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2025.11.19

「刺繍―針がすくいだす世界」(東京都美術館)開幕レポート。針と糸が生み出す可能性とその営みの意味を探る

東京都美術館で、上野アーティストプロジェクト2025「刺繍―針がすくいだす世界」がスタートした。会期は2026年1月8日まで。

文・撮影=三澤麦(ウェブ版「美術手帖」編集部)

展示風景より、伏木庸平《オク》(部分、2011-)
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 東京・上野の東京都美術館で、上野アーティストプロジェクト2025「刺繍―針がすくいだす世界」がスタートした。会期は2026年1月8日まで。担当学芸員は大内曜(東京都美術館 学芸員)。

 「上野アーティストプロジェクト」とは、「公募展のふるさと」とも称される東京都美術館の歴史の継承と未来への発展を図るため、公募展に関わる作家を積極的に紹介する展覧会シリーズだ。

 今回、第9回目となる本シリーズでは、初めて「刺繍」が取り上げられる。平野利太郎(1904〜94)、尾上雅野(1921〜2002)、岡田美佳(1969〜)、伏木庸平(1985〜)、望月真理(1926〜2023)といった、大正末期から現在に至る国内の5名の刺し手たちによる作品を、新作を含めた100点以上にわたって紹介。布地などに針で糸を刺し、縫い重ねる手法によってかたちづくられた多彩な造形と表現に注目することで、その営みの意味と可能性について考える機会となっている。

展示風景より

 各作家らのバックグラウンドと作品の特徴について紹介したい。江戸の刺繍職人の家に生まれた平野利太郎は、10代から20代にかけて日本画や古典工芸、染色デザインを学んだ。伝統的な技法を踏まえつつ、日常生活の多様なモチーフに目を向けて作品へ取り入れている点が特徴と言えるだろう。高度な技術に裏打ちされた、リアルながらも革新的な表現が見どころとなっている。

展示風景より、左から平野利太郎《花と魚菜》(1953)、《サボテン》(1955)
展示風景より、平野利太郎《サボテン》(部分、1955)

 尾上雅野は、個人的に手芸を楽しんでいたアマチュア時代に、主婦の友社が主催する手芸展で繰り返し入選。その後、個展の開催を通じて本格的にキャリアをスタートさせた。独学で得た西洋刺繍の知識を基盤に、羊毛を用いた躍動感あふれる絵画的な刺繍作品を発表し、のちには日本手芸普及協会の会長も務め、後進の育成にも尽力した人物でもある。

展示風景より、尾上雅野による作品群。手前は《バラのアーチ》(1969)

 キャンバスなどに使われる麻布に羊毛を大胆に刺した作品は、まるで油彩画を思わせる迫力があり、遠目でも近くでもその魅力を味わうことができるだろう。

展示風景より、尾上雅野《バラのアーチ》(部分、1969)
展示風景より、尾上雅野《ぬいぐるみ クッション》

 生まれつき他者とのコミュニケーションに困難さを抱えながらも、幼少期から絵画や手芸などの創作に親しんできた岡田美佳は、かつてどこかで目にした風景や情景を、自由なステッチで画面上に紡ぎ出していく作家だ。20代の頃に画家・安野光雅の『旅の絵本』を愛読し、その影響を受けて刺繍画を制作し始めて以来、これまでに約400点以上の作品を生み出してきた。会場ではそのうち50点余りが展示されており、食卓や自然の風景といったモチーフには、岡田が過ごしてきた日々が針と糸によって記されているかのような温かみが感じられる。

展示風景より、岡田美佳による作品群。手前は《プールが見える窓》(1993)
展示風景より、岡田美佳《おもてなし》(2002)
展示風景より、手前は岡田美佳《秋の陽射し》(2005)

 伏木庸平にとって、布に糸を刺すことは作品制作という枠を超え、日々の営みそのものに近い。2011年頃から現在まで刺し続けられている《オク》は地下ギャラリーに展示されており、まるで生き物が増殖と分裂を繰り返すかのような姿を見せている。13年には、誰もが応募できる「ポコラート 全国公募展 vol.3」で千代田区長賞を受賞しているが、その後もライフワークとして《オク》をはじめとする作品を生み出し続けている。

展示風景より、伏木庸平《オク》(2011-)。刺繍のなかには羊毛のみならず、ビニールなどの異素材も混ざっている
《オク》(部分、2011-)の裏側

 自身が日々の営みのなかで感じることを、少し時間を置いて思い返しながら布に糸を刺す。伏木にとって、針を刺すという行為そのものが、自らの内面と向き合う時間となっているのだ。

展示風景より、伏木庸平《左半身の肋骨》(2018-24)

 ベンガル地方の女性たちのあいだで、古布の再生や祈りの思いから生まれ、受け継がれてきた「カンタ」。もともと西洋刺繍を学んでいた望月真理は、50代半ばの1970年代、インド・コルカタを旅した際にこのカンタと出会い、その自由度の高い針仕事に強く魅了されたという。会場には、望月の刺繍作品と、70年代以降にカンタから影響を受けて制作された作品が展示されている。

展示風景より、望月真理《一番初めに作ったカンタ》(1979)

 西洋刺繍との違いに驚きつつも、カンタ特有の縫い方や思想を自ら研究し、古い布を新たに縫い直して再生させる技法や、その根底にある精神性・祈りにも深く共鳴したという望月。その姿勢は、作品の一つひとつから伝わってくるようだ。

展示風景より、手前は望月真理《自作の刺繍コート》(1969頃)
展示風景より、望月真理《ランプシェード》(1979)。望月の祖母から受け継いだ麻布が使用されている

 刺繍と一口に言っても、その表現の在り方は幅広く、作家ごとに関心もそこに込められた意味合いもまったく異なる。だからこそ、針と糸で生まれる造形には、まだまだ多くの可能性があるように思われる。美術館という場で刺繍作品を鑑賞することで、その手仕事に込められた時間や熱量がよりいっそう伝わってくるようでもあった。

 なお、会期中には「刺繍がうまれるとき―東京都コレクションにみる日本近現代の糸と針と布による造形」も同時開催されている。東京都江戸東京博物館東京都写真美術館、東京都現代美術館が所蔵するコレクションから、「刺繍」や「刺子」など糸・針・布によって生まれた造形作品と関連資料を選び、4章立てで紹介。さらに、女子美術大学工芸専攻研究室が所蔵する、明治末から昭和初期にかけて学生たちが制作した「刺繍画」も展示されているため、ぜひあわせてチェックしてほしい。

展示風景より、髙田安規子・政子《ジョーカー》(2011)
展示風景より、手前は秋山さやか《あるく 私の生活基本形 深川 2006年8月4日〜》(2006-07)
展示風景より、江戸東京博物館の収蔵品である「火消半纏」「消防服」など