2025.1.10

「1995 ⇄ 2025 30年目のわたしたち」における「浮標(ブイ)」と「《艀(はしけ)》」。森山未來×梅田哲也が語る、震災から30年のここから見える風景

2025年、阪神・淡路大震災から30年を迎えるにあたり、兵庫県立美術館では企画展「1995 ⇄ 2025 30年目のわたしたち」と注目作家紹介プログラム チャンネル15「森山未來、梅田哲也《艀(はしけ)》」を開催している。双方に関わる森山未來、梅田哲也に作品について、そして災害についての思いを聞いた。

聞き手・構成=安原真広(ウェブ版「美術手帖」副編集長)

《艀》および《浮標》制作風景 撮影=渡邉寿岳
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 2025年、阪神・淡路大震災から30年を迎えるにあたり、兵庫県立美術館では企画展「1995 ⇄ 2025 30年目のわたしたち」が開催されている。本展にはダンサーや俳優として領域をまたぎ身体的表現を展開している森山未來と、その場にあるものやシステムを生かした作品を制作してきた梅田哲也が参加し、作品《浮標(ブイ)》を展示している。また、このふたりは同時期開催の「注目作家紹介プログラム チャンネル15」において、会期中に上映&スタッフによるパフォーマンス《艀(はしけ)》も実施。

 このふたつの展示は連関しながら、阪神・淡路大震災から30年を経て、美術館という場で何ができるのかを問い直すものとなっている。開催前に、森山と梅田、ふたりに作品の目指すところと、阪神・淡路大震災、ひいてはこの国で避けることができない災害についての思いを聞いた。

左から森山未來、梅田哲也

災害との距離をどうとらえるか

──まずは梅田さんにお話をお聞きします。梅田さんはつねにリサーチや作品発表をするときの場所と、そこにまつわる記憶について興味を持たれてきたと思います。今回参加される展覧会は、阪神・淡路大震災から30年という節目において神戸で開催されるわけですが、2011年の東日本大震災や2024年の能登半島地震をはじめ、日本各地の様々な場所で震災や自然災害が起きてきました。それぞれの土地の記憶に否応なく刻まれてきた震災や災害について、梅田さんはどのようにとらえていますか。

梅田哲也 阪神・淡路大震災で言うと、自分は被災した当事者ではありませんし、当事者のなかでもグラデーションがあって、人生を絶たれた人もいるなかで、じゃあ自分はそこにどう関わるかと自問するわけですが、そもそも、他人の人生を生きることはできないという自明なことに抗う手段としてアートは有効であると感じています。2011年の東日本大震災が発生したときには、京都のVOXビルでの個展「はじめは動いていた」の準備中でした。学生たちとの共働によってつくる展覧会でしたが、震災後は展覧会のタイトルが震災の直接的な風景を想起するものではないか、といった不安が学生たちのあいだに生まれ、中止や延期も含めて協議を重ねていました。そのときは予定どおり実行する方向性を固めて、結果的に開催するに至りました。

 自然災害の影響は生きている限り当然受けてしまうものだけど、それでも作品を発表できる状況にあるならば、手は止めずに動かし続けたほうがいいのではないか。どこかの誰かにとって、少なくとも自分たちにとって必要なことと思いながらやっていました。いっぽうで、ものをつくることそのものが、自然と矛盾する側面はつねにあると思います。復興というかたちで海を埋め立てて、大きな建造物を再びつくっていくことは、経済成長を目的とした立場からすると必要なことかもしれませんが、自然の秩序とは反目する行為にも思えてきます。

《艀》および《浮標》制作風景 撮影=渡邉寿岳

──そういった観点もまさに神戸という震災を経験した土地で作品を発表するからこそ持ち得る気がしますが、今回の開催にあたって、おふたりはどのような方法で神戸のリサーチを行いましたか?

森山未來 ずっと梅田さんと神戸という土地については話していますし、それは開幕後も続けていくんだと思います。阪神・淡路大震災から30年が経ちましたが、神戸の人にとってのみならず、この30年のあいだには様々な災害が世界中で起きていて、そこにはそれぞれのリアルがある。

 だから、震災を忘れない、神戸で何が起こったのか、ということを伝えることも大事だけれど、それ以上に大切なのは、神戸、あるいは世界中の災害があった場所、あるいは災害がこれから起こるかもしれない場所、つまり全ての人々にとっての「いま」をどのように考えるかが重要なのかなと。

 震災で失われたものはたしかにありますが、同時にそれぞれの場所で多くの人がいまを生きている。

──神戸出身の森山さんは「アーティスト・イン・レジデンス神戸」の運営をはじめ、様々な行動を通じて神戸の「いま」を肌で感じられてきたわけですよね。梅田さんはそんな森山さんと、どのような対話をしながら表現の可能性を探ったのでしょうか。

梅田 未來さんは95年の阪神・淡路大震災で被災した当事者でありながらも、当事者になりきれない立場として、どのようにこの街と関わるかをずっと考え続けてきた人だと思います。「その街のこども」などこれまでの作品にもそれが如実に現れているし、その態度には一貫したものを感じます。

 だから今回は、未來さんの経験や存在そのものが街と僕とをつないで、僕もまた媒介となることで、阪神・淡路大震災を経験していない、当事者ではない人にむけて、この街の経験を閉ざされたものにしない契機をつくる、そういった機会になるんだと思います。

 ふたりとも根本にあったのは、絆とか、希望とか、復興とか、そういった言葉に対する違和感でした。そこから出発して、集団記憶としての出来事と自分たちとの関係を模索していく、そのためにずっと対話し続けている気がします。

美術館という箱を超えることの重要性

──先ほど、復興の名のもとの開発への違和感を口にされていましたが、まさに現在の兵庫県立美術館は被災した兵庫県立近代美術館を引き継ぎながら、湾岸の埋立地につくられた美術館です。安藤忠雄氏の思想を反映した、強い個性を持った建築のこの館で、おふたりがどのようなパフォーマンスや企画をするのかは、とても興味深いです。

森山 震災後の風景として、この巨大な美術館という箱をどのように解釈するか、というのもひとつのテーマだったかもしれません。この箱に注目し、どのような経緯でこの場所に建っているのか、ということを考えるだけで、見え方が違ってくる。

 この箱を動力をもたない船、つまり「艀(はしけ)」だと想定して、これに外からどのような動力を与えるか、ということが重要です。誰が、何が動力になって、どこに向かわせるのか。

 それは役者やパフォーマーが持つ「依代(よりしろ)」としての役割とも重なってきます。第三者が見たときにこの「依代」がどのように見えるのか。それは100人いたら、おそらく100通りの答えがあるでしょう。その多様な解釈を生み出す役割を、僕という素材が担っているとの考えを元に、梅田さんと制作を進めています。

兵庫県立美術館

梅田 役者というのは、自分ではない誰かの人生を生きることができる仕事ですよね。鑑賞者は、役者が演じる誰かに感情移入をしたり、自身の経験を重ねることで、役者の身体を媒介して、自分ではない誰かの人生や自分が経験してこなかった出来事を、当事者であるかのように想像することができる。それは演劇やパフォーマンスという表現形態の特殊性というよりは、美術館で作品を鑑賞するときに得られる、根源的な体験のひとつではないでしょうか。

 今回、会場では未來さんや神戸に関連する人々の音声を、例えばダイヤル式の電話機やラジオなどで受信して、観客がアクセスすることができます。美術館の体験として多くの人がイメージする形態とは少し異なりますが、むしろ美術館が本来持ち得る機能を体現する手段として提示しています。

阪神・淡路大震災30年 企画展「1995 ⇄ 2025 30年目のわたしたち」(兵庫県立美術館)展示風景より、森山未來・梅田哲也《浮標(ブイ)》(2024)

森山 いま、梅田さんは役者の話をしましたけど、僕にとっては踊りにおいても同じことが言えると思っています。主体的に自分の踊りたいものを踊るのではなく、僕にとって踊りとは他者との関係値によって立ち上がってくる身体であり、アクションであり、表現なんです。

 僕が現在、運営にも関わっている「Artist in Residence KOBE」も同様で、こういったプロジェクトの運営も他者との関係なくしては立ち上がらない表現です。役者も踊りもプロジェクトの運営も、僕にとっては同様に身体的な表現だと言えます。そしていずれの表現にせよ、媒介者であることが僕にとって重要なことなんです。

阪神・淡路大震災30年 企画展「1995 ⇄ 2025 30年目のわたしたち」(兵庫県立美術館)展示風景より、森山未來・梅田哲也《浮標(ブイ)》(2024)

──災害という事象に対してアートが直接的になにかできるわけでは当然ないのですが、いっぽうで災害について思考する領域を広げ、多様な関係性を構築する場としての役割が、アートの機能だと言えるのかもしれませんね。

梅田 今年の初め、能登半島地震が起きた直後に、何人かの友人から僕のところに連絡が来ました。「なにか自分にできることはないか」と。僕は去年、能登半島の珠洲市で展覧会に参加していたので、いまでも何らかのつながりがあると思ったのでしょう。大きな災害が起こったときに、その土地との関わりがなくとも、身近なところから何かしらの接点を持ちたい人は相当数いると思います。そういった人たちの中継点になれるような場づくりに、作品制作を通して関わっていけたらいいなと思います。