2025.3.4

不確実な時代に、私たちは何を「to carry」するのか。「第16回シャルジャ・ビエンナーレ」で見せる精神や記憶の継承

1993年からアラブ首長国連邦・シャルジャで開催されている「シャルジャ・ビエンナーレ」。その第16回目が2月6日にスタートした。今年のビエンナーレは「to carry」をテーマに、女性キュレーター5人のキュレーションのもと、記憶や文化、歴史をどのように担い続けるかを問いかける様々な作品を展開している。

文=王崇橋(ウェブ版「美術手帖」編集部)

展示風景より、モニラ・アル・カディリ《Gastromancer》(2023) Photo by Danko Stjepanovic
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 「私たちは、旅行、避難、または移動するとき、何を持ち歩くのか?」

 これは、第16回シャルジャ・ビエンナーレが問いかけた主な質問だ。

 ドバイから車で約30分、アラブ首長国連邦を構成する首長国のひとつであるシャルジャ首長国。2月6日に開幕した今年のシャルジャ・ビエンナーレは、「to carry」をテーマに、シャルジャ・シティ、アル・ハムリーヤ、アル・ダイード、カルバなど17以上の会場で、約200人のアーティストによる650点以上の作品を展示している。

 シャルジャ・ビエンナーレは1993年に初めて開催され、中東地域ではもっとも長い歴史を持つビエンナーレだ。2003年の第6回から、シャルジャ首長の娘であるフール・アル・カシミが同ビエンナーレのアーティスティック・ディレクターを務めている。カシミは今年の秋に愛知県で開催される国際芸術祭「あいち2025」や、来年の「シドニー・ビエンナーレ」の芸術監督も務めるなど、昨年は『ArtReview』の「Power 100」ランキングで1位に選出され、現在アート業界でもっとも注目のひとりになっている。

2月6日に行われた開会式にて。左からナターシャ・ジンワラ、ミーガン・タマティ・ケネル、ゼイネプ・オズ、ナワール・アル・カッシミ(シャルジャ美術財団副会長)、フール・アル・カシミ(シャルジャ美術財団理事長/シャルジャ・ビエンナーレ ディレクター)、アリア・スワスティカ、アマル・カラフ
Photo by Motaz Mawid

 今年のビエンナーレでは、それぞれ異なる背景や立場を持つ5人の女性キュレーターを迎え、タイトル「to carry」に基づいて、異なる時代や地域、あるいはアプローチを持つアーティストを選定し、コミッションワークを含む多様な形式の作品を展開している。

 5人のキュレーターはキュレーションステートメントで、今回のタイトル「to carry」は「多義的で無限の可能性を秘めた命題である」と説明している。「家を運ぶ」「歴史を運ぶ」「傷を運ぶ」「抵抗を運ぶ」など。例えば、ジャカルタを拠点とするキュレーター、アリア・スワスティカは、権力、詩、政治、そして女性の知識の重要性に注目し、ロンドンのCubitt Galleryやサーペンタイン・ギャラリーのキュレーターであるアマル・カラフは、抵抗するための儀式的な作品を提案している。

開幕時に行われたリートゥ・サッタールのパフォーマンス

 ニュージーランド出身で、近現代のマオリと先住民族の芸術を専門とするキュレーターのミーガン・タマティ・ケネルは、土地や無常、未来の可能性などに関するプロジェクトを展開。スリランカの現代美術フェスティバル「コロンボスコープ」のアーティスティック・ディレクターを務めるナターシャ・ジンワラは、インド洋の沿岸地域とシャルジャの水源を、先祖の記憶や場所、音の記録を保存する重要な場所として取り上げている。また、イスタンブール拠点のキュレーター、ゼイネプ・オズは、私たちが関わる社会的・経済的なシステムに、技術や科学の急速な変化がどのように影響を与えたかを考察している。

 フール・アル・カシミはビエンナーレ開幕前の記者会見で次のように語った。「ビエンナーレに進むと、時折、異なるキュレーターのプロジェクトがひとつの会場で交差する場面に出会うことがある。また、一部の会場では、ひとりのキュレーターによる物語が空間全体に広がっていく。これらが一緒になり、ビエンナーレの展示は、異なる視点、地理、言語によってかたちづくられた、絶え間なく進化する物語の集合体となり、それぞれが独自の歴史と特徴を築いていく」。

2月5日に行われたプレスカンファレンスに登壇したフール・アル・カシミ

 筆者は、2月6日〜9日に行われたビエンナーレのオープニング・プログラムに参加し、世界中から集まったキュレーターやアーティスト、記者などとともに4日間にわたって全会場を見て回った。非常に広範なテーマやアプローチを持つ数多くの作品のなかでとくに印象に残ったのは、儀式、パフォーマンス、あるいは精神的な体験を通して、先祖や土地とのつながりや記憶を呼び起こす作品だ。

 アル・ハムリーヤにあるかつての政府庁舎を改装した展示スペース「オールド・アル・ディワン・アル・アミリ」では、サモア出身の建築家/学者であるアルバート・L・レフィティが、オープニングで来場者に儀式的なパフォーマンスへの参加を呼びかけた。 アーティストは来場者一人ひとりにカヴァの汁(コショウ科の植物であるカヴァの根を砕き、水を加えてつくられる飲み物)を提供し、来場者は床にその汁を少し振りかけ、自己紹介として自分の名前や出身地、「誰をシャルジャに連れてきたか」を話すことが求められた。

アルバート・L・レフィティによるパフォーマンスの様子

 来場者の多くは、先祖または先祖の思い出とともにシャルジャを訪れた、と答えた。展示室の壁面には、レフィティが「コスモグラム」と呼ぶ実験的な民族誌学的なドローイングが展示されており、このセレモニーに参加した人々の名前や、参加者と環境とのつながりが記録されている。この作品は、ビエンナーレのテーマ「to carry」を深く反映しており、人々が育った土地を自らの選択で離れる、あるいはやむを得ずに引き離される際に、何を抱えて、何を持ち続けているのかについて考えさせる。

 参加アーティストがもっとも多いシャルジャ・シティのアル・ムレイハ・スクエアでは、プエルトリコ人アーティスト、ホルヘ・ゴンザレス・サントスの作品《Jatibonicu(People of Sacred High Waters)》(2024-25)も印象的だった。サントスは、シャルジャの伝統的な屋敷を使った会場で、先住民の陶器スタジオとのコラボレーションで制作された陶器や、伝統的な織物の技法を使った布の作品などを展示。また、会場では職人がろうそくをつくったり、布を織ったりする作業が続けられており、オアシスのような閑静な空間で、先住民族の伝統や土地とのつながりを感じさせる。

ホルヘ・ゴンザレス・サントス《Jatibonicu(People of Sacred High Waters)》(2024-25)の展示風景より

 同じアル・ムレイハ・スクエアで、ダカール生まれのクウェート人アーティスト、モニラ・アル・カディリと、フィリピン系カナダ人のアーティスト、ステファニー・コミランの作品も見応えのある展示だった。2つの巨大な赤いムレックス貝殻を並べて吊るすカディリのインスタレーション《Gastromancer》(2023)は、藻類、フジツボ、ムール貝が付着するのを防ぐために油槽船に使われる赤い色のバイオサイド塗料「トリブチルスズ(TBT)」の浸透により、雌のムレックス貝が雄に変わることからインスピレーションを受けている。作品の内側から、2つの貝殻が人類の活動によって女性から男性に変化する過程を語る。

モニラ・アル・カディリ《Gastromancer》(2023)の展示風景より
Photo by Motaz Mawid

 また、コミランの「Search for Life」プロジェクトでは、アラビア湾、フィリピン、中国間での真珠採取の歴史や真珠生産の工業化について調査している。同プロジェクトの第2編となる《Search for Life II》(2025)では、真珠採取とその歴史に関する物語を、中国の真珠市場からのライブ配信と組み合わせている。かつて真珠採集が主な収入源であった湾岸諸国の歴史を思わせつつ、海で働く移民たちの生活も表現している。

ステファニー・コミラン《Search for Life II》(2025)の展示風景より
Photo by Danko Stjepanovic

 そのほか、シンガポール出身のアーティスト、ジョン・クランは古代中国の占い方法である「紫微斗数」を用いて、(予約制で)来場者にそれぞれの人生の出来事を予測したり、疑問に対して答えたりするパフォーマンス型の作品《Reading by an Artist》(2023-)を展開。ニュージーランドを代表するアーティスト、マイケル・パレコウハイの《He Korero Purakau mo te Awanui o te Motu: Story of a New Zealand river》(2011)は、1926年製のスタインウェイピアノにマオリ族の彫刻などのモチーフが彫り込まれている。オープニングの際にこのピアノは、パフォーマーによって演奏され、この作品は楽器として演奏され、鑑賞者が聴くことによって完成するという。

マイケル・パレコウハイ《He Korero Purakau mo te Awanui o te Motu: Story of a New Zealand river》(2011)の展示風景より
Photo by Motaz Mawid

 また、絵画、彫刻、映像などの作品に加え、武玉玲(アリュアーイ・プリダン)やリートゥ・サッタール、ヘレン・アスコリらのアーティストが、様々な伝統的技法を使いながら、異なる地域の歴史や物語を編み込んだテキスタイルの作品も今回のビエンナーレで多数紹介されており、織りという行為にまつわる連帯や一体感が感じられる。

武玉玲(アリュアーイ・プリダン)《Vines in the Mountains》(2020)の展示風景より
Photo by Danko Stjepanovic

 中東地域は、東洋と西洋をつなぐ重要な地理的位置にあり、歴史的には西洋の植民地主義者による数世紀にわたる支配を受けていた。近年、グローバル・サウスが国際的なアートシーンでますます注目を集めるなか、非西洋圏のアーティストや、先住民、マイノリティのアーティストなど主流文化圏以外の声が再びナラティブを取り戻そうとしている。シャルジャの歴史的な会場や砂漠のなかでの作品展示は、私たちに現在の世界における文化的、社会的な課題を見つめ直させる。

ブハイス地質公園で展示されているミーガン・コープのインスタレーション《Kinyingarra Guwinyanba》(2024)の展示風景より

 冒頭の問いに戻ろう。「私たちは、旅行、避難、または移動するとき、何を持ち歩くのか?」人々は様々な理由から移動する。今日、ウクライナとガザで起きている2つの戦争により、逃亡を余儀なくされている難民がいる。また、政治的迫害や国内の過酷な支配により、故郷を離れたディアスポラもいる。あるいは、歴史を通じて植民者の侵略により、居場所を追われた先住民もいる。「to carry」というオープンな命題のもと、このビエンナーレは、様々な地域のアーティストたちの実践を通じ、この問いに対して個々の解釈を示してくれた。

 これからも様々な不安定が続くなかで、このビエンナーレが提示した「to carry」というテーマは、物理的な持ち運びだけでなく、私たちの内面や記憶、文化をどのように担い続けるかという問いを浮き彫りにしている。変化の激しい時代において、私たちは何を持ち歩き、どのように土地や文化とつながり続けるべきかを改めて考える機会になっている。