土と救済。関貴尚評「シアスター・ゲイツ展:アフロ民藝」
世界が注目するブラック・アーティスト、シアスター・ゲイツの日本初個展「シアスター・ゲイツ展:アフロ民藝」が、9月1日まで東京の森美術館で開催された。陶芸、建築、音楽で日本文化と黒人文化の新しいハイブリッドを描き出したゲイツの実践について、美術史を専門とする関貴尚が考察する。
土と救済
時おり日本の陶芸を見ていると〔……〕、神を見ているような気持ちになることがあります。人々のうちにある神のような創造性、泥のなかに美を見いだす普通の人々に、私は目を向けているのです。
──シアスター・ゲイツ(*1)
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顧みられることもなかった名もなきものたちが、芸術において救済される。森美術館で開催された「シアスター・ゲイツ展:アフロ民藝」において「アフロ民藝」(Afro-mingei)なる複合名詞が体現するのは、そのような美との接続を通じてなされる救済のプロジェクトである。
現在、シカゴを拠点に活動するシアスター・ゲイツは、2009年の「ドーチェスター・プロジェクト」をはじめとして、地元シカゴのサウスサイドで放置された建物を文化施設へと改修し、困窮化したアフリカ系アメリカ人コミュニティを再生させる数々の実践で知られるようになった。そのような美術制度の外にいる人々や地域コミュニティとの関与を土台とする実践は、一般に「ソーシャル・プラクティス」と呼ばれる。
だが、ゲイツをたんなるソーシャル・プラクティスのアーティストとして位置づけることは適切ではないだろう。ゲイツは大学で都市計画や宗教学とともに陶芸を学び、ことあるごとに自らを「陶芸家」と規定してきた作家でもあるからだ(*2)。絵画、彫刻、陶芸、詩、音楽、都市開発、蒐集ときわめて横断的な彼の実践全体を貫くものこそ、陶芸であるように思われる。以下では、いくぶん展覧会レビューの範囲を超えるが、アフロ民藝との関連から、ゲイツにおける陶芸的方法に焦点を当てつつ、彼の実践を総合的に考えてみたいと思う。
さて、陶芸に用いられる土は、どこにでもある平凡な素材にすぎない。しかし陶芸家は、その無価値とも思える土にかたちを与え、高温の窯のなかで焼き固めることで美しい器へと昇華させる。陶芸とはその意味で、卑俗なものを金へと変える一種の錬金術であると言えるかもしれない。ゲイツはインタビューのなかで、そのような陶芸のプロセスを「地球上でもっとも卑しい素材──泥──を美しく有用なものに変える魔法」(*3)と表現している。だが、ここで見逃せないのは、いっぽうでゲイツにおいては都市再生プロジェクトもまた、陶芸と並行する実践としてみなされていることだ。
街の荒廃とは何を意味するのかと言えば、私にとっては重要で潜在的な価値をもちながら、なんらかの理由で心理的に貶められた場所のことです。不名誉や暴力行為の結果として、価値が下がっているのです。私たちはそのような街の荒廃を現実のものとして想像することもできれば、潜在的に有用なものとして想像することもできるわけです。(*4)
貶められた場所を「潜在的に有用なものとして想像すること」。疎外されたものにこそ美と有用性を見いだすこの方法において、ゲイツのすべての実践は互いに連動し、かつ並行している。それらに通底するのは、無価値と思えるものを価値あるものへと転化させる、すぐれて陶芸的な手法にほかならない。すなわちゲイツは、陶芸家が土から美しい器を生みだすのと同じように、貧困地域を豊かな文化空間へと蘇らせるのだ。
実際ゲイツは、数々の都市再生プロジェクトにおいて、廃墟化した建物を流用することで、困窮に陥ったアフリカ系アメリカ人コミュニティを再生させてきたが、他方で絵画や彫刻などの制作実践においても、このような再利用の方法論が用いられていることは一見して明らかだ。例えば、本展の出展作《黒い縫い目の黄色いタペストリー》(2024)は、廃棄された消防ホースを再利用することで、モダニズム絵画の意匠を借りた抽象画へと生まれ変わらせたものである。
またいっぽうで、消防ホースという素材の選択には、アフリカ系アメリカ人たちの闘争の歴史が横たわっている。アラバマ州バーミングハムでは、黒人への人種差別が徹底され、警察官による暴行やKKK(白人至上主義団体)による黒人居住区への爆弾攻撃が頻発していた。こうした状況のなか、1963年5月、キング牧師指導のもと、経済的困窮を懸念した大人たちに代わり、子供たちによる非暴力デモが決行された。このとき、デモ隊を封じ込めるために警察犬とともに警察が用いたのが、高水圧の消防ホースであった。木の樹皮を剥ぐほどのその凄まじい水圧によって、子供たちは吹き飛ばされ、衣服までもが引き剥がされた。だが、この蛮行がメディアを通じて世界中に報じられた結果、翌年の公民権法成立へと結実していくことになる(*5)。ゲイツが消防ホースという素材に語らせるのは、まさにこうした、非暴力の戦術を通じて自らに向けられた暴力を抵抗の力へと転換したアメリカ黒人たちの歴史である。ゲイツは素材の入念な選択を通して、廃材の復活とともに、自らの権利を勝ちとるために戦った人々の生をも回復させてみせるのだ。
卑しい素材、貶められた場所、虐げられた者たちの生を、芸術=陶芸的手段によって救済すること。こうした方法論をゲイツが一貫して導入していることは、本展に集められたものがいずれも、ファウンド・オブジェ的な所作に関連していたことと無縁ではない。例えば、民藝運動の創始者である柳宗悦によって発見され、それまで仏像も作者さえも知られていない無名の存在だった木喰仏。あるいは、ひとりの労働者として生きたゲイツ自身の父親が実際に塗ったタールを転用した作品──画面左下には「DAD(お父さん)」と書かれている──《年老いた屋根職人による古い屋根》(2021)。展覧会の入り口に置かれたこれらふたつの作品は、アーティストとしては認知されず美的領域に場を与えられてこなかった人々を──作家の言葉を借りれば──「祝福する」本展の試みを端的に象徴するものだろう。