2026.1.6

27年の開館を目指して。宮島達男の作品を常設する《時の海 - 東北》美術館(仮称)、福島に建設

東日本大震災をきっかけに、宮島達男が進めてきたアートプロジェクト「時の海 - 東北」プロジェクト。その成果を常設すべく、建築家の田根剛による設計で美術館計画がスタートしている。

文=中島良平

《時の海—東北》美術館(仮)のパース ©Atelier Tsuyoshi Tane Architects
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 「それは変わりつづける」「それはあらゆるものと関係を結ぶ」「それは永遠に続く」という3つのコンセプトに基づき、1から9までの数字が明滅を繰り返すLEDデジタルカウンターを用いた作品で世界的に知られる現代美術家の宮島達男。宮島は、2011年の東日本大震災を経て、犠牲者の鎮魂、震災の記憶の継承、そして東北の未来をともにつくることを願い、「時の海 - 東北」プロジェクトを続けてきた。これは東北に生きる人々や、東北に想いを寄せる人々など、3000名と協働してつくりあげるアートプロジェクトだ。宮島は本プロジェクトについて次のように語る。

 「このプロジェクトは、3.11の東日本大震災、そしてそれに伴う東京電力福島第一原子力発電所の事故という複合災害を契機に構想したものです。コンセプトとして大きく2つ考えたのが、まず、被災地に関係のある多くの方々を中心とした参加型作品にすること。実際に3000名の方々に参加していただき、協働作品をつくってきました。そしてもうひとつが、完成した作品を震災があった東北の沿岸地域のどこかに設置すること。海と作品をセットで見ていただけるような場所をつくり、その鑑賞体験がそのまま作品の一部となるような想定をしました」。

 宮島は2015年に宮城県石巻市で被災された地元の人々にヒアリングを行い、それから10年にわたり各地でワークショップの開催を続けてきた。参加者がデジタルカウンターを思い思いのスピードに設定し、3000台以上のカウンターが水中に並ぶインスタレーションの完成を目指している。

《時の海—東北》美術館(仮)の内部パース ©Atelier Tsuyoshi Tane Architects

 並行して、北は青森から南は北茨城まで、作品を恒久設置する美術館にふさわしい場所を探した。なかなかイメージ通りの沿岸の候補地が見つからない。そして出会ったのが、福島県富岡町の常磐線の富岡駅から北へ1.5キロメートルほどの場所に位置する土地だ。宮島は、海岸沿いから一段上がった、かつて下水処理施設が建っていた広いエリアと、そこから一段高い場所の高台の区画などあわせて3万6744平方メートル、サッカー場およそ5面分に及ぶ広さの土地を取得した。

 「条件としては、海が見える場所で、人工物が目に入らない土地であること。そして、海と作品がともに佇み、来館者が同時にその両方と向き合えるような場を生み出せること。沿岸地域を5年ほど前から探し回り、2年前にようやくこの土地と出会うことができました。海の音が聞こえて、周りが森に囲まれたこの場所はまさに理想的でした」。

建設予定地から海を望む 撮影=筆者

 美術館の設計を手がけるのは、パリを拠点にATTA(Atelier Tsuyoshi Tane Architects)を率いる建築家の田根剛。宮島は、田根がリノベーション設計を手がけた弘前れんが倉庫美術館などを見て、土地やそこに暮らす人々の記憶へのアプローチに感銘を受け、設計を依頼したという。田根は、「宮島さんが東北の震災を機に、ご自身の強い思いで『時の海 - 東北』というプロジェクトを進められてきて、作品が常設される美術館には『つながり』というものが大切なキーワードになると考えています」と話す。

 「この砂利敷の広場と、上の高台はなだらかな坂で山のようにつながった場所でした。その山が削られ、この場所に下水道処理施設がつくられた経緯がありますが、まずこの地形を戻していき、高台の方の駐車場から坂道を降りてきた場所に、宮島さんの作品が設置される場所をつくります。宮島さんの作品が中央に置かれ、そこに大きな円形の蓋をするようなかたちの施設ができることをイメージしています。

 そして、富岡町のいろいろな施設とのつながりをどうつくっていくかというヴィジョンはとても重要ですし、また、この美術館予定地に隣接する浜街道という道路は、北は仙台まで続く沿岸道路です。サイクリングロードにもなっているこの道を介して地域をつなぎ、文化を未来へとどう受け継いでいくか。東北の震災の過去に戻るのではなく、その記憶を受け継ぎながら未来をつくっていくプロジェクトだと考えています」。 

鬱蒼とした茂みの「高台」から「砂利敷の広場」を見下ろす 撮影=筆者
《時の海—東北》美術館(仮)のパース ©Atelier Tsuyoshi Tane Architects

 富岡町は、福島第一原発と第二原発に挟まれた場所に位置し、震災後には全町避難を経験した町だ。2017年4月に帰還困難区域を除く地域で避難指示が解除されたものの、震災以前に1万6000人ほどだった人口が、現在の居住人口は2500人ほど。JRの線路を挟み、海側は更地から復興工事が行われている最中にある富岡町は、記憶を受け継ぎながら未来を創造するのにふさわしい場所だといえる。

 作品《Sea of Time - TOHOKU》が恒久設置されるのみではなく、そこにはコミュニティセンターやカフェも併設され、来場者と地元の人の交流の創出も目指している。「この場所を中心に、様々なコミュニティと連携しながら新たな未来をつくっていきたいと思います」と宮島。

 2027年の竣工を目指し、ファンドレイジングの一環として宮島の版画作品がAKIO NAGASAWA GALLERYで販売開始されるなど、ストーリーは始まったところだ。今後も進捗を追いかけていきたい。

手に見えるのが富岡駅。左手の海岸側にはワイナリーが誕生し、美術館と連携して地域の未来を創造していく