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2025.11.4

「野村正治郎とジャポニスムの時代―着物を世界に広げた人物」(国立歴史民俗博物館)レポート。ジャポニスムにより残された着物文化の精華

世界最大級の着物コレクションを有する国立歴史民俗博物館で、その主軸となる野村正治郎が収集した着物の優品を紹介する展覧会が開催中だ。西欧ではジャポニスム・ブームが華やかなりしとき、美術商として活躍しつつ、国内にもその重要性を啓蒙し続けた人物を華麗な着物コレクションに追う。会期は12月21日まで。

文・撮影=坂本裕子

第2章展示より、右から 《茅屋風景模様帷子》(18~19世紀)、《女郎花模様振袖》(19世紀、ともに国立歴史民俗博物館 野村正治郎衣装コレクション)
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野村正治郎衣装コレクション

 国立歴史民俗博物館を代表する収蔵品のひとつに「野村正治郎衣装コレクション」がある。

 野村正治郎(1880~1943)は、京都の美術商として活躍するとともに、着物を中心とした近世日本の染織品を収集し、国内外にその美と歴史的価値を発信し続けた人物だ。国内ではほとんど知られていないその名は、海外の日本美術愛好家における知名度の方が高いかもしれない。

 正治郎の収集品は、着物はもとより、衣桁(いこう)にかかった着物を裂でかたどって貼装した「時代小袖雛形屛風」や袖型に装幀した小袖裂などを含み1000件を超える一大コレクションとして同館に所蔵され世界最大級を誇る。

 本展は、この「野村正治郎衣装コレクション」を通して、彼の活躍した時代とともに人物を紹介する。総展示数140点のうち、着物資料は3件の重要文化財を含む約30件。いずれも意匠、技術、素材ともに一級品の選りすぐりが揃う。近年再発見され、およそ100年ぶりに公開される振袖にも注目だ。

プロローグ展示風景。現在同館のほかに国内24、海外17の機関等に正治郎に関わる資料が所蔵されていることが示される
第2章展示風景。呉春筆《楼閣山水模様小袖》(右)や酒井抱一筆《梅樹下草模様小袖》(重要文化財、中)が並ぶ
第2章展示風景

 正治郎の活動時期は欧米におけるジャポニスムの最盛期に重なる。ブームを商機に、西洋人相手の販売戦略と、着物の美を世界に伝えた姿は、発信者としてのジャポニスムの視点を拓いてくれるだろう。同時に、自国の文化や産業振興のために収集家として国内でも着物の重要性を発信し続けた足跡は、同館に収蔵されることになった経緯とあわせ貴重な証言ともなる。

商人としてのセンス:美術商としての活動―対外交流

 正治郎のビジネスは、京都で刺繍を主とした染織品を扱っていた母・志ての商売を継承したものだ。ふたりの兄のうち次兄が最初に事業を継ぎ、分家して外国人向けに古物の染織品の貿易へと広げていく。

 18歳でアメリカに留学し、イリノイ州の美術専門学校に学んだ正治郎は、1903年から事業に参画した。留学経験を活かし、西洋人へのきめ細やかな対応で信頼を得ていったようだ。扱う商品を着物へとシフトし、店構え、商標、ノベルティなどの工夫を凝らし、着物についての正しい知識をレクチャーすることもあったという。

 第1章では、野村家のグループ企業的なあり方の変遷とともに、貿易商として協力を得た人々との関係、正治郎の事業の展開や海外オークションでの出品歴などを、多様な資料から見ていく。

第1章展示風景
第1章展示風景。野村商店神戸支店ビジネスカード(1928年、個人蔵) 着物の形に浮世絵版画風の絵を載せ、外国人好みのデザインにしている
第1章展示風景。右から《源氏香葵模様振袖》(20世紀前期)、《童遊戯模様下着》(19世紀、ともに国立歴史民俗博物館 野村正治郎衣装コレクション)。着物と襦袢の間に着る下着は初公開の友禅染の優品

収集家としての目利きと情熱:コレクターとしての活動―国内交流

 美術商の生業のいっぽうで、正治郎は着物のコレクションを充実させていく。旧武家や貴族の経済的困窮から、大正時代を中心に美術品などを売買する入札会が盛行し、着物の流通も盛んだった。こうした背景のなかで、貴重な品の流出を憂いていたらしい彼は、西洋人には同時代(明治時代以降)の着物を売るように努めるなど、客の要望に応えつつも、古いものは手元に残したようだ。第2章では、正治郎の錚々たるコレクションの様相を追う。

 西本願寺家由来の能装束の狩衣、大名家伝来の豪華な刺繍や絞りの振袖、酒井抱一や呉春といった著名な絵師による手描きの小袖など、いずれも職人の技術の粋を集めた優品に彼の眼の確かさを感じられるだろう。

第2章展示風景。右から《流水杜若藤葵模様振袖》(19世紀)、《薬玉御簾秋草模様振袖》(19世紀、ともに国立歴史民俗博物館 野村正治郎衣装コレクション)。2振とも島原藩主松平家伝来のもの。豪華な刺繍はぜひ近くで
第2章展示風景。狩衣や小袖など、バリエーションも豊か
第2章展示風景。酒井抱一筆《梅樹下草模様小袖》(重要文化財、19世紀、国立歴史民俗博物館 野村正治郎衣装コレクション)

 風俗研究者・江馬務との出会いを機に研究にも意欲を持った正治郎は、江馬の主催する風俗研究会を援助し、友友禅の創始者とみなされていた宮崎友禅の顕彰に積極的に関わり、『友禅研究』を発表するなど、着物の重要性を啓発する活動に携わるようになる。

 入手に際し婚礼式まで行ったというふたつの着物、アメリカの富豪・ロックフェラー2世が京都にとって重要な振袖であることを理解して購入をとどまったという《束熨斗模様振袖》、『友禅研究』の口絵に使用され、このたび再発見された《淀川風景模様振袖》など、エピソードとともに見ごたえたっぷりだ。

第2章展示風景。《束熨斗模様振袖》(重要文化財、18世紀、友禅史会)はロックフェラー2世が購入を希望したという1振
第2章展示風景。《淀川風景模様振袖》(18世紀、個人蔵)は今回再発見され、100年ぶりの戦後初公開となった作品

 培われた学界や産業界、風俗史への視点は、晩年になるにつれ、文化および美術としての着物の重要性へと広がり、図版集の出版や展覧会への出品を通してコレクションを積極的に公開し、正治郎はコレクターとして知られるようになる。やがてそれは、恩師京都国立博物館(現・京都国立博物館)を着物専門の博物館に変える構想へとふくらんでいく。

 図版集に掲載された《女郎花模様振袖》、博物館構想の試金石となる展覧会に出品された《格子絣模様振袖》は、戦後所在不明となっていたが近年再発見され、100年ぶりの公開となる。

第2章展示。右から 《茅屋風景模様帷子》(18~19世紀)、《女郎花模様振袖》(19世紀、ともに国立歴史民俗博物館 野村正治郎衣装コレクション)。《女郎花模様振袖》は戦後初公開作品
第2章展示風景。中央の《格子絣模様振袖》(19世紀、国立歴史民俗博物館 野村正治郎衣装コレクション)も戦後初公開

万博出品:活動の集大成

 有数のコレクターとなった正治郎は、着物の保存・公開に一層注力する。研究が停滞気味の学会への不満は、まずは証拠と裂のような断片も重視し、「時代小袖雛形屛風」に具現化する。こうした努力は、1939年(昭和14)のゴールデン・ゲート万国博覧会で報われる。日本は古美術品の展示の一角で近世の着物を文化・美術として発信、正治郎のコレクションからも出品された。これからというときに、第二次世界大戦が勃発、太平洋戦争下の1943年に正治郎は63歳で没する。

エピローグ展示風景。時代小袖雛形屛風の展示
エピローグ展示風景
エピローグ展示風景。《菊水模様小袖》(重要文化財、17世紀、国立歴史民俗博物館 野村正治郎衣装コレクション)寛文小袖の典型を示す1振は、正治郎のお気に入りだったそうだ

コレクションのその後:関連展示 野村正治郎の後継者―賤男の活動

 正治郎の商売とコレクションは、娘婿で日系二世のアメリカ移民・賤男(しずお)に継承されるが、戦後、一家はアメリカに移住し、コレクションの主要な一群もアメリカに渡る。文化的重要性を理解しながらも日本では引き止める制度も体制も整っておらず、転機が訪れたのは文化局が設置された1966年だった。その後文化庁となった組織は、1971年に国立歴史民俗博物館(仮称)基本構想委員会を発足、正治郎コレクションの購入計画が持ち上がる。2年にわたる購入の実現により、コレクション640件のうち約570件が里帰りし、1983年の国立歴史民俗博物館開館を機に正式な所蔵品となっていまにいたる。

 第3展示室では、特集展示として、この賤男が義父を継ぐべく制作に関与したと思われる「小袖裂貼装屛風」とともに、正治郎亡き後のコレクションの歴史をたどる。

第3展示室特集展示「野村正治郎の後継者―賤男の活動」展示風景
第3展示室特集展示「野村正治郎の後継者―賤男の活動」展示風景

 世界に開いていった近代に、西洋人を相手にビジネスを発展させつつ、着物文化の保護、重要性の啓蒙、その意義を国内外に発信した野村正治郎。その柔軟な思考と確固たる信念は、グローバル化する社会に生きる私たちに、彼が遺してくれたすばらしい美と伝統とともになんらかの示唆を与えてくれるだろう。