「積層する時間:この世界を描くこと」(金沢21世紀美術館)開幕レポート
様々な時間を取り上げることで現在の「世界」の様相を浮かび上がらせる展覧会「積層する時間:この世界を描くこと」が、金沢21世紀美術館で始まった。
文・撮影=橋爪勇介(ウェブ版「美術手帖」編集長)

過去の歴史や記憶、現在という時間、あるいは未確定な未来などについて、様々な時間を取り上げることで現在の「世界」の様相を浮かび上がらせる展覧会「積層する時間:この世界を描くこと」が、金沢21世紀美術館で開幕した。担当学芸員は野中祐美子、宮澤佳奈。
本展には、絵画やドローイング、アニメーション、版画などの平面作品64点が出品。過去の出来事への鋭い批評、土地が持つ歴史や神話、植民地化や戦争の歴史、風景や自然のなかに潜在する過去との接続や時間の流れ、生と死という生命の時間など、アーティストそれぞれの問題意識や関心から複数の積層した時間が描き出された作品が並ぶ。
参加作家は、淺井裕介、サム・フォールズ、藤倉麻子、今津景、風間サチコ、ウィリアム・ケントリッジ、アンゼルム・キーファー、近藤亜樹、松﨑友哉、西村有、ゲルハルト・リヒター、チトラ・サスミタ、ヴィルヘルム・サスナル、杜珮詩(ドゥ・ペイシー)、リュック・タイマンス、ユアサエボシ。
展示は、「現実と虚構:近代への批判と憧憬」「女性と神話:植民地化された土地」「氾濫するイメージ」「メディウムとしての歴史」「時間の抵抗」「都市に眠る記憶」「生命の時間」「ここではない何処か」「積層する記憶と身体」の9セクションで構成された。
現実と虚構:近代への批判と憧憬
アニメーションとコラージュを組み合わせ、現実と虚構の間にある「歴史」や「真実」を問う作品で知られる杜珮詩(ドゥ・ペイシー)。《玉山の冒険5》(2011)は、台湾の植民地化の歴史を描いた映像作品。しかしその素材は歴史的な資料やネットで集められた画像や映像であり、歴史そのものも断片のつぎはぎであること、権力者がいかように操作できることを示す。

風間サチコは、「現在」起きている現象の根源を「過去」に探り、「未来」に垂れこむ暗雲を予兆させる黒い木版画を中心に制作する作家だ。本展で見せる「平成博 2010」シリーズは、激動の平成時代を戦時中の国防博覧会におけるパビリオンに仕立てて振り返ろうとするもの。また、風間の近年の代表作であり、優生思想を中心とした「とある国家」の体育大会のオープニングセレモニーを描いた《ディスリンピック 2680》(2018)にも目を凝らしたい。

「大正生まれの架空の三流画家であるユアサヱボシ」という設定で絵画制作に取り組んでいるユアサエボシは6作品を展示。例えば《奇形卵》(2024)は日本の国旗のメタファーのようであり、戦後アメリカの傘の下で発展を遂げた日本の姿を示唆する。また《夢》(2021)は、「ユアサヱボシ」が見た夢をもとに描かれたもの。戦争ごっこをする子供が犬が操縦するロボットに立ち向かう様子は、第二次世界大戦中の旧日本軍のゲリラ戦を想起させる。

女性と神話:植民地化された土地
今年、東京オペラシティ アートギャラリーで個展「タナ・アイル」を開催し、大きな注目を集めた今津景。インターネットやデジタルアーカイブといったメディアから採取した画像を使い、独自の手法で絵画作品を手がけてきた。近年はインドネシアに拠点を置くなかで、同地の歴史や神話を参照した作品を数多く生み出している。本展では、ハイヌウェレ神話に基づく幅6メートルの大作《Memories of the Land / Body》(2020)などが並ぶ。

チトラ・サスミタはバリ出身で、同国の芸術と文化の神話や誤解を解明することに焦点を当てる作家。社会階層における女性の地位について深く問いかけ、ジェンダーの規範的な概念を覆そうとするサスミタ。「ティメール・ムラ・プロジェクト」はバリ島を中心とした群島の歴史と物語をたどり、再解釈したものだ。男性が中心となって紡がれた植民地主義イデオロギーに対して抵抗する女性像を描いている。
氾濫するイメージ
ヴィルヘルム・サスナルの絵画の題材は、ありふれた日用品、歴史上の人物、自身が撮影した風景、友人や家族のスナップ写真、インターネットやマスメディアの掲載画像など多岐にわたる。幅3メートルの絵画《ベネズエラとコロンビアの国境》(2019)は一見ポップな色彩の絵画。しかしその題材は報道写真であり、コロンビアからベネズエラへと入る高速道路を封鎖し、人道支援物資の入国を阻止しようとした実際の出来事がもとになっている。

リュック・タイマンスはイメージの力学を冷静に追求し、その根底に潜む道徳的な観念を詳らかにしながら現代社会を問いかけている。《イグナティウス・デ・ロヨラ》(2006)と《二重の太陽》(2006)は、イエズス会の社会に対する影響をテーマにしたものだ。

メディウムとしての歴史
現在、京都・二条城での個展が大きな話題となっているアンゼルム・キーファーの作品も見ることができる。キーファーはドイツの歴史やナチス、世界大戦、リヒャルト・ワーグナー、ギリシャ神話、聖書、カバラなどを題材に、下地に砂、藁、鉛などを混ぜた巨大な画面に描き出してきた。《フレーブニコフのために》(1984-1986)はロシア未来派の詩人・フレーブニコフを取り上げたもので、画中のテキストからはドイツの戦争への言及が読み取れる。

もうひとりのドイツの巨匠、ゲルハルト・リヒターの作品にも注目だ。可視性と不可視性、写真と絵画、現実と虚構との境界を行き交いながら、「見ること」を探求し続けているリヒター。本展では、絵具と写真を積層させる「オイル・オン・フォト」シリーズのほか、既存のモノクロ写真のイメージを精密に模写してぼかす「フォト・ペインティング」シリーズをさら発展させたプリント作品を見ることができる。


時間の抵抗
ウィリアム・ケントリッジによる5チャンネル・ビデオ・インスタレーション作品《時間の抵抗》(2012)は圧巻だ。本作は、京都で一度だけ行われた「PARASOPHIA: 京都国際現代芸術祭2015」のプレイベント(2014)で展示されたもので、日本での公開はそれ以来となる。時間と空間、植民地主義と産業の複雑な遺産、そしてアーティスト自身の知的活動について30分間瞑想する作品だ。


都市に眠る記憶
松﨑友哉はロンドンと東京を拠点に活動。「ものとしての絵画」「絵画の奥行き」に興味を抱き、ジェスモナイト(Jesmonite)と呼ばれる水性樹脂を用いた支持体に、絵画を制作している。本展は、長年住むロンドンのテムズ川での泥拾いや歴史的な貿易路などを取り入れた作品を日本の美術館で初めて公開する。
いっぽう西村有は、ふと目にした日常の風景や出来事、自身の記憶の断片を1枚のキャンバスの中で重ね合わせることで、作家が感じた風景の構築に取り組む作家。素早いタッチで絵具を重ねることで、輪郭線にズレやブレを生じさせ、そこに時間の流れや動きが与えられている。《scenery passing(out of now)》(2018)は、移動のなかで目にする車窓からの景色をもとに、幻想的な風景が生み出された。リアルとアンリアルの境界が不確実な現代の空気感をも伝えている。

生命の時間
円形の展示室には、サム・フォールズと近藤亜樹の作品が向かい合うように展示された。フォールズは、植物や海藻を採取し、キャンバスの上に置き、自然の力で変化させる制作スタイルをとる。フォールズ自身や息子をモデルにした絵画はシダ植物を使ったもの。シダの形状によって人間の成長と、その先にある死を表している。

「近藤亜樹:我が身をさいて、みた世界は」(水戸芸術館現代美術ギャラリー)でますます注目を集める近藤亜樹は、力強く、生命力あふれる絵画で知られる。
東北芸術工科大学在学中に東日本大震災を経験し、第一子妊娠中に夫が旅先で亡くなるという経験をした近藤。《星、光る》(2021)は、多くの人々の死、最愛の人との別れ、そして新たな命の誕生を経てつくられた本作は、悲しみや苦しみの先にも光があることを伝えている。

ここではない何処か
今年、第19回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展 日本館の「中立点─生成AIと未来」(ヴェネチア・ビエンナーレ日本館、2025)への参加も予定されている藤倉麻子。都市・郊外を横断的に整備するインフラストラクチャーや風景の奥行きに注目し、主に3DCGアニメーションでまったく新しい風景を生み出す作品で知られる。本展では、過去作12点を8つの画面にコラージュした《Catching It from Them》(2018-2025)と、《Never Ending Sunlights》(2024)を展示。


積層する記憶と身体
展示を締めくくるのは、土、水、マスキングテープなど身近な素材を用い、あらゆる場所に奔放に絵を描き続ける淺井裕介だ。
淺井は、各地で採取した土と水で描く「泥絵」シリーズ、アスファルト道路に用いられる熱溶着式路面標示シートをバーナーで焼き付けて描く「白線」シリーズ、マスキングテープに耐水性マーカーで描く「マスキングプラント」シリーズの3つで知られる。
高さ4メートル×幅27メートルに及ぶ《大地の譜面 足音の音楽/今ここで土になる》(2025)は本展のコミッションワーク。約100名のボランティアとともに約1ヶ月をかけて制作したこの作品は、能登半島を中心とした石川県の65種類もの土を使用。80色以上の土の絵具によって、生命の躍動が美術館の壁に生み出された。土の絵具でできた絵画は、積層する時間と私たちをつなぐ象徴的なものとなった。

