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2025.7.3

「チェン・フェイ 展|父と子」(ワタリウム美術館)開幕レポート。「父と子」から見えてくる「力」と「いまの自分」

北京を拠点に活動する画家チェン・フェイの日本初個展「父と子」が、ワタリウム美術館で開幕。「父と子」という普遍的なテーマを通じて、国家や社会、そしてアーティスト自身の視点を浮かび上がらせる本展をレポートする。

文・撮影=王崇橋(ウェブ版「美術手帖」編集部)

展示風景より
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 東京・神宮前のワタリウム美術館にて、北京を拠点に活動する中国人画家チェン・フェイ(陳飛)による日本初の個展「父と子」が開幕した。会期は10月5日まで。

 同館では1997年、香港のイギリスからの返還直前に「中国現代美術展」と題するグループ展を開催したことがあるが、今回の展覧会は中国の現代作家による初の個展となる。館長の和多利志津子は開催の経緯について、「最初のきっかけは、加藤泉さんからの紹介でした。社会にしっかりとメッセージを発する中国人のペインターとしてチェン・フェイさんを紹介され、香港で実際にお会いしました。その後も東京との行き来を通じて交流を深めていきました」と振り返る。

展示風景より

 当初は限られた作品しか見ていなかったものの、チェンの人間性に強く惹かれ、やがて本格的な個展の企画へと発展していった。「現在の中国アートシーンでは、商業的な作家が多い印象がありますが、彼はしっかりとしたコンセプトを持ち、自らの表現を真摯に追求している。そして彼の絵画には、新しい世代ならではの感覚があり、非常に興味を惹かれました」と和多利は語る。

 本展では、チェンが2022年から25年にかけて制作した新作絵画15点を中心に、高さ7メートルにおよぶ壁画やインスタレーション、ドキュメントなどが、サイトスペシフィックに構成された空間で展開されている。

展示風景より、高さ7メートルにおよぶ壁画の新作

 チェンはコロナ禍に早産で娘を授かり、その成長を見守り続けてきた。そうした体験を本展の出発点とし、この2年間は「父と子」というテーマに集中し、新作群を描き上げたという。「たんに“子供が大切”という話ではなく、子供の存在によって自分の世界の見え方が変わり、日常としての家族というテーマが、アーティストとしての技術や思考、さらには国家との向き合い方にまで影響を及ぼした。その変化が一つひとつの作品に丁寧に反映されているのが面白い」と和多利は述べる。

展示風景より、左は《生き物のドラマ》(2025)

 また、本展のもうひとつの起点には、ナチス時代のドイツで活動した風刺マンガ家E.O.プラウエン(1903〜1944)の名作『Vater und Sohn(父と子)』がある。このサイレント漫画は、親子の日常をユーモラスかつ温かく描きながらも、厳しい時代状況における表現の制約や政治的抑圧を背景に持ち、芸術家の葛藤を内包していた。チェンはこの作品との出会いを通じて、自身の内面にある個人的な感情と、時代・社会との関係性を重ね合わせるテーマとして「父と子」に取り組むことを決意したという。

E.O.プラウエン『Vater und Sohn(父と子)』中国語版

 「“父と子”という感情は、人類がもっとも共有しやすい普遍的な感情のひとつだと思います。最初はもっと複雑なテーマに取り組もうとも考えましたが、この美術館の空間には、より感覚的で、温度のあるテーマのほうがふさわしいと感じました」とチェンは語る。実際、本展の作品群には、夫婦や家族、友人との関係性といった私的なモチーフが描かれているいっぽうで、それらが権力構造や社会的ヒエラルキーの象徴としても読み取れるような、二重構造が巧みに仕掛けられている。

 例えば、エントランスに展示された《ある人々》(2025)という小品は、画家自身とその父親を描いたものである。背景に描かれた父の肖像は、中国における官僚や企業の管理職などを想起させる「行政写真」のような冷たく形式的なスタイルで表現されており、家父長制や国家が「無形の眼差し」として個人を監視する構造への鋭い批評が込められていると言える。チェンはこの作品について、「家族という個人的な物語を通じて、私たちを取り巻く見えない支配構造を暗示している」と語っている。

展示風景より、《ある人々》(2025)

 中国の現代アーティストの特徴について、和多利は「中国では国家の制度が家族のあり方にまで深く入り込んでおり、また作家たちは自らの考えを素直に言葉にするのが難しい場面も多い。だからこそ、自身の思いやメッセージを作品に込める技術が非常に発達している」と指摘する。とりわけチェンの作品には、メタファーやユーモアが巧みに織り交ぜられており、一見ポップで華やかな印象を与えながら、その背後には社会構造への鋭い批評的視点が潜んでいる。

 例えば、可愛らしい変顔のポートレイトや、一見洗練されたデザインとして構成された画面のなかに、排泄物や死んだ小鳥、ムカデなどの毒虫といったグロテスクなモチーフが密かに描き込まれている。こうした表現に込められた違和感や複雑な感情は、コロナ禍に娘を授かり、その成長を見守ってきたチェン自身の生活実感に根ざしており、観る者の記憶や体験とも自然に響き合っていく。

展示風景より
展示風景より

 展覧会の最後には、舞台演劇の一場面のように構成された作品《父の胸の内》(2025)が展示されている。そこでは、バーで酔いつぶれた父親を、幼い娘が“舞台”の外側からのぞき込んでいる。まるでウサギの穴に落ちたアリスのように、大人の世界に対する子供の戸惑いや不安が象徴的に表現されている。「『父と子』というのテーマは私的でありながら、同時に開かれている。私が絵画を好きな理由のひとつは、観る人それぞれが同じ作品から異なる解釈を引き出せることです」とチェンは語る。

展示風景より、左は《父の胸の内》(2025)

 いっぽうで、和多利は日本の鑑賞者に対し、本展を通じて「いまを感じてほしい」と語る。「チェン・フェイは、まさに“いま”の中国、そして“いま”の世界に生きるアーティストです。だからこそ、彼の作品は決して遠い世界の物語ではなく、日本の観客にとっても“いまの自分”と重ね合わせられるはずです」。

 日本の観客に向けたメッセージとして、チェンはこう述べている。「“力”というものは、つねに民間にあると私は思っています。芸術は、その民間の力をつなぐ“橋”であり、人々の共感のなかにこそ意味がある。そして芸術こそが、その共感を育むもっとも有効な手段だと信じています」。

 「父と子」という古くて新しいテーマを通じて、家族の物語から国家、社会、そして個人のあり方にまで静かに問いを投げかけるこの展覧会。チェン・フェイの絵画は、観る者の心のどこかにある「いま」や「力」と結びつき、様々な思索の扉を開いてくれるだろう。

展示風景より