• HOME
  • MAGAZINE
  • REVIEW
  • 私たちを進化させる過去に内在する未来。畠中実評 足立智美「…
2025.8.7

私たちを進化させる過去に内在する未来。畠中実評 足立智美「古い未来の楽器と新しい昔の楽器(と文字)((人工知能による))」

MISA SHIN GALLERYで開催された、足立智美の個展「古い未来の楽器と新しい昔の楽器(と文字)((人工知能による))」(2025年3月29日〜4月26日)を畠中実がレビュー。現実世界では目にしたことがないような不思議な形状を持つこれらの楽器は、生成AI(人工知能)を介してイメージが制作されている。足立によるこの試みはいったい何を意図しているのだろうか。

文=畠中実 写真提供=MISA SHIN GALLERY

展示風景より、《Kambasautiroho》(2024) Photo by Keizo Kioku, Courtesy of MISA SHIN GALLERY
前へ
次へ

私たちを進化させる過去に内在する未来

 楽器とは、音楽を演奏するための装置である。人によっては楽器を演奏しているからといって、それが音楽とは感じられないということもあるかもしれない。しかし、楽器を使ってなされた何かは、それがなんであれ音楽と呼ばれてしまうということは確かにある。また楽器とは、音楽をつくるためのシステムを実行するための装置であるとも言える。音楽をつくるためのシステムが発明され、楽器が発明され、そして、その楽器によって演奏されることを想定して音楽が作曲され、演奏者によって演奏される。例外的に、そうした既存のシステムに依拠しない、あるいは一般的な演奏法とは異なる新しい発想によって生み出された楽器や、楽器との様々な関わり方を求める行為が、音楽のとらえ方を変化させるということもありうる。

 また、楽器が人間によって演奏されるものである、という前提に従うならば、楽器は人間の身体と、その能力からの制約を受けて制作されてきたものである。楽器それぞれに技術を習得することの難易度の差はあるだろうが、身体的に演奏不可能な楽器はそもそも存在しない。いっぽう、演奏能力や想像力が楽器の性能を凌駕し、楽器本来の機能を拡張、進化させることもある。

展示風景より。ギャラリー内には4つの創作楽器と、その楽器を演奏する映像作品が展示されている
Photo by Keizo Kioku, Courtesy of MISA SHIN GALLERY

 この展覧会に出品された4種類の創作楽器はどれも、従来の長い年月を経て形態や演奏法が確立されてきた伝統的な楽器とは異なる様相を呈している。それらは、人間が演奏可能で、なんらかの楽音を奏でる仕様を持った、とりあえずの楽器的条件を備えているように見えることから、楽器であろうと想定される。どこか年季の入った風情のものもあれば、真新しい感じのするものもある。しかし、おそらくこの展覧会以外に、これらの楽器(のようなもの)を見たことがあるという人はいないだろう。ここにあるのは、実際に存在する楽器ではなく、どこかで見たことがあるような、何かと何かを合体させたような“異形の楽器”である。そのため、擦弦楽器、撥弦楽器、管楽器、体鳴楽器といった楽器の種類に分類できる要素、楽器の形態や部分から、どのような演奏がなされるかを想像することはできるかもしれないが、厳密にはどう演奏すればいいのか、その演奏法すら知ることはできない。

 展覧会タイトルの一部に「古い未来の楽器と新しい昔の楽器」とあるのは、それらがかつて未来の楽器として想像された空想の楽器であり、それを現在において実際に制作してみせたという設定に由来するだろう。それは、ブライアン・イーノが設立した実験音楽レーベル「オブスキュア・レコード」から1975年にリリースされた、デヴィッド・トゥープとマックス・イーストレイによる作品がレコードの片面ずつ収録された『新しい楽器と再発見された楽器(New and Rediscovered Musical Instruments)』を思い出させる。イーストレイは、一本の弦を弓や指で演奏する「Arc」をはじめとする自作の弦楽器や音具といった自作音響装置を用いたインスタレーションを制作する即興演奏家/アーティストである。彼は、古代ギリシアに起源を持つと言われる、自然に吹く風によって音を奏でる弦楽器「エオリアン・ハープ」をモチーフとした音具など、過去の音響装置を再発見したうえで、新しい楽器として再制作している。

 足立智美もまた、パフォーマーとして、エレクトロニクスを用いた楽器や、電子回路、センサー装置による楽器を自作し、音響詩や音声詩のパフォーマンス、即興演奏などを行っているほか、美術の領域でも活動している。既存の楽器を演奏することもあるが、主にパフォーマンスのための楽器や装置を自作することで、フォーマットにとらわれない、独自の表現としての音響表現を行っている。音楽の分野でも、創作楽器による作品を制作するハリー・パーチのような作曲家や、彫刻楽器を制作したベルナール&フランソワ・バシェの兄弟といった例も挙げられるが、自作楽器、自作音具は、むしろサウンド・アートの分野でよく知られているだろう。音楽からより自由な、形式にとらわれない語法を創造する表現であり、先に挙げたイーストレイのほか、日本では鈴木昭男や松本秋則などのアーティストがいる。

展示風景より
Photo by Keizo Kioku, Courtesy of MISA SHIN GALLERY

 しかし、今回の展覧会は、アーティストが自身の表現のための楽器を改めて構想する、という発想とは異なる目的を持っている。というのも、従来、楽器を演奏するための身体を持たない生成AI(人工知能)によって絵画として出力、軸装された「古い未来の楽器」が出発点となっているのだ。古い未来の楽器とは、つまり人間の想像力や身体能力の範疇で創造された──演奏されることによる結果としての音楽や、身体的な条件などから導き出された──従来の楽器ではない。これらは、生成AIによって再創造された過去の絵画に描かれた未来の楽器であり、足立はこのイマジナリーな楽器を彫刻家の大村大悟とともに、実際に演奏可能なものとしてリアライズすることを試みている。

 それは、従来の自作楽器が制作されてきた文脈とは異なる方向性を提示するものである。従来の自作楽器がアーティストによって構想された、自身の身体性や音楽性の拡張であるのに対して、今回足立が試みていることは、現実とは異なる楽器の進化の歴史を、楽器の歴史的文脈を学習した人工知能という他者に予測させ、そこで考えられた「古い未来の楽器」を、実際に制作し、演奏の方法、それによって実現される新しい音楽の形態を創造することにある。おそらく、現状の生成AIによって生み出されたこれらの楽器は、現在私たちが楽器として認識しているものとかけ離れているように感じられるだろう。それは、人間による演奏を前提としていないのではないかと思わせるところがある。それに対して足立は、「人工知能には人工知能の文脈があり、われわれがそれを理解できないだけではないか」(プレスリリースより)と、肯定的にとらえることで、むしろそれを演奏する人間をアップデートすることを試みる。それこそが、私たちにはまだ知りえないが、人工知能には、そして私たちの祖先には、その進化の先に理解可能になるかもしれない楽器の形態なのである。

足立が生成AIを用いて出力した絵画には「古い未来の楽器」が描かれている。過去の人物が演奏しているこの「未来の楽器」には、あたかも歴史的文脈があるように受け取ることができる
Adachi Tomomi, AI-generated image of Spirisapientlyra, 2024

 展示されている楽器は4種類ある。水平に設置された指板と2本の平行に張られた弦、そして複数の垂直に直立した木の串を備えた楽器《Kambasautiroho》(2024)は、さらに電子回路が組み込まれている。弦の上で球状のオブジェクトを転がしたり、弦や木の棒を弾いたり叩いたりして演奏する。これは「古い未来の楽器」が、さらに現代のエレクトロニクスと合体したものなのだろうか。アンプを要し、光センサーや電子回路、ピックアップを備えた、電化したアコースティック楽器の趣もある。

展示風景より、《Kambasautiroho》(2024)
Photo by Keizo Kioku, Courtesy of MISA SHIN GALLERY
展示風景より、《Kambasautiroho》(2024)
Photo by Keizo Kioku, Courtesy of MISA SHIN GALLERY

 1本の弦が張られた《Spirisapientlyra》(2024)は、演奏者が擦弦楽器の弓を備えた烏帽子のようなものを被り、楽器本体のほうを動かして演奏する(かなり高度な技術が必要だ)。演奏はアンプで増幅される。

展示風景より、《Spirisapientlyra》(2024)。これらの楽器は、先ほど掲載したような生成AIが出力した絵画をもとにして制作されている
Photo by Keizo Kioku, Courtesy of MISA SHIN GALLERY
展示風景より、《Spirisapientlyra》(2024)
Photo by Keizo Kioku, Courtesy of MISA SHIN GALLERY

 おそらく多くの演奏者の身長を超えるだろう、大きな箏のような構造に、鉄琴のような部分を備えた15弦の楽器《Liyunqin》(2024)は、マレットや弓、指で演奏される。大きな本体は直立、傾斜など様々な状態での演奏が可能になっている。弓で演奏される音はかなりノイジーだ。

展示風景より、《Liyunqin》(2024)
Photo by Keizo Kioku, Courtesy of MISA SHIN GALLERY

 管楽器と鐘が融合したかのような《Ventintibulum》(2024)は、先端に鈴が吊り下げられてはいるが、通常の縦笛と同じように演奏することが想像できる。現在の私たちにとっては、もっとも理解しやすいものではある。

展示風景より、《Ventintibulum》(2024)
Photo by Keizo Kioku, Courtesy of MISA SHIN GALLERY
展示風景より、《Ventintibulum》(2024)
Photo by Keizo Kioku, Courtesy of MISA SHIN GALLERY

 以上の4種類の楽器は、一見しただけでは、どのように演奏する楽器なのか、どのような音楽が奏でられるのか、まったくもって不明である。それは、オープニングのパフォーマンスで足立が話していたように、これらの楽器が「AIがAIのために」つくったものであるということによる。それゆえに、人間は人工知能には理解できている(かもしれない)その意図を読み解き、演奏方法を推察して導き出さなければならない。

 つまり、楽器とともに展示されている足立による演奏の映像は、本人による解釈としてのリアライゼーションということになる。足立が「何らかの音が鳴る楽器として実現させることに苦心した」と言うように、これらの楽器制作もまた、AIのイマジネーションをどのように実現するのかというリアライゼーションの問題だと言えるだろう。人工知能が生み出した「古い未来の楽器」は、イメージ段階のまま、まだ実現されていないものも展示されていた。そこに描かれていたのは、今回展示された楽器よりもややスケールの大きいもので、さすがに実現が難しかったのか、実作はまだされていないようだった(今後の展示に期待)。

 今回楽器とともに展示されていた、3次元文字のレリーフ作品《3D printed text》は、楽器同様に人工知能によって制作されたものである。文字が3Dになることでどのような情報が伝達可能になるのかを試行したものだという。これまでの情報伝達の歴史を学習した人工知能が予測する、未来の文字情報の形を提示したということだろう。現在の私たちには判読不可能だが、未来の人間は、それをコミュニケーションの手段としてどのように使っていることだろうか。

展示風景より、《3D printed text》(2025)
Photo by Keizo Kioku, Courtesy of MISA SHIN GALLERY

 その意味で、今回の足立のアプローチは、メディア考古学的な楽器の進化のオルタナティヴな歴史の提示とは、やや異なると考えられる。それは、人工知能には、現在までの楽器の進化の歴史のなかに、私たち人間が取りこぼしてしまっている可能性が発見できているのかもしれないという仮説から出発している。足立の意図は、そうした人間が気づいていない可能性に向けて人間の能力をアップデートさせ、それらの楽器を演奏可能な身体を持つことで、人間の思考の範囲内だけでは不可能だったかもしれない「人間の進化」を考えることにあるのだろう。

 私たちがつねに外在化され、拡張された身体によって自身の能力を変化させてきたように(それが退化ととらえられることも含めて)、人工知能という私たちの思考の外部から私たちの進化の可能性を考えさせるものでもあるだろう。