2025.12.13

「SPRING わきあがる鼓動」(ポーラ美術館)開幕レポート。箱根から立ち上がる創造の鼓動を追う

ポーラ美術館で、「SPRING わきあがる鼓動」展がスタート。開館以来初めて「箱根」という土地そのものに焦点を当て、自然、歴史、身体、そして情報へと連なる創造の運動を描き出す本展をレポートする。

文・撮影=王崇橋(ウェブ版「美術手帖」編集部)

展示風景より、手前は小川待子《月のかけら 25 − P》(2025)
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 ポーラ美術館で、展覧会「SPRING わきあがる鼓動」が開幕した。担当学芸員は、同館学芸部課長の今井敬子と主任学芸員の内呂博之である。

 本展は、開館以来初めて「箱根」という土地そのものに焦点を当て、その風土や記憶を出発点に、江戸時代から現代に至る美術表現を横断的に紹介する試みだ。テクノロジーが社会の隅々まで浸透し、自然や身体感覚との関係が変容しつつある現代において、本展が問いかけるのは、人間の内側や土地の奥底から「わきあがる」力──すなわち創造の原動力である。春の芽吹きになぞらえられた「SPRING」という言葉は、跳ね上がる動きや循環、再生を含意し、箱根という火山地形のダイナミズムとも響き合う。

 展覧会の幕開けを飾るのは、大巻伸嗣によるインスタレーション《Liminal Air Space-Time》(2025)である。本作は、2011年の震災後、2012年に箱根で初めて発表されたシリーズを起点とし、約13年を経て再び同地に戻ってきた作品だ。

展示風景より、大巻伸嗣《Liminal Air Space-Time》(2025)

 床下に設置された複数のファンによって空気の流れが制御され、宙に広がる布が緩やかに呼吸するように動くこの作品は、上昇と下降、膨張と収縮を繰り返しながら、目に見えないエネルギーの存在を可視化する。湿度や気温、外光、さらには鑑賞者の体温や呼吸といった要素までもが作品の振る舞いに影響を与え、空間全体がひとつの「生きた身体」であるかのように感じられる構成となっている。

 火山活動によって形成された箱根の大地のうねりや、長い時間をかけて蓄積された地形の記憶は、この無音の運動と重なり合い、鑑賞者に「大地の鼓動」を身体的に体感させるプロローグとなっている。

 続く第1章では、箱根という土地がいかにして人々を惹きつけ、創造の源泉となってきたのかが、歴史的資料を通して示される。箱根町立郷土資料館の協力により、東海道の旅を題材とした貴重な浮世絵や、町指定重要文化財の絵画が紹介され、江戸時代の箱根越えの過酷さや、旅人たちの緊張と祈りが浮かび上がる。

第1章の展示風景

 歌川広重による「箱根越え」の図には、夜明け前に小田原を発ち、提灯や松明を頼りに険しい坂を進む旅の情景が刻まれている。芦ノ湖周辺は、かつて霊性の高い場所としても知られ、修験道の場や信仰の対象であった。こうした箱根の「聖地性」は、たんなる景勝地としてではなく、精神的な拠り所としてこの地が機能してきた歴史を物語る。

展示風景より、左は五雲亭貞秀《東海道箱根山中図》(1863)

 19世紀後半以降、箱根は外国人旅行者も訪れる国際的リゾートとなり、日本人絵師のみならず、海外からの「旅する画家」たちもまた、この土地を描きとめていった。また同章では、杉本博司による屏風形式の写真作品《富士図屏風、大観山》(2024)も展示されている。本作は、2024年1月1日の夕刻、箱根の展望地点から長時間露光で撮影されたものだ。浮世絵、水彩、油彩、写真といった多様なジャンルを通して形成されてきた富士山と箱根のイメージは、日本美の象徴としての風景が、いかにして視覚化され、共有されてきたかを示している。

展示風景より
展示風景より、右は杉本博司《富士図屏風、大観山》(2024)

 第2章では、箱根に宿る物語性を手がかりに、現代作家による絵画が紹介される。古来より神話や民話の舞台となってきた箱根は、現代においてもなお、想像力を刺激する場であり続けている。

 イケムラレイコは、歌川広重《東海道五十三次》との対話を起点に、不可思議な生き物や精霊が棲まう幻想的な風景を描き出す。山あいの湖畔に立ち上がる彼女の絵画世界は、時間や場所の境界を越え、箱根に蓄積された物語の層を詩的に呼び覚ます。

イケムラレイコ作品の展示風景

 いっぽう、丸山直文は、豊かな水脈を地中に抱く仙石原を取材し、湿潤な空気と光に満ちた風景を描く。萌え出る緑や水たまりに反射する光は土地の呼吸を感じさせ、鑑賞者を静かな回遊へと誘う。両者の作品は、自然のリズムと土地の記憶を織り込みながら、箱根という場に流れる時間を可視化している。

展示風景より、左から丸山直文《puddle in the woods 5》《puddle in the woods 4》(いずれも2010)

 前半部の締めくくりとなる第3章では、素材と自然の力に向き合う2人の作家、小川待子とパット・ステアの作品が対峙する。

 陶芸家の小川待子は、土やガラスといった素材が、熱や重力、冷却といった物理的条件、さらには長い時間の作用を受けて変容していくプロセスに着目してきた。本展のために制作された新作《月のかけら 25 − P》(2025)は、陶とガラスを組み合わせ、調整と冷却を幾度も重ねながら生み出された立体作品であり、鉱物的な輝きと脆さを併せ持つ。

展示風景より、手前は小川待子《月のかけら 25 − P》(2025)。壁面の作品はパット・ステア《ウォーターフォール・オブ・エインシェント・ゴースツ》(1990)、《カルミング・ウォーターフォール》(1989)

 対するパット・ステアは、絵具をキャンバスに滴らせ、その流れを重力に委ねることで、偶然性から立ち上がる形象を追求する画家だ。両者に共通するのは、人為を超えた自然の作用に身を委ねながら、美を呼び覚まそうとする姿勢である。土、水、火、風といった要素が交錯するこの空間は、大地の深層と人間の創造行為とが交わる場として立ち上がっている。

 展覧会後半は、「共鳴」というキーワードをより明確に立ち上げる、ツェ・スーメイの映像作品《エコー》(2003)から始まる。アルプスの雄大な山岳地帯を舞台に、チェロ奏者でもあるアーティスト自身が音を奏で、その響きが岩肌に反射しながら不規則に空間へと広がっていく様子をとらえた本作は、ツェ・スーメイのキャリアにおける重要な起点となった作品である。

 音はやがて複雑に交差し、鑑賞者には、堅固な山々そのものが発声しているかのような錯覚がもたらされる。峻厳な自然を前に佇む小さな人間の姿は、崇高さに向き合おうとする人間の根源的な衝動を象徴する存在として浮かび上がる。

 ここで示されるのは、自然と人間、個と全体、現在と遥かな時間とが、音の反響を介して結び直されていくプロセスである。本展の前半で提示された「大地の鼓動」は、この章において、聴覚的かつ時間的な次元へと展開されていく。

 続く第5章では、ポーラ美術館が誇る西洋近代絵画コレクションを軸に、19世紀後半から現代に至るまで、崩壊と再生を繰り返してきたヨーロッパにおける創造の旅路がたどられる。

 印象派のクロード・モネフィンセント・ファン・ゴッホ、ポール・ゴーガンは、移ろう光と色彩の揺らぎに真正面から向き合い、刹那的な感覚と永遠への希求を絵画に託した。モネの《サン=ラザール駅の線路》(1877)に象徴される「旅立ち」のモチーフは、外界への移動であると同時に、内面の探求の始まりでもあった。

クロード・モネ《サン=ラザール駅の線路》(1877)の展示風景
展示風景より、クロード・モネの作品群

 ジョルジュ・スーラポール・シニャックは、色彩の科学と出会い、水辺の風景を点描という方法で再構築することで、視覚を構成する最小単位へと分解された世界を提示した。その律動は、今日のデジタルイメージを先取りするかのような構造を内包している。

 また、細胞や微生物といったミクロな世界の有機的秩序に着目し、極めて繊細な表現を展開してきた青木美歌によるガラス作品も展示されている。振動し、増幅していく細胞のリズムを、スーラやシニャックの点描表現と響き合わせる構成となっている点も、本章の見どころだ。

展示風景より、手前は青木美歌のガラス作品

 さらに、アンリ・ルソーオディロン・ルドンが描いた幻想的なヴィジョンは、意識の深層から湧き上がるイメージの力を示し、可視と不可視、現実と夢想の境界を揺るがす。ルソーが描いた戦争や文明のモチーフは、たんなる素朴さを超え、歴史や未来を見通す眼差しを備えたものとして、現代的な問いを孕んでいる。

展示風景より、左からアンリ・ルソー《飛行船「レピュブリック号」とライト飛行機のある風景》(1909)、《エッフェル塔とトロカデロ宮殿の眺望》(1896-98)

 この流れは、第二次世界大戦後のドイツを代表するアーティスト、アンゼルム・キーファーの大作《ライン川》(2023)へと引き継がれる。大地、廃墟、神話、歴史の記憶を重ね合わせながら、死と再生の循環を描き出すキーファーの絵画は、個人の内面を超え、文明の根底に潜む精神の道行きを可視化する。

展示風景より、アンゼルム・キーファー《ライン川》(2023)

 これらの作品に通底するのは、未知の領域へと踏み出す勇気と、その過程で生まれる「飛躍」の瞬間である。画家たちが内に宿した鼓動は、時代を越えて鑑賞者と共鳴し、想像の旅をさらに彼方へと導いていく。

 展覧会のエピローグを飾るのは、名和晃平による「PixCell-Deer」シリーズである。2体の鹿の彫刻が向かい合うように配置された空間は、静謐でありながら強い緊張感を湛えている。

展示風景より、左から名和晃平《PixCell-Deer#74》(2024)、《PixCell-Deer#72(Aurora)》(2022)

 名和は、デジタル画像の最小単位「Pixel(画素)」と、生物の最小構成単位「Cel(細胞)」を掛け合わせた独自の概念「PixCell」を用い、自然と人工、生命と情報の境界を問い続けてきた作家だ。本作では、動物の剥製という自然の表象を、人工クリスタルボールで覆うことで、表面の質感や光の反射を変化させ、見る距離や角度によって異なる像を立ち上げる。

 遠目には確かなかたちを持つ鹿は、近づくにつれて輪郭を失い、色彩や反射が揺らぎ始める。そこでは、「見えているもの」が必ずしも本質ではなく、むしろ不可視の領域にこそ意味が潜んでいることが示唆される。2体の《PixCell-Deer》が対峙する空間は、鑑賞者自身をもまた関係性の内部へと引き込み、生命とは何か、知性とはどこに宿るのかという問いを静かに投げかける。

 箱根という土地から立ち上がり、歴史、自然、身体、そして情報へと連なってきた本展は、現在の私たちの足元へと帰還する。「SPRING わきあがる鼓動」は、過去から未来へ、ここから彼方へと続く想像の循環を、豊かな共鳴として体感させる展覧会である。