2025.12.3

「六本木クロッシング2025展:時間は過ぎ去る わたしたちは永遠」(森美術館)開幕レポート。多層化する時間に宿る永遠を問う

森美術館による3年に一度の展覧会「六本木クロッシング」が、8回目の開幕を迎えた。「時間」を中心テーマに据えた本展では、21組のアーティストの作品が紹介。その様子をレポートする。

文・撮影=王崇橋(ウェブ版「美術手帖」編集部)

展示風景より
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 森美術館で、3年に一度のシリーズ展「六本木クロッシング2025展:時間は過ぎ去る わたしたちは永遠」が開幕した。会期は2026年3月29日まで。

 本展は2004年の開始以来、日本の現代アートシーンを俯瞰する定点観測的な役割を担ってきた。第8回目となる今回は、森美術館のキュレーターである徳山拓一と矢作学に加え、レオナルド・バルトロメウス(山口情報芸術センター[YCAM]キュレーター)とキム・へジュ(シンガポール美術館シニア・キュレーター)というアジアを拠点に国際的に活動するゲストキュレーター2名を迎え、「時間」を主要テーマに全21組のアーティストを紹介する。

 本展の副題は、インドネシアの詩人サパルディ・ジョコ・ダモノの詩から引用された。「過ぎ去る時間」と「永続するわたしたち」という対照的な言葉は、時間に囚われながらも、その瞬間に永遠性を見出すという詩の主題と呼応する。

 森美術館館長の片岡真実は開幕にあたり、「日本の現代アートを俯瞰する本展を実施する意義を強く感じており、日本とは何か、日本の現代アートとは何かをあらためて考える必要がある」と述べ、緊張と分断が深まる現代において、多様な視点を招き入れることの重要性を強調した。

 また、徳山は「速度と効率が優先される社会のなかで、深く感じ、じっくり考える時間を取り戻したい」と語り、作品を通じた「多層の時間への眼差し」が展覧会の根幹にあることを示した。

 本展では、日本にルーツを持つアーティスト、日本に在住する海外作家、海外在住の日本人作家など、多様な背景を持つアーティストを積極的に紹介している。全21組のうち半数以上がこうした越境的な存在で構成され、日本の現代アートを多角的に見つめる試みとなっている。展覧会は4つのキーワードで構成される。

様々な時間のスケール

 最初の展示室では、「様々な時間のスケール」をキーワードに、アーティストたちが扱うメディアや技法の「内部に潜む時間」を通し、ひとりの人生の時間が、社会・身体・歴史といった異なるスケールの時間へと接続されていく様が示される。

 ケリー・アカシは、ガラス、鉄、石といった古来より表現に用いられてきた素材に蓄積した記憶や知識を受け止めながら、それらを新たな造形へと昇華している。素材そのものが持つ「時間」を取り込むことで、個人の経験と普遍的な歴史が交差する視点が提示される。

展示風景より、手前はケリー・アカシ《星々の響き》(2025)

 沖潤子は、布に残された家族や他者の記憶を刺繍によって重層化し、過去と現在、個人と社会を結び直す。抽象画のような濃密な表情が現れ、手仕事に潜む時間の厚みを強く感じさせる。

展示風景より、壁面は沖潤子の作品群

 陶芸の伝統技法「梅花皮」や「石爆」を大胆に再解釈し、陶芸表現の新たな可能性を切り拓く桑田卓郎。本展では器を離れた大型の抽象オブジェが中心となり、技法に内包される時間の堆積が現代の造形へと変換されている。

展示風景より、手前は桑田卓郎の作品群。奥の壁面は庄司朝美の絵画

 庄司朝美は身体のイメージや感覚を再獲得することを目指し、幻想的な「身体の物語」を描く。いっぽうで廣直高は、身体の動きを制限した状態で制作を行うことで、身体の不確かさと創造行為の関係を可視化している。両者は身体という根源的な媒体を通じて、「生の時間」に向き合っている。

展示風景より、廣直高の作品

 女性2人組のユニット、ズガ・コーサク+クリ・エイトは、段ボールやパッケージを用いて六本木駅の出入口を再現。現地で拾われたゴミを取り入れるなど、日常風景が時間の層とともに立ち上がり、恒久性を前提としない制作プロセスが都市の儚さを鋭く示す。

展示風景より、ズガ・コーサク+クリ・エイト《地下鉄出口 1a》(2025)

時間を感じる

 次のキーワード「時間を感じる」では、時計では測れない揺らぎをもつ多様な時間の存在が浮かび上がる。

 A.A. Murakamiの新作《水中の月》(2025)は、霧、シャボン玉、プラズマなどの素材と独自技術を組み合わせたインスタレーション。巨大な樹木状の彫刻から落下するシャボン玉が水面で弾む光景は幻想的で、本作が初めてAIを取り入れ、複雑な動作制御をAI生成コードが支えている点にも注目したい。

展示風景より、A.A. Murakami《水中の月》(2025)

 ガーダー・アイダ・アイナーソンは、クローズド・キャプションをモノクローム絵画として描き、音声情報を静止させる。「乱れた呼吸」「爆発音の反響」など、現代社会の不安や緊張を想起させる言葉が画面に浮かび上がり、床に置かれた香港民主化デモのバリケードを模した小作品とともに、歴史と暴力の痕跡を空間に刻む。

展示風景より、ガーダー・アイダ・アイナーソンの作品群

 細井美裕は「ヒューマン・アーカイブ・センター」シリーズの新作《ネネット》(2025)を展示。40年以上同じ場所で生活するパリ植物園のオランウータンの周囲の音を録音し、「聴覚によるアーカイヴ」という行為を提示する。

展示風景より、細井美裕《ネネット》(2025)

 和田礼治郎《MITTAG》(2025)は、真鍮フレームに挟まれた2枚のガラスのあいだにコニャックが満たされた作品。液面の水平線が窓外の地平線と重なるように設置され、発酵や蒸留のプロセスを通した時間の循環を可視化する。

展示風景より、和田礼治郎《MITTAG》(2025)

 荒木悠《聴取者》(2025)は、巨大なオイスターが語りかけるように響く映像作品。「沈黙すべきか」「声を上げるべきか」といった現代的な葛藤が語られるが、最終的には「もっとも大切なのは、会話し、耳を傾けること」という結論に至る。分断が進む社会において、静かでありながら強いメッセージを発している。

展示風景より、荒木悠《聴取者》(2025)

ともにある時間

 3つ目のキーワード「ともにある時間」では、歴史的な出来事がどのように現在へと持続し、人と人との協働や共感がいかに育まれるのかが、作品を通して浮かび上がる。

 インドネシア・ジョグジャカルタを拠点に活動する北澤潤は、日本軍がジャワ侵攻に用いた戦闘機「隼」が、戦後インドネシア軍の独立戦争で再利用されたという史実に着目。現地の凧職人たちと協働し、隼を実寸大でよみがえらせた。尾翼から細部に至るまで職人による手仕事が施され、かつての戦争の痕跡が「手仕事」を媒介として現在の創造行為へとつながっていく。また会期中には、ワークショップを通して作品を育て続ける試みも行われる。

展示風景より、北澤潤の作品

 宮田明日鹿は、被災地など各地に赴き、人々が編み物や刺繍を通して人生経験や記憶を共有する「手芸部」を運営している。そこで形成される一時的なコミュニティは、宮田が不在となった後も自発的に存続する例が多く、時間と関係性の積み重ねが、そのまま生きたアーカイヴとして機能していく。

展示風景より、宮田明日鹿《手芸部の記録 2025》(2025)

 山形を拠点に活動するアメフラシは、印刷工場跡をスタジオ兼コミュニティスペースへ再生させ、草鞋や箒づくりといった地域の文化・産業を長期的な視点で支えるアートプロジェクトを展開している。箒の素材であるホウキモロコシの栽培には約3年を要し、その長い時間の積み重ねが、そのまま文化の継承へとつながっている。

展示風景より、アメフラシ《Kosyauの壁を移築する》(2022/2025)

 ひがれおは、沖縄の土産物として女性たちが制作してきた琉球人形に着目し、戦後の米軍基地の存在や日本文化との混淆、観光産業の展開がどのように造形表現へ反映されてきたのかを読み解く。ハロウィンやマドンナ風の衣装を纏った人形には、外部文化や時代の影響が鮮明に刻まれている。

展示風景より、ひがれおの作品群

 ZINEの出版を中心に活動するMultiple Spiritsは、19世紀イギリスで生まれた「新女性(ニューウーマン)」の概念と、その東アジアへの伝播を手がかりに、大正期の日本における女性の自立や社会変革の動きを再考する。フェミニズムの視点から歴史に新たな解釈をもたらす実践である。

 在日コリアンを主題としてきた金仁淑は、近年、滋賀県のブラジル移民学校・サンタナ学園に継続的に通い、子供たちや教師との共同制作を展開している。記録映像《Eye to Eye: Side E》では、他者と向き合うという行為そのものが、相互理解のための基盤として提示される。

生命のリズム

 最後のキーワード「生命のリズム」では、人間に限らず、世界のあらゆる存在がそれぞれ固有のリズムを刻むことで時間をかたちづくっていることが示される。ここで展開されるのは、人間の尺度ではとらえきれない時間、そして戻ることのない不可逆性に関する思索である。

 10年以上にわたりマレーシアのムアールと広島県尾道を往復してきたシュシ・スライマンは、尾道の空き家から収集した100年以上前の瓦を砕き、粉末化して顔料をつくるインスタレーションを制作する。瓦という物質を媒介に、土地に積み重なった記憶と自身の時間が呼応する。

展示風景より、シュシ・スライマン《瓦ランドスカップ》(2025、部分)
展示風景より、左はキャリー・ヤマオカ《群島(2019年)》(2019)

 キャリー・ヤマオカの《群島(2019年)》では、「Angel Island」や「Heart Mountain」など、収容所や拘留施設の名称がアルファベット順に並べられ、強制移住と監禁の歴史が静かに可視化される。また《切り株2》(2024)では、35年ぶりに京都を訪れた際、大木の不在と新たな芽生えを目にした体験から、時間の循環と再生が象徴的に示される。

 地球温暖化によって融解する永久凍土から姿を現した2万年前のマンモスをとらえたマヤ・ワタナベの映像作品《ジャールコフ》(2025)は、極端なクローズアップとスローな視点を通して、人間の歴史をはるかに超えるスケールの時間を提示し、過去と未来の連なりへ思考を促す。

展示風景より、マヤ・ワタナベ《ジャールコフ》(2025)

 木原共の《あなたをプレイするのはなに? ─ありうる人生たちのゲーム》(2025)は、AIが国勢調査データから架空の人物像を生成し、観客がその人生をプレイするインタラクティブ作品。キャリア、病気、介護など、人生の選択が連鎖し、やがて死に至る構造は、人生をかたちづくる決断の不可逆性を寓話的に照射する。

展示風景より、木原共《あなたをプレイするのはなに? ─ありうる人生たちのゲーム》(2025)

 本展が提示する時間は、個人の記憶から社会の歴史、そして人類史を超えるスケールまで、複数の層として重なり合い、私たちの現在を形成している。過去と現在、そして未来へと連続する時間の流れのなかで、私たちがどのように存在し得るのか。本展は、その問いに向き合うための、豊かな思考の場となるだろう。