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2024.12.5

土と救済。関貴尚評「シアスター・ゲイツ展:アフロ民藝」

世界が注目するブラック・アーティスト、シアスター・ゲイツの日本初個展「シアスター・ゲイツ展:アフロ民藝」が、9月1日まで東京の森美術館で開催された。陶芸、建築、音楽で日本文化と黒人文化の新しいハイブリッドを描き出したゲイツの実践について、美術史を専門とする関貴尚が考察する。

文=関貴尚

「シアスター・ゲイツ展:アフロ民藝」(森美術館)の展示風景より
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土と救済

時おり日本の陶芸を見ていると〔……〕、神を見ているような気持ちになることがあります。人々のうちにある神のような創造性、泥のなかに美を見いだす普通の人々に、私は目を向けているのです。
──シアスター・ゲイツ(*1)

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 顧みられることもなかった名もなきものたちが、芸術において救済される。森美術館で開催された「シアスター・ゲイツ展:アフロ民藝」において「アフロ民藝」(Afro-mingei)なる複合名詞が体現するのは、そのような美との接続を通じてなされる救済のプロジェクトである。

 現在、シカゴを拠点に活動するシアスター・ゲイツは、2009年の「ドーチェスター・プロジェクト」をはじめとして、地元シカゴのサウスサイドで放置された建物を文化施設へと改修し、困窮化したアフリカ系アメリカ人コミュニティを再生させる数々の実践で知られるようになった。そのような美術制度の外にいる人々や地域コミュニティとの関与を土台とする実践は、一般に「ソーシャル・プラクティス」と呼ばれる。

 だが、ゲイツをたんなるソーシャル・プラクティスのアーティストとして位置づけることは適切ではないだろう。ゲイツは大学で都市計画や宗教学とともに陶芸を学び、ことあるごとに自らを「陶芸家」と規定してきた作家でもあるからだ(*2)。絵画、彫刻、陶芸、詩、音楽、都市開発、蒐集ときわめて横断的な彼の実践全体を貫くものこそ、陶芸であるように思われる。以下では、いくぶん展覧会レビューの範囲を超えるが、アフロ民藝との関連から、ゲイツにおける陶芸的方法に焦点を当てつつ、彼の実践を総合的に考えてみたいと思う。

 さて、陶芸に用いられる土は、どこにでもある平凡な素材にすぎない。しかし陶芸家は、その無価値とも思える土にかたちを与え、高温の窯のなかで焼き固めることで美しい器へと昇華させる。陶芸とはその意味で、卑俗なものを金へと変える一種の錬金術であると言えるかもしれない。ゲイツはインタビューのなかで、そのような陶芸のプロセスを「地球上でもっとも卑しい素材──泥──を美しく有用なものに変える魔法」(*3)と表現している。だが、ここで見逃せないのは、いっぽうでゲイツにおいては都市再生プロジェクトもまた、陶芸と並行する実践としてみなされていることだ。

街の荒廃とは何を意味するのかと言えば、私にとっては重要で潜在的な価値をもちながら、なんらかの理由で心理的に貶められた場所のことです。不名誉や暴力行為の結果として、価値が下がっているのです。私たちはそのような街の荒廃を現実のものとして想像することもできれば、潜在的に有用なものとして想像することもできるわけです。(*4)

 貶められた場所を「潜在的に有用なものとして想像すること」。疎外されたものにこそ美と有用性を見いだすこの方法において、ゲイツのすべての実践は互いに連動し、かつ並行している。それらに通底するのは、無価値と思えるものを価値あるものへと転化させる、すぐれて陶芸的な手法にほかならない。すなわちゲイツは、陶芸家が土から美しい器を生みだすのと同じように、貧困地域を豊かな文化空間へと蘇らせるのだ。

 実際ゲイツは、数々の都市再生プロジェクトにおいて、廃墟化した建物を流用することで、困窮に陥ったアフリカ系アメリカ人コミュニティを再生させてきたが、他方で絵画や彫刻などの制作実践においても、このような再利用の方法論が用いられていることは一見して明らかだ。例えば、本展の出展作《黒い縫い目の黄色いタペストリー》(2024)は、廃棄された消防ホースを再利用することで、モダニズム絵画の意匠を借りた抽象画へと生まれ変わらせたものである。

黒い縫い目の黄色いタペストリー 2024 使われなくなった消防ホース、木 185✕260✕151cm

 またいっぽうで、消防ホースという素材の選択には、アフリカ系アメリカ人たちの闘争の歴史が横たわっている。アラバマ州バーミングハムでは、黒人への人種差別が徹底され、警察官による暴行やKKK(白人至上主義団体)による黒人居住区への爆弾攻撃が頻発していた。こうした状況のなか、1963年5月、キング牧師指導のもと、経済的困窮を懸念した大人たちに代わり、子供たちによる非暴力デモが決行された。このとき、デモ隊を封じ込めるために警察犬とともに警察が用いたのが、高水圧の消防ホースであった。木の樹皮を剥ぐほどのその凄まじい水圧によって、子供たちは吹き飛ばされ、衣服までもが引き剥がされた。だが、この蛮行がメディアを通じて世界中に報じられた結果、翌年の公民権法成立へと結実していくことになる(*5)。ゲイツが消防ホースという素材に語らせるのは、まさにこうした、非暴力の戦術を通じて自らに向けられた暴力を抵抗の力へと転換したアメリカ黒人たちの歴史である。ゲイツは素材の入念な選択を通して、廃材の復活とともに、自らの権利を勝ちとるために戦った人々の生をも回復させてみせるのだ。

 卑しい素材、貶められた場所、虐げられた者たちの生を、芸術=陶芸的手段によって救済すること。こうした方法論をゲイツが一貫して導入していることは、本展に集められたものがいずれも、ファウンド・オブジェ的な所作に関連していたことと無縁ではない。例えば、民藝運動の創始者である柳宗悦によって発見され、それまで仏像も作者さえも知られていない無名の存在だった木喰仏。あるいは、ひとりの労働者として生きたゲイツ自身の父親が実際に塗ったタールを転用した作品──画面左下には「DAD(お父さん)」と書かれている──《年老いた屋根職人による古い屋根》(2021)。展覧会の入り口に置かれたこれらふたつの作品は、アーティストとしては認知されず美的領域に場を与えられてこなかった人々を──作家の言葉を借りれば──「祝福する」本展の試みを端的に象徴するものだろう。

展示風景より、左からシアスター・ゲイツ《年老いた屋根職人による古い屋根》(2021)、木喰上人《玉津嶋大明神》(1807)

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 ところで、ゲイツのプロジェクトの多くは、彼が2010年に設立した財団「リビルド・ファウンデーション」の支援によって実現されているが、その使命は、「無料のアート・プログラムを提供し、新しい文化施設をつくり、手頃な価格の住宅、スタジオ、住居兼仕事場(ライブワーク・スペース)を開発することで、アーティストを支援し、コミュニティを強化」することである(*6)。ここで注目すべきは、都市開発事業と見紛うばかりのこの種の大規模なプロジェクトの実現において、ゲイツが自身の作品の販売収益を活用してきたことだ。例えば、「ストーニー・アイランド・アーツ・バンク」の改装資金は、旧銀行のトイレに使われていた大理石板を再利用してつくられた《銀行債券(バンク・ボンド)》(2013)──いうまでもなく、デュシャンの《泉》(1917)と《モンテカルロ債券》(1924)が引用されている──を、ひとつ5000ドルの価格で販売することによって賄われたものである(*7)。つまり、廃材からつくられた作品の売上が、ゲイツのソーシャル・プラクティスの資金源となるのだ。

 このような資金調達の手法は、近年の美術界でブラック・アーティストへの注目が集まる状況を逆手にとっていると言えるかもしれない。美術史家のエイドリアン・アナグノストは、「不動産や都市開発におけるゲイツの仕事は、彼がアーティストであるという身元証明(アイデンティティ)によって推進されており、それにより文化生産の名の下に、投資のための財政支援や物流支援を生みだすことが可能になる」と指摘している(*8)。つまりゲイツは、たんなる「不動産デベロッパー」ではなく、「アーティスト」として都市開発に従事しているがゆえに、通常の不動産デベロッパーでは不可能な資金源へのアクセスを許されているのである。

 実際、ゲイツの都市再生プロジェクトは、作品販売の収益にとどまらず、財団や公的機関から多額の資金援助を受けることによって成立している。例えば2016年には、彼が推進するプロジェクトのひとつである「シカゴアーツ・アンド・インダストリーコモンズ」に対して、JPB財団、ナイト財団、クレスゲ財団、ロックフェラー財団、さらには個人の投資家や慈善団体から1025万ドルもの資金が提供されているが(*9)、これほどの資金調達が可能なのは、「アーティストの社会関係資本」があればこそだろう。こうして、アナグノストが的確に指摘するように、「アーティストの社会関係資本が、政治的・経済的に周縁化された人々に転移され」(*10)、投資の及ばなかったシカゴのサウスサイドが、活気ある文化空間として蘇るのだ。

展示風景より、シアスター・ゲイツがこれまで手がけてきた建築プロジェクトの概要紹介

 ジョン・コラピントによるインタビューのなかでゲイツは、アーティストとしての自身のアイデンティティを活用することを「レバレッジ」という言葉で表現している。

私に電話をかけてきて、私のスタジオですぐに取引ができないかと尋ねてくる人たちは、じつはマーケットについて考えているだけで、彼らが私にレバレッジをかけているように、私もまさに彼らにレバレッジをかけているのだと気づいたのです。(*11)

 「レバレッジ」とは、金融やビジネスの文脈において、少ない投資でより大きな利益を得るための手法だが、要するにゲイツは、ブラック・アーティストとしての社会関係資本に「レバレッジ」をかけ白人富裕層から資金を調達することによって、疎外されたコミュニティへの支援──富の再配分──を実現させているのである。すなわち、ゲイツが美術界で成功すればするほどに、サウスサイドのアフリカ系アメリカ人コミュニティへと資金が還元されるのだ。ゲイツは、ブラック・アーティストとしての自身のアイデンティティに商品価値があることにきわめて自覚的な作家なのである。

 そしてこのことは、ゲイツが白人社会のなかで黒人として生きざるを得ない、アフリカ系アメリカ人の二重性と抜き差しがたく結びついているように思われる。以下に引くのは、W・E・B・デュボイスの『黒人のたましい』(1903)からの一節である。

アメリカの世界──それは、黒人に真の自我意識をすこしもあたえてはくれず、自己をもう一つの世界(白人の世界)の啓示を通してのみ見ることを許してくれる世界である。この二重意識、このたえず自己を他者の目によってみるという感覚、軽蔑と憐びんをたのしみながら傍観者として眺めているもう一つの世界の巻尺で自己の魂をはかっている感覚、このような感覚は、一種独特なものである。彼はいつでも自己の二重性を感じている。──アメリカ人であることと黒人であること。〔……〕 

アメリカ黒人の歴史は、この闘争の歴史である。すなわち、自我意識に目覚めた人間になろうとする熱望、二重の自己をいっそう立派な自己に統一しようとする熱望の歴史なのである。この統一の過程で、彼は、古い自己のいずれも失いたくないと望んでいる。(*12)

 いっぽうで白人社会で白人と対等に評価されること、他方で黒人としての自尊心を失わずにいること──この引き裂かれた「二重の自己」を生き抜くことをアメリカ黒人たちは強いられている。ブラック・アーティストとして白人の美術の世界で高い評価を受けつつ、その資本を黒人コミュニティへと還元するゲイツの戦略は、そうしたアフリカ系アメリカ人の「二重意識」として理解されるべきだろう。それはまた、いわゆる芸術作品に基づく実践のレベルで言えば、白人の文化形式──デュシャンから、フランク・ステラ、ジョセフ・アルバース、カラー・フィールド・ペインティングなどのモダニズム芸術に至るまで──を流用しつつ、アメリカ黒人史を語る手法にも明らかに読みとることができる。したがって、アフロ民藝というハイブリッド(混淆的)な概念もまた、何よりもまず、抑圧システムに抵抗して境界を行き来するこの二重性との関連においてこそ把握されなければならない。

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 ゲイツは本展のステートメントのなかで、日本の⺠藝運動とアメリカの公⺠権運動のなかで起こった「ブラック・イズ・ビューティフル」運動とを結びつけ、両者に共通するのは「植⺠地主義的ヘゲモニー(覇権)への抵抗」であると書いている。知られているように民藝とは、それまで美的に劣ると蔑まれてきた、無名の工人による凡庸で廉価な「雑器」にこそ「美」を見いだし擁護するという思想であり文化運動である。とりわけ柳はこの運動を通して、帝国日本の周縁に位置し評価を与えられてこなかった、朝鮮、沖縄、台湾、アイヌの文化に目を向け、その工芸品の蒐集・保存に尽力しただけでなく、植民地支配下の朝鮮で起きた「三・一独立運動」を支持し、朝鮮に対する日本の同化政策を非難した数少ない知識人のひとりであった(*13)。

 他方で、「ブラック・イズ・ビューティフル」もまた、白人社会のなかで長らく不当に劣るとみなされてきた黒人の身体、文化、アイデンティティを再評価しようとする実践であり、アフリカ系アメリカ人たちはこの運動を通して、「美しい」白に対する「醜い」黒という美的規範に抵抗し、ブラックであることを自ら肯定していった。黒い肌やアフロヘア、アフリカの民族衣装は、奴隷制時代以来、白い肌やストレートヘアこそが魅力的だとされた差別意識のなかで否定され続けたが、それらの見直しがようやく生じたのは、公民権運動のなかで「ブラックは美しい」と叫ばれるようになった1960年代半ば以降のことだ(*14)。

展示風景より、ジョンソン・パブリッシング・カンパニーのアーカイブ展示

 要するにゲイツは、民藝と「ブラック・イズ・ビューティフル」のうちに、支配者側の美的基準に抗う抵抗の実践をみてとろうとするのだ。すでに述べたように、ゲイツは疎外されたものを美的なものへと転化する方法論を一貫して用いてきたが、アフロ民藝において目指されるのもまた、この価値転換、すなわち芸術的(陶芸的)実践を通じた抵抗=救済のプロジェクトなのである。こうして両者は、共通の目的のなかで強く結合し、いわば連帯することになる。

 ところで、アフロ民藝はコロニアルな思考とはたして無縁だろうか。清水穣は民藝運動を、「差異化された文化システム」──上下、貴賤、美醜、善悪、等々──と「その外部」という二元論に基づく「1920年代に日本に着床したモダニズムの一表現」であると論じている。清水にしたがえば、この外部とは内部からみた一方的なものであり、そこにはコロニアルな視点が含まれている。というのも、民藝運動で称賛された品々の多くは、一方が他者を価値づけることによって見いだされたものであるからだ(*15)。実際、柳は日本の植民地支配を批判しつつも、他方で朝鮮の美術工芸の特質を「悲哀の美」と形容することで、すなわち朝鮮の虐げられた状況そのものを美の条件とすることで日本の植民地支配を暗に追認してもいた。

 ゲイツもまた、そうしたコロニアルな思考様式を完全には免れていないように思われる。実際、ゲイツはインタビューのなかで、山口庄司のプロジェクト(ヤマグチ・インスティチュート)について訊ねられた際、「私がやろうとしていたのは、白人と黒人の二元論から他者への二元論へのシフトでした」と述べ(*16)、また、菊池裕子と山本浩貴との鼎談では、民藝と「ブラック・イズ・ビューティフル」を「自己愛」に基づく方法としてとらえつつ、植民地主義を不可避的に受け入れざるを得ない自らの立場を率直に語っている。

民藝もまたいくつかのことを取りこぼしており、日本によって植民地化されたほかの多くの文化を受け入れているわけではありませんが、けれども、そのすべてにまたがる前提にあるのは、自己愛に満ちたものを達成しようとすることであり、そのやり方こそが民藝とブラック・イズ・ビューティフルの類似点であって、そこには同様の哲学的基盤があるのです。私はアメリカ人であり、英語を母国語として話しています──つまり、植民地主義を拒否することも、西洋思想を拒否することもできない。けれども、私は黒人でもあるわけで、だから西洋も自分とは違うものも両方受け入れなければならないのです。(*17)

 ここに「自分とは違うもの」、すなわちアメリカ──「白人と黒人の二元論」──の「外部」としての日本というコロニアルな構造を見てとることは難しくないだろう。その意味でゲイツもまた、モダニストだと言える(ただし、彼の実践がコロニアリズムを意味するわけではまったくない)。繰り返せば、ゲイツのすべての実践は価値転換の方法において通底するが、しかしここで問題とされるべきは、対象をいかに扱うかの決定権がアーティストに委ねられることで生じる、価値づけるものと価値づけられるものとのあいだの非対称的な関係性である。

展示風景より、「門(gate)」のロゴを印字し再焼成した作品《みんなで酒を飲もう》(2024、部分)

 本展では、陶芸家・谷穹の祖父が長年にわたって蒐集した大量の貧乏徳利に、ゲイツが自身の名前(Gates)をもじった「門(gate)」のロゴを印字し再焼成した作品《みんなで酒を飲もう》(2024)が展示されていた。現在では実用性を失い使われなくなった貧乏徳利が芸術作品として蘇ったわけだが、それらの品々は結局のところ、アフロ民藝というコンテクストの内部へと一元化され、いわばゲイツ・ブランドの商品として流通することになるだろう。実際、ゲイツは次のように語っていた──「私はある特定の物をつくるための生産ではなく、生産自体が重要な行為としての生産について考える機会をつくろうと決意しました。私は物性、すなわち物には価値があるのかないのか、物をつくる企業のオーナーがどのように価値を確立しているのか、アートマーケットが物をどのように考えているのかにとても関心があるのです」(*18)。ここに示されているのは、生産物の売り方、ブランディングそのものが商品と化すという転倒である。ゲイツの実践が「錬金術」に喩えられる所以も、まさしく、こうしたきわめてデュシャン的な手法に由来する。

 だが、その結果生みだされるのは、西洋、アフリカ、日本といったどの文化にも還元できない「雑種的=異種混淆的(ハイブリッド)」な何かにほかならない(*19)。《プラダ仕覆》(2024)においては、茶道で用いられる仕覆と黒人の身体を連想させる黒い皮とが組み合わされ、さらには西洋の高級ブランドであるプラダのロゴまで付けられていたが、それはまさに、黒人や日本の類型性と文化の商品化を引き受けつつ、かつ同時に異質な文化が交雑することによって、さらなるステレオタイプ化に抗う戦略ともなる。

 「アフロ民藝」のセクションには、ミラーボールのように回転する氷山型の輝く彫刻と、DJブースを備えたバーカウンターが設置され、空間全体がまるでディスコクラブのような様相を呈していた。そこに企図されているのは、民族、人種、宗教、セクシュアリティ等々にかかわらず、様々な差異をもつ人々が集い、踊り、ひとつの場を共有することだろう。ここでは器を造形することが、文化交流と集団性のための容器へと延長されている。アフロ民藝とはしたがって、異質な者たちをハイフンのように結びつけ、雑多に混じり合う空間としての「器」でもあるのだ(*20)。

展示風景より、DJブースを備えたバーカウンターや氷山型の彫刻が設置された

 ゲイツはエドムンド・デ・ワールによるインタビューのなかで、20代の頃に日本との出会いという「差異の衝突があったからこそ、最終的にアフロ民藝のようなものにたどり着くことができた」と語っている(*21)。文化は固定的なものでもなければ、自己と他者、支配と被支配といった単純な二分法で成り立っているわけでもない。異なる文化が衝突するときにもたらされるハイブリディティこそが、現実なのである。

*1──“And There We Wept: Theaster Gates and Massimiliano Goni in Conversation,” Theaster Gates: Young Lords and Their Traces, eds. Massimiliano Gioni, Gary Carrion-Murayari, New York: Phaidon/New Museum, 2022, p. 175. 
*2──「地域をどのように蘇らせるのか──想像力、美、アートを用いて」と題されたTEDトークのなかで、ゲイツは「私は陶芸家です」という宣言からスピーチをはじめ、「芸術実践や陶芸家としての訓練のなかで私をわくわくさせることのひとつは、無から偉大なものをつくりだす方法をすぐに学べるということです」と述べている。Theaster Gates, “How to Revive a Neighborhood: with Imagination, Beauty, and Art,” Ted 2015 (March, 2015) , https://www.ted.com/talks/theaster_gates_how_to_revive_a_neighborhood_with_imagination_beauty_and_art?subtitle=en
*3──John Colapinto, “The Real-Estate Artist,” The New Yorker, January 20, 2014, https://www.newyorker.com/magazine/2014/01/20/the-real-estate-artist
*4──Tom McDonough, “Theaster Gates,” BOMB 130 (Winter 2014–2015), https://bombmagazine.org/articles/2004/12/10/theaster-gates
*5──ジェームス・M・バーダマン『黒人差別とアメリカ公民権運動──名もなき人々の戦いの記録』水谷八也訳、集英社新書、2007年、175−185頁。上杉忍『アメリカ黒人の歴史──奴隷貿易からオバマ大統領まで』中公新書、2013年、128–133頁。
*6──ゲイツのウェブサイトを参照。“Rebuild Foundation,” https://www.theastergates.com/project-items/rebuild-foundation
*7──Colapinto, op. cit.
*8──Adrian Anagnost, “Theaster Gates’ Social Formations,” Nonsite.org, July 11, 2018, https://nonsite.org/theaster-gates-social-formations
*9──Audrey Wachs, “Theaster Gates Projects Gets $10 Million to Revitalize Chicago’s South Side,” The Architect’s Newspaper, September 9, 2016, https://www.archpaper.com/2016/09/theaster-gates-10-million-chicago-south-side.
*10──Anagnost, op. cit. 
*11──Colapinto, op. cit. 
*12──W・E・B・デュボイス『黒人のたましい』木島始・鮫島重俊・黄寅秀訳、岩波文庫、1992年、15–16頁。
*13──本稿における柳および民藝運動に関する記述は以下の文献に負う。中見真理『柳宗悦──「複合の美」の思想』岩波新書、2013年。
*14──“Black is Beautiful: The Emergence of Black Culture and Identity in the 60s and 70s,” National Museum of African American History and Culture, https://nmaahc.si.edu/explore/stories/black-beautiful-emergence-black-culture-and-identity-60s-and-70s. Addison Gayle, Jr., “Cultural Strangulation: Black Literature and the White Aesthetic,” in Addison Gayle, Jr., ed., The Black Aesthetic, New York: Anchor/Doubleday, 1971, pp. 38–45.
*15──清水穣「民藝のための婉曲語法。東京国立近代美術館「民藝の100年」展レビュー」Tokyo Art Beat、2021年12月12日、https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/mingei_momat_review
*16──“Theaster Gates with Phong H. Bui,” The Brooklyn Rail, December 14, 2020, https://brooklynrail.org/2020/12/art/THEASTER-GATES-with-Phong-H-Bui
*17──“Afro-mingei: A conversation between Theaster Gates, Yuko Kikuchi and Hiroki Yamamoto,” Tank Magagine, no. 96 (Fall 2023), https://magazine.tank.tv/issue-96/features/afro-mingei
*18──リサ・ユン・リーとの2014年の会話より引用。Lisa Yun Lee, “Everything and the Burden is Beautiful,” Theaster Gates, London: Phaidon, 2015, p. 67. 
*19──ホミ・K・バーバ『文化の場所 ポストコロニアリズムの位相』本橋哲也・正木恒夫・外岡尚美・阪元留美訳、法政大学出版局、2005年。
*20──ゲイツによる次の言葉を参照。「器と一緒に集うかもしれない人々から切り離して器について考えることはけっしてありません。人々のいない物は、本当の物ではない。人々のいない物は存在しえないのです。なぜなら、物を充分に経験することを可能にするのは、人々と一緒のときだけだからです」(Victoria Sung, “Creating Space for the Possibility of a Sacred Moment: Theaster Gates on Black Vessel for a Saint,” Walker Art Center, August 27, 2019, https://walkerart.org/magazine/theaster-gates-discusses-black-vessel-for-a-saint)。
*21──“In Conversation Theaster Gates and Edmund de Waal,” Theaster Gates: A Clay Sermon, London: Whitechapel Gallery, 2022, p. 206. 
*本文引用の訳については、(翻訳書籍のものを除き)すべて筆者による。