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2025.9.27

特別展「宋元仏画―蒼海(うみ)を越えたほとけたち」(京都国立博物館)開幕レポート。過去最大規模の宋元仏画が集結

京都国立博物館で、特別展「宋元仏画―蒼海(うみ)を越えたほとけたち」が開催中。日本国内に所蔵される貴重な宋元仏画が一堂に集結している。

文=中村剛士

展示風景より
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 京都国立博物館で開催中の特別展「宋元仏画―蒼海を越えたほとけたち」は、宋(960〜1279)から元(1271〜1368)にかけて制作され、日本に伝来した仏画を過去最大規模で一堂に集めた展覧会である。宋元仏画は高度な技術と精神性を併せ持ち、東アジア仏教美術の精華であると同時に、日本の中世美術の形成に決定的な影響を与えた。

 本展は、これまで高く評価されながら一堂に会する機会の少なかった重要な仏画を中心に、日本に舶載された現存する作例を集め、「宋元仏画」の特質と多様性を再考する機会となっている。海を越えて日本に至り、数百年を経て今日まで残されて来たものが、これほどの豊かな様相を持ち、その一脈は日本文化の根幹に通じていることが実感できる美術ファンにとって、どうしても観ておかねばならぬ充実の内容である。

 10世紀から14世紀の東アジアは、王朝の交替と文化交流の時代であった。北宋は開封を都に士大夫文化を築いたが、金の侵攻によって南宋へと都を臨安に移し、知的かつ洗練された文化を花開かせた。臨安周辺は古来仏教文化が盛んな地で、日本からも僧侶が渡航し、最新の教えや画法を学んだ。やがてモンゴルが中国を制圧し、1271年に大都に首都を置いて元を建国すると、ユーラシア全域から人々が往来する国際的な社会が誕生した。

展示風景より

 日本からも交易船や僧侶が渡り、宋元の仏画を持ち帰った。中国本土では戦乱や宗教政策の影響で多くの仏画が失われたが、日本では寺院において礼拝の対象として大切に祀られ、数多くが今日まで守り伝えられた。そのため、宋元仏画が世界で最も多く残されているのは日本であり、本展はその集積を体系的に紹介する稀有な機会である。

 まず注目したいのは、第1章「宋元文化と日本」で示される、日本人が宋元文化をどのように憧れ、価値づけてきたかという点である。足利将軍家の「東山御物」に代表されるように、宋元の品々は中世日本において格別の評価を受けた。その象徴的存在が国宝「秋景冬景山水図 伝徽宗筆」である。北宋皇帝徽宗に帰属する本作は、秋と冬の山水を一対で描き、繊細な筆線と余白の妙を駆使して自然の移ろいをとらえている。たんなる風景表現を超え、自然を仏性の顕れとする思想を映す点において、日本人が「唐物」として憧れた宋元文化の精神を鮮やかに物語っている。

国宝 秋景冬景山水図 伝徽宗筆 中国・南宋時代 12 世紀 京都・金地院蔵
前期展示:9月20日~10月19日

 続いて第2章「大陸への求法」では、宋元仏画が日本に多く残された理由が解き明かされる。日本の僧侶たちは幾度も海を越えて大陸を訪れ、師資相承を通じて仏教を学んだ。その際、祖師の肖像画(頂相)を持ち帰り、教えとともに祀った。頂相は似姿を超え、師の精神そのものを体現する存在であり、日本に伝わった仏画が信仰と学問の架け橋として尊ばれたことを示している。

国宝 孔雀明王像 中国・北宋時代 11~12世紀 京都・仁和寺蔵
前期展示:9月20日~10月19日

 第3章「宋代仏画の諸相」では、北宋・南宋期の宮廷や市井で制作された仏画の姿が展観される。代表作は国宝「孔雀明王像」である。病魔を祓う守護尊として信仰された孔雀明王の姿は、羽毛の一本一本まで精緻に描き込まれ、鮮やかな彩色と金泥によって荘厳な輝きを放つ。平面作品でありながら仏像に匹敵する立体感を備え、観る者を圧倒する神秘性を今なお宿している。宮廷画院の高度な技術と民間信仰の厚さが共鳴し、宋代仏画が宗教的熱情と美術的洗練を併せ持つことを明らかにしている。

 次に焦点が当たるのが、第4章「牧谿と禅林絵画」である。日本に最も愛された中国画家・牧谿は、淡墨の妙を活かした水墨画を数多く残した。国宝「観音猿鶴図」はその代表例で、観音菩薩の傍らに猿と鶴を配した独特の構成で、禅的寓意を漂わせる。簡潔で粗放な筆致と余白の妙が禅の精神を視覚化し、日本の禅僧や画家たちに深い感銘を与えた。牧谿の影響は雪舟や等伯へと継承され、日本の禅林絵画の基盤を築いた。

国宝 観音猿鶴図 牧谿筆 中国・南宋時代 13世紀 京都・大徳寺蔵
後期展示:10月21日~11月16日

 さらに第5章「高麗仏画と宋元時代」では、朝鮮半島における仏画制作が取り上げられる。仏教を篤く信奉した高麗は、中国との交流の中で独自の仏画を生み出した。重要文化財「弥勒下生変相図」李晟筆はその典型で、未来に弥勒菩薩が衆生を救済する場面を鮮やかな彩色と緻密な描写で描き出す。中国的要素を取り込みながらも柔らかな線と華麗な装飾性を備え、宋元仏画とは異なる独自の魅力を放っている。

第5章展示風景

 加えて第6章「仏画の周縁」では、仏教と道教やマニ教との交錯が紹介される。水陸画や地獄図には道教的要素が色濃く表れ、仙人画は禅宗祖師の肖像と親和性を持つ。さらに、マニ教が布教のために仏教の図像を借用した聖像も展示され、仏画に見まがわれたことで破壊を免れ今日まで伝わった。これらの周縁的作品は、宗教間の境界の曖昧さと、図像の柔軟な変容を如実に物語っている。

 最後に示されるのが、第7章「日本美術と宋元仏画」である。仏画は礼拝対象であると同時に、画家にとって重要な手本でもあった。重要文化財「枯木猿猴図」長谷川等伯筆はその好例で、牧谿や顔輝の作風を学びつつ、独自の筆法で猿を描いている。枯木にしがみつく猿の姿には、宋元画の影響を受けながらも、日本的な情感がにじみ出ている。宋元仏画は日本の画家たちに創作の糧を与え、彼らの手によって新たな美術へと昇華されたのである。

重要文化財 枯木猿猴図 長谷川等伯筆 桃山時代 16世紀 京都・龍泉庵蔵
後期展示:10月21日~11月16日

 こうして本展は、宋元仏画の誕生から日本での展開に至る歴史を2つのトピックを交え立体的に描き出している。宋元仏画が日本にこれほど数多く残されたのは、ただ保存の努力があったからではない。仏画が「礼拝」の対象であったがゆえに、寺院で真正性が守られ、祈りとともに使われ、敬われてきたからである。日本の宗教・文化社会のなかで「異国」の表象を越えて生活に根を下ろし、「唐物」「宋元もの」として、憧憬・尊敬・信仰の対象となったことが、文化遺産としての重層性を生んでいる。

 さらに、今日この展覧会の場でこれらが一堂に会するということは、それらが分散するだけでは感じ取れなかった文脈、連なり、比較の中で見えてくるものをもたらす。仏画の一線一線、一色の重なり、余白のひとつひとつが脈打つように、過去の画僧たちの精神がこちらに届いてくる。

展示風景

 世界中を見渡しても中国本土では戦火や時間の流れの中で失われたものが多いなかで、日本がこれらを数多く保ち続けてきたという事実には、保存という物理的・制度的側面とともに、信仰と美術が共に育まれた文化の豊かさが刻まれている。種をまき育て続けてきた時間の厚み、それらの作品が観る者に示す歴史の重みと美の力は、この展覧会をただの美術鑑賞の機会ではなく、私たちの精神的な記憶と対話する場へと押し上げている。

 そして忘れてはならないのは、この展覧会が京都だからこそ実現できたという点である。宋元仏画の多くは京都の寺院に伝来し、戦火や災害をくぐり抜けて今日まで守り継がれてきた。仁和寺・大徳寺・金地院など名刹に眠る宝物が、京都国立博物館の平成知新館に結集したこと自体が奇跡に近い。秋の光に包まれた京都で、宋元仏画の真価を一堂に体験できるのは、まさにこの地ならではの出来事である。祈りと美の歴史を胸に刻む時間が、観る者を悠久の旅へと誘っている。

「宋元仏画」ときいても全然ぴんと来ない、なんだか難しそうと思われるかもしれません。しかし「宋元仏画」を少し知ると、日本文化の本質が見えてくる──そんな風に言ってよいと思います。先人たちの思いとともに、海を越えて日本にやってきた「宋元仏画」はその威厳と慈悲に満ちた姿で多くの人々の祈りを受け止めてきました。また芸術性においても優れた「宋元仏画」は日本で手本となり、画家の手本となって日本美術の発展に大きく寄与しています。
この度の展覧会に登場する作品は、名品として昔からよく知られ、美術全集にも決まって登場するものが多く含まれていますが、一堂に会する機会はめったにありません。
ぜひこの機会に会場に足を運んでいただき、「宋元仏画」とは一体何かそして日本との奥深い関係を知るきっかけとしていただければ幸いです。(森橋なつみ、京都国立博物館 調査・国際連携室 研究員(中国絵画))