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2025.12.20

「セカイノコトワリ―私たちの時代の美術」(京都国立近代美術館)開幕レポート。90年以降の表現が示すもの

1990年代から現在までの美術動向を紹介する展覧会「セカイノコトワリ―私たちの時代の美術 #WhereDoWeStand? : Art in Our Time」が、京都国立近代美術館で幕を開けた。

文・撮影=橋爪勇介(ウェブ版「美術手帖」編集長)

手前から、石原友明《世界。》(1996)と小谷元彦《Phantom-Limb》(1997)
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 1989年から2010年までの日本の現代美術を対象とする「時代のプリズム:日本で生まれた美術表現 1989–2010」が国立新美術館で開催された今年。これに続くように、1990年代から現在までの美術動向を紹介する展覧会「セカイノコトワリ―私たちの時代の美術 #WhereDoWeStand? : Art in Our Time」が、京都国立近代美術館で幕を開けた。担当学芸員は同館主任研究員・牧口千夏。

 展覧会タイトルにある「セカイノコトワリ」。このカタカナ表記について牧口は、「不安定な社会のうえで大事なことを考えるとき、ヒントを与えてくれる作品と出会うことができる展覧会にしたかった。世界の真理のようなものに触れる場所としての美術館という意味を込めた」と語る。

 本展では、同館がこれまで収集してきたコレクションを基盤に「日常」「アイデンティティ」「身体」「歴史」「グローバル化社会」といったキーワードから、関西のアートシーンに比重を置いた20作家を選定(青山悟、石原友明、AKI INOMATA、小谷元彦、笠原恵実子、風間サチコ、西條茜、志村信裕、高嶺格、竹村京、田中功起、手塚愛子、原田裕規、藤本由紀夫、古橋悌二、松井智惠、宮島達男、毛利悠子、森村泰昌、やなぎみわ)。

 出品点数は約70点にのぼり、そのうち約40点は京都国立近代美術館の収蔵作品となっている。これは同館における2020年代以降の現代美術収集の成果を示す機会であり、作家や他館から借用された作品を加え、作品同士のネットワークを「海図」のような物語として描き出す試みでもある。会場は美術館のロの字型の構造を生かし、ひとつの島から次の島へ渡るように構成されており、各作品がゆるやかにつながりあう。

竹村京の作品群。壁に展示されたのは《Floating on the River》(2021)

「失われた30年」で生み出されたもの

 今回の出品作家らはみな、1990年頃から2020年代、つまり日本社会における「失われた30年」とされる時代を共有している。その作品には、不景気や震災、戦争、急速なテクノロジーの変化により、大きく変化した時代背景が少なからず反映されていると言えるだろう。

 例えば、西宮市大谷記念美術館に収蔵されている藤本由紀夫《SUGAR 1》(1995)は、阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件を背景に制作された作品。横向きに設置されたガラス管はモーターによって回転し続け、中にびっしりと詰められた角砂糖がじょじょに崩壊していく。これによって、日常の脆さ、あるいは日常と非日常が連続する現実を静かに示す。

ゆっくりと動く藤本由紀夫の《SUGAR 1》(1995)

 コロナ禍で強く意識されるようになったマスクや呼吸、あるいは他者との距離感。これらをモチーフに作品を生み出した作家もいる。青山悟の《喜びと恐れのマスク(Kissing)》(2020)は、2020年代の「ドレスコード」となったマスクを素材に、キスをする2人をモチーフにしたものであり、コロナ禍の記憶をそこにとどめている。

青山悟《喜びと恐れのマスク(Kissing)》(2020)
「身体性」を想起させる陶磁器と、そこに息や声を吹き込むパフォーマンスで知られる西條茜の作品群

インスタレーション再展示も軸に

 1990年代以降の現代美術を象徴するインスタレーションも、本展の大きな柱となる。松井智惠による「LABOUR」シリーズ(1993)はそのひとつ。壁には「彼女は労働する」「彼女は説明する」などの言葉が記されており、アーティストの肉体労働や苦痛などの身体的経験を可視化する。見るものを寓話的な世界へと誘う壁に色にも注目だ。

松井智惠の「LABOUR」シリーズ(1993)は1つの部屋で展示されている

 21年ぶりの展示となる石原友明の《世界。》(1996)もメインピースのひとつ。本作は1995年にキリンプラザ大阪での個展で発表されたもの。床に敷き詰められた真鍮板には点字が打たれており、天井から吊るされたシャンデリアを反射する。鑑賞者が床に立つことで自らが作品に映り込み、「見る/見られる」という関係を逆転させるということだけでなく、点字を取り入れることで、その意味を理解するもの・しないものに、異なる世界を提示する。

石原友明《世界。》(1996)の展示風景
床の点字にも注目

 さらに田中功起は、2015年に京都で行われた国際展「PARASOPHIA:京都国際現代芸術祭2015」のために制作した5チャンネルの映像インスタレーション《一時的なスタディ:ワークショップ#1「1946年–52年占領期と1970年人間と物質」》(2015)を再展示。これに加え、当時ワークショップに参加した高校生6名を10年ぶりに集め、各自の立場からこの10年間を語る新作映像《10年間》も見せる。これによって、10年前の作品が見事にアップデートされている。

田中功起《一時的なスタディ:ワークショップ#1「1946年–52年占領期と1970年人間と物質」》(2015)の展示風景

空間にあわせた展示

 本展は展示室にとどまらない。1階ロビーの一角に広がるのは、毛利悠子のインスタレーション《Parade》(2011–17)だ。本作は、テーブルクロスの図案を譜面に変換し、電流によってアコーディオンやドラム、風船などを動かすユーモラスなインスタレーションだ。光・重力・音といった不可視の現象を取り込みながら、その存在を鑑賞者に気づかせる。

毛利悠子《Parade》(2011–17)の展示風景

 また、展示室へ向かう階段を上る途中には、AKI INOMATAの代表的なシリーズである「やどかりに『やど』をわたしてみる」が並び、国境を越えて移動する現代人の姿をヤドカリに重ねて提示する。

AKI INOMATA《やどかりに「やど」をわたしてみる-Border-(ラ・リューシュ、パリ)》(2024)

 このほか、日本の近代史や移民の記憶をアーティストが自らの視点で読み直す作品も紹介される。高嶺格は、在日コリアンのパートナーとの関係を題材にテキストや写真を組み合わせ、個人史を通して近代の歴史を照射。手塚愛子は京都・西陣の織物職人と協働し、日本の鎖国・開国の歴史から着想された《閉じたり開いたり そして勇気について(拗れ)》(2024)をつくりあげた。また原田裕規は、日系ハワイ移民の混成文化をピジン英語によって語る映像作品「シャドーイング」シリーズを出品。それぞれ異なる角度から日本と世界の関わりを検証する。

手塚愛子《閉じたり開いたり そして勇気について(拗れ)》(2024)の展示風景
原田裕規の「シャドーイング」シリーズ

 本展は、明確な答えを提示する展覧会ではない。むしろ、私たちが立っている「いま」という地点が、いかに多層的で、不確かで、同時に切実な問いに満ちているかを、作品を通して静かに浮かび上がらせる試みと言えるだろう。京都国立近代美術館のコレクションが編み直すこの「私たちの時代」の像は、鑑賞者一人ひとりに異なる読みを許容しながら、世界と向き合うための思考の足場を差し出すものだ。

 なお本展は、近年現代美術分野への強いコミットメントを見せるメルコグループが主催に入ることで開催が実現したもの。福永治館長は、「国立美術館が経済的に厳しい状況にあるなかで、メルコグループと展覧会を行うことは新しい事業モデル」と語る。メルコが提供した資金は数千万円単位だという。