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2025.10.10

「永青文庫 近代日本画の粋―あの猫が帰ってくる!―」(永青文庫)レポート。近代日本を代表する画家の作品とともに“看板猫”と再会

永青文庫の人気者、菱田春草の《黒き猫》が、修理を終えて久しぶりに公開されている。同館所蔵の近代日本画の優品とともに改めて彼らを支えた細川護立との交流の姿を偲ぶ。会期は11月30日まで。

文・撮影=坂本裕子

展示風景より、手前は菱田春草《黒き猫》
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 永青文庫のコレクションのなかでも圧倒的な人気を誇る《黒き猫》(重要文化財)が絶賛公開中だ。修理を終えてさらに美しくなった本作とあわせ、同館所蔵の菱田春草の全点が前後期で公開されるほか、横山大観、下村観山ら近代日本画壇を牽引した画家たちの優品に、彼らを見出し、支え、愛し続けた細川護立(もりたつ)の“眼”と“想い”をたどる。

より美しくなった《黒き猫》と再会

 永青文庫の“貌”であり、菱田春草の代表作のひとつである《黒き猫》。柏の幹にうずくまり、こちらをじっと見つめるすがたには、猫好きでなくとも魅せられるだろう。ビロードのような滑らかさとふわふわとした柔らかさを感じさせる毛並みは、線を使わず墨のぼかしのみで表され、白い輪郭線を添えられた足先と耳が、金泥で描かれた目とともに猫の緊張感を伝える。見ているとピクリと耳が動きそうにも。見事な猫の写実に対し、濃淡の墨の文様のような幹に、金泥と緑青の平面的な葉の柏が装飾性をもたらし、その対照が調和した静謐な作品は、明治43年(1910)の文展発表時から高く評価され、現在の人気に至っている。

 そもそも春草は文展には別の屏風作品を予定していたが、思うようにいかず中断、代わりにわずか5、6日で描き上げたのが《黒き猫》だ。彼は36年の短い生涯のなかで判っているかぎり21点もの猫図を描いているが、自身はその媚びゆえに猫はあまり好んでいなかったという。絵のモティーフとしては魅力だったのだろう、柏の華やかな装飾性に負けない猫の存在感はその制作日数とともに春草の画力を伝える

「近代日本画コレクションの粋―細川護立から永青文庫へ―」展示風景より、菱田春草 《黒き猫》(1910、重要文化財) ※11月3日までの期間限定公開
「近代日本画コレクションの粋―細川護立から永青文庫へ―」展示風景より、菱田春草《黒き猫》(部分)

 重要文化財にも指定されている本作が、このたび初めて本格的な修理を終えてお披露目となった。制作から100年以上、大切にされてきて深刻な損傷はないものの、本紙に生じ始めたシミ、裏面の汚れや浮き、掛け軸全体の波打ちなどを解消し、より安定した状態で後世へ伝えるための修理は、クラウドファンディングに国・東京都・文京区からの補助を受け、まさに官民一体の支援で実現した。これを記念して、修理のポイントも添えて11月3日までの期間限定公開となる。後期に展示されるもうひとつの彼の代表作《落葉》(重要文化財)をあわせ、同館が所蔵する春草作品4点が前後期で出揃い、彼とともに近代日本画壇を賑わせ、またそれらを引き継いだ画家たちの優品が彩る寿ぎの空間は同時に、永青文庫を設立した護立との交流の軌跡ともなる。

展示風景より、手前は菱田春草《黒き猫》
「近代日本画コレクションの粋―細川護立から永青文庫へ―」展示風景より、手前から下村観山《春日の朝》(1909頃)、横山大観《柿紅葉》(1920) ※前期展示

新たな日本画への護立のまなざし

 「美術の殿様」と言われた護立は、幅広いジャンルの美術工芸品を蒐集したことで知られる。早くも16歳頃より刀剣と禅画を集め始めるが、並行して自身と同時代の画家たちによる近代日本画に強い関心を持っていたという。展覧会で横山大観、下村観山、菱田春草の作品に感銘を受け、東京帝国大学の学生だった24歳の時に、彼らの作品を購入する。他者の評価に依らず、未だそれほど評価を得ていなかった画家たちに注目した護立の早熟と眼の確かさに驚かされる。

 その後、多くの画家たちを支援し、親交を結びながら次々と優品を入手して、コレクションを充実させていくが、夭折した春草とはその機会がなかったらしい。《黒き猫》も《落葉》も、展覧会(文展)発表後すぐに入手できたわけではなく、逃したときの悔しさを残してもいる。それでも大観、観山、春草の3人のうち、護立がもっとも期待していたのが春草で、最盛期には21点の春草の作品を所蔵していたという。その気持ちが、2点の名作をも同館にもたらしたと言えよう。

 護立の近代日本画コレクションは、その歴史とともに永青文庫へと受け継がれ、同館の特色の重要な要素となるとともに、国内美術館の主要なコレクションへと広がっていくのだ。

「近代日本画コレクションの粋―細川護立から永青文庫へ―」展示風景より、横山大観《柿紅葉》(1920) ※前期展示
「近代日本画コレクションの粋―細川護立から永青文庫へ―」展示風景より、菱田春草《六歌仙》(1899)、《平重盛》(1894頃) ※前期展示
「近代日本画コレクションの粋―細川護立から永青文庫へ―」展示風景より、菱田春草《平重盛》(1894頃) ※前期展示
「近代日本画コレクションの粋―細川護立から永青文庫へ―」展示風景より、作者不詳《菱田春草「普賢菩薩」(模本)》 ※前期展示
細部まで精緻に写されていることから、原本(現・東京国立近代美術館蔵)がまだ細川家にあった頃の作と考えられる

画家たちと護立の交流

 春草の没後も彼の作品を蒐集するとともに、護立は同時代の画家たちを見出していく。とくに深い親交を結んだひとりが大観で、その付き合いは15歳年上であった彼の死まで長く続いたそうだ。大観の畢生の作《生々流転》(重要文化財、東京国立近代美術館蔵)も護立が入手していたという。

 昭和期には小林古径に注目し、たびたびアトリエを訪問して親交を深め、代表作《髪》や《孔雀》を購入している。本展では、こうした交流を感じさせる書簡や資料、画稿が作品とともに紹介される。それらは、画家の人となりやその制作過程を伝えるのみならず、小襖(ふすま)や扇といった生活を彩る身近な品にも及んでおり、多くが護立の注文であったことをうかがわせる。たんなる作家とコレクターの関係を超えた、護立の思い入れが感じられるだろう。

「細川護立と日本画家の交流―コレクション形成の背景―」展示風景より、横山大観《社頭雪》(1931) ※前期展示
大観が細川家の家令に宛てた送り状とともに
「細川護立と日本画家の交流―コレクション形成の背景―」展示風景より、小林古径の画稿 ※頁替えあり
作家没後に遺族から細川家に寄贈されたもの。制作過程がわかる貴重な資料は本画のパネルとともに

 護立は、新潟・赤倉温泉の別荘に親しい画家たちを招き、訪問客に渡すための手拭のデザインなども彼らに依頼している。下図と完成品からは、急な求めに苦心しながらも応じてみせる画家と、生活のなかに美を広げていこうとする護立の楽しげな遊び心があふれている。

「細川護立と日本画家の交流―コレクション形成の背景―」展示風景より、横山大観《扇子箱下図》(昭和初期)。護立からの依頼と思われる扇子箱はこの下図のとおりに精緻につくられたという
「細川護立と日本画家の交流―コレクション形成の背景―」展示風景より、手前から木村武山《椿図扇面》、下村観山《老松図扇面》
「細川護立と日本画家の交流―コレクション形成の背景―」展示風景より、右から横山大観《月に雲図(小襖)》、《山脈図(小襖)》(ともに1921頃)
「細川護立と日本画家の交流―コレクション形成の背景―」展示風景より、横山大観と荒木寛方の《手拭下図》(ともに昭和初期)
「細川護立と日本画家の交流―コレクション形成の背景―」展示風景より、横山大観と平福百穂下図の手拭

コレクションへの護立の想い

 画家たちとの交流と作品蒐集のなかで、護立は多くの言葉を残している。美術雑誌などの取材のほか、自ら立ち上げた美術研究会「清賞会(せいしょうかい)」では、コレクションから50点以上の日本画も紹介し、戦争が激化した昭和18年(1943)頃からは蒐集した作品に関する書付を残し始め、多くが作品を収める箱の中に保管された。蒐集した経緯、その作品の所感、画家との関わりなどが記されたそれらは、作品の記録であるとともに、護立の作家観、作品への想いにあふれ、優れたコレクターとしての眼と、作品へのかぎりない愛を感じさせて、護立その人をも浮かび上がらせるだろう。

 また、特別展示として後期には、中国の禅僧・清拙正澄(せいせつしょうちょう)と楚石梵琦(そせきぼんき)の墨蹟(いずれも重要文化財)も修理後の初展示となる。中国文化にも造詣の深かった護立のもうひとつの眼も優品で感じられる。

「語る細川護立―コレクションへの想い―」展示風景より、細川護立「菱田春草《平重盛》書付」(1943年11月22日) ※前期展示
「語る細川護立―コレクションへの想い―」展示風景より、『熊本移管品目録』(1943)。左ページに「黒猫(黒き猫)」の表記が見える

 “看板娘”ならぬ“看板猫”に誘われて、近代日本画の粋を楽しみ、類い稀なるコレクターの想いに触れる静かな時間を秋の気配とともに過ごしてみてはいかがだろうか。

 なお、修理完成を記念して『季刊 永青文庫』では《黒き猫》を特集して徹底解剖。修理の詳細から制作のひみつ、本作が生まれるまでの背景や護立の春草コレクションの全容まで、各分野の専門家による様々な切り口からのアプローチは、作品をより魅力的に、より身近にしてくれるはずだ。

『季刊 永青文庫』(2025、Autumn No.127) 1200円(税込)