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2025.9.20

「モーリス・ユトリロ展」(SOMPO美術館)開幕レポート。ユトリロの画業から見える作家本来の姿とは?

東京・新宿にあるSOMPO美術館で「モーリス・ユトリロ展」が開幕した。没後70年を記念して開催される本展では、ユトリロの初期作品から晩年の作品までが紹介される。会期は9月20日〜12月14日。

文・撮影=大橋ひな子(ウェブ版「美術手帖」編集部)

展示風景より、モーリス・ユトリロ《マルカデ通り》(1909) 名古屋市美術館
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 東京・新宿にあるSOMPO美術館で「モーリス・ユトリロ展」が開幕した。没後70年を記念して開催される本展は、ポンピドゥー・センターの協力のもと、作品約70点と、アーカイヴを管理するユトリロ協会から提供された資料を通して、ユトリロの画業をたどるものとなる。会期は9月20日〜12月14日。

 モーリス・ユトリロ(1883〜1955)は、20世紀初頭のパリの街並みを描いたことで知られる風景画家。ユトリロは画家シュザンヌ・ヴァラドンのもとに生まれたが、7歳のときにスペイン出身の画家・批評家ミゲル・ウトリリョ(ユトリロ)に認知され、同じ姓ユトリロを名乗りはじめる。中学校卒業後から発症したアルコール依存症が悪化するなど、複雑な幼少期を過ごしたが、療養の一環としてはじめた絵画制作が、のちの彼の人生を変化させる。

 ユトリロの絵画様式は、その作風によって3つの時代に分類することができる。本展は、その時代ごとに章立てをした全3章で構成される。過去3回ユトリロを取り上げた展覧会を開催した同館は、ユトリロの画業におけるエピソードが印象的であるうえに、画家自身による自己模倣のような行動が多くされたことから、本来の姿とは異なる「モーリス・ユトリロ」像が確立されている可能性もあるという。本展では、改めてユトリロが残した言葉などを交えながら、5つの独自の切り口によって、従来の「ユトリロ像」を超えた本来のモーリス・ユトリロの姿を明らかにすることを試みる。

 第1章は「モンマニー時代」。依存症の治療の一環として絵筆をとった制作初期を指しており、カミーユ・ピサロ(1830〜1903)やアルフレッド・シスレー(1839~1899)の影響を受けて厚塗りの画面を多く制作した。黄土色、緑色、黄色、青色などの明るい色彩を細かい筆触で積み重ねる作品群は、この時期にのみ見られる特徴である。

展示風景より

 この時代の典型的な作例となるのが、《モンマニーの屋根》である。パリ近郊の小さな町モンマニーには、1896年に母ヴァラドンと結婚したボール・ムジスが住んでおり、若きユトリロはこのモンマニーとモンマルトルを行き来する。そのためこの時期は、モチーフにモンマニーとモンマルトルの小高い丘から眺めた風景が多い。

展示風景より、モーリス・ユトリロ《モンマニーの屋根》(1906〜7) パリ・ポンピドゥーセンター/国立近代美術館・産業創造センター

 また本章では、ユトリロと日本の関係についても紹介される。ユトリロの作品は1920年代から、美術批評家であり画商の福島繁太郎(1865〜1960)によって日本でも紹介されはじめたとされている。当時よりユトリロ作品は日本でも大きな人気を博していた。

 会場で紹介されている《サン=ドニ運河》は、福島によって1929年以前に日本へもたらされた作品。ブリヂストン美術館(現・アーティゾン美術館)を設立した石橋正二郎の絵画コレクションに最初期に加わった作品のひとつでもある。次の章で紹介される、1910年前後にはじまる「白の時代」の直前に制作されたもので、ピサロの影響を受けたことがわかる作品でもある。

展示風景より、モーリス・ユトリロ《サン=ドニ運河》(1906〜8)石橋財団アーティゾン美術館

 第2章では、1909年頃から制作をはじめた、パリの街の白壁を独自のマチエールで表現する「白の時代」が紹介されている。パリ18区に位置する「マルカデ通り」を描いた《マルカデ通り》はこの時代に描かれたもの。画面内に描かれる文字は、「COMPTOIR」(カウンター)、「VINS・LIQU[EUR]」(ワイン・リキュール)などの、酒や食事に関する店舗の看板を指している。

展示風景より、モーリス・ユトリロ《マルカデ通り》(1909) 名古屋市美術館

 また本展では、同館が所蔵する《ラパン・アジル》のバリエーションに着目し、同じモチーフを執拗に描き続けたユトリロの制作方法も紹介される。「ラパン・アジル」とは、モンマルトルの象徴的なキャバレーのことで、ユトリロはこのモチーフを300点以上描いたといわれている。絵葉書をもとに制作されているため、「ラパン・アジル」は同一構図で描かれているが、実際に比較すると色調や質感が異なっていることがわかる。

展示風景より、モーリス・ユトリロ《ラパン・アジル》(1910) パリ・ポンピドゥーセンター/国立近代美術館・産業創造センター
展示風景より、モーリス・ユトリロ《ラパン・アジール》(1913) 名古屋市美術館

 ユトリロが使用する「白」は、通常の絵具に石膏や、場合によっては鳥のフン、砂などが加えられている。そうすることで、画面にざらつきと重量感を与え、作品内で描かれる古びた壁や路地にリアリティを持たせることができる。本章では、そんな素材を用いて、ひび割れや風化の痕跡すら細かく描かれた街角や建物の「壁」に着目しながら、ユトリロの「白の時代」を代表するような作品が紹介されている。

展示風景より
展示風景より、モーリス・ユトリロ《廃墟の修道院》(1912) パリ・ポンピドゥーセンター/国立近代美術館・産業創造センター

 1920年に描かれた《郊外の教会》は、次の「色彩の時代」へ移る前の過渡期である「豊穣な緑の時代」に制作されたもの。色彩は暗さを増し、緑が多く使われるようになったこの時期は、精神病院の入退院を繰り返し、母からは監禁される生活を送っていた。さらにこのとき友人のアメデオ・モディリアーニ(1884〜1920)も亡くなっている。これらの不安定な状況が、確実にユトリロの絵画様式に影響を与えていたことがわかる。

展示風景より、モーリス・ユトリロ《郊外の教会》(1920) パリ・ポンピドゥーセンター/国立近代美術館・産業創造センター

 最後の第3章では、ユトリロの晩年となる「色彩の時代」が紹介される。名前の通り鮮やかな色彩を使用した作品を多く生み出した時代だ。1920年代に入ると父アンドレ・ユッテル(1886〜1948)によって、ユトリロはボージョレ地方の古い城館に軟禁され、規則正しい生活を送りながら、制作を強いられた。ユトリロはモンマルトルの街並みやフランスの風景を、絵や写真、記憶を頼りに描いたといわれている。

展示風景より

 1935年、母ヴァラドンが病になった際、ユトリロは結婚し、妻とともに穏やかな生活を送りはじめる。そんななか描かれたのが、《シャラント県アングレム、サン=ピエール大聖堂》だ。ユトリロ作品に繰り返し登場する教会モチーフは陰鬱な雰囲気なものが多いが、本作では明るい画面が展開されている。「色彩の時代」という表現の通り、明るく彩度の高い色彩を用いた大型作品となっている。

展示風景より、モーリス・ユトリロ《シャラント県アングレム、サン=ピエール大聖堂》(1935) 公益財団法人ひろしま美術館

 ユトリロというひとりの画家を、個人史や本人の言葉を紹介しながら改めて紐解く本展。ひとりの人間の一生を追いかけながら作品に対峙することで、新しい「ユトリロ像」が立ち現れるかもしれない。