生の経緯や、童子がなぜ鬼となったのかを描いた二次創作的な伝本が相次いで発見され、注目を集めているという。ここでは、サントリー本に加え、ドイツのライプツィヒ・グラッシー民族博物館が所蔵する住吉廣行の《酒呑童子絵巻》(ライプツィヒ本)や、その下絵であることが判明した大阪青山歴史文学博物館の所蔵作品(大阪青山本)、そしてその大阪青山本を参考にして描いたとされる根津美術館の所蔵作品(根津本)が一堂に会している。これらを比較しながら鑑賞できる機会は、そうそうないだろう。

展示風景より、住吉廣行《酒呑童子絵巻 第一巻》(ライプツィヒ本[一部]、1786〜87)。全6巻のうち2巻のみが出展
展示風景より、住吉廣行《酒呑童子絵巻下絵 第一巻》(大阪青山本[一部]、1786)
展示風景より、住吉弘尚《酒呑童子絵巻下絵 第二巻》(根津本[一部]、19世紀)。全8巻のうち6巻のみが出展

 さらに、酒呑童子の物語に由来する作品として『伊吹童子』『羅生門』『土蜘蛛』といった物語作品もあわせて紹介されている。これらからも、この“鬼退治”の物語が室町時代から江戸時代まで、いかに長く愛されてきたかを読み取ることができるだろう。

展示風景より、狩野渓雲来信《土蜘蛛草子》(1799)

 先ほど紹介した「サントリー本」と「ライプツィヒ本」だが、じつはどちらも姫君の婚礼調度品として用いられていたというのだから驚きだ。グロテスクなシーンも多いこの絵巻が、なぜ婚礼の持ち物として選ばれたのだろうか?

展示風景より、手前は《良正院画像》(17世紀)

 その理由のひとつとして、徳川家康の娘・督姫(良正院)の存在があるという。良正院は元々小田原の北条氏直に嫁いでいたが、氏直亡き後は豊臣秀吉の仲介もあり、池田輝政のもとへと再嫁した。その際に所持していたのがサントリー本であるという。いっぽうのライプツィヒ本は、第10代将軍徳川家治の養女であった種姫の嫁入り道具であった。

 どちらも「徳川家」の嫁入りに由来するものであり、その由緒正しさや、清和源氏の流れを汲むと主張する徳川家にとって、源頼光が活躍するこの絵巻はある意味都合が良いものであったのかもしれない。第3章では、関連作品や関係者の日記を通じて、このような考察がなされている。

展示風景より、「御用人日記写 延宝8年」(1680頃)
展示風景より、飛騨守惟久《後三年合戦絵巻 下巻》(1347)

 現代においても様々な作品を通じて人気を博す「酒呑童子」のエピソード。鬼退治としての物語のみならず、いかにして同時は鬼となったのか。様々な角度から酒呑童子の「はじまり」に目を向けることができる展覧会となっている。

 なお、公式図録には、今回出展が叶わなかった絵巻の画像データが全巻分掲載されている。貴重な資料となるため、会場ではぜひこちらにも注目してほしい。