2025.9.20

「千葉国際芸術祭2025」(千葉市内)開幕レポート。日常のなかでアートに出会い、こころをひらく

千葉市を舞台に展開する、トリエンナーレ形式の市民参加型芸術祭「千葉国際芸術祭2025」が今年初開催。春から始まったリサーチ・制作期間を経て、9月19日に展示・発表期間を迎えた。その様子をレポートする。

文・撮影=三澤麦(ウェブ版「美術手帖」編集部)

展示風景より、藤浩志《33年後のかえる》
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 政令指定都市・千葉市を舞台に展開する、トリエンナーレ形式の市民参加型芸術祭「千葉国際芸術祭2025」が今年初開催。春から始まったリサーチ・制作期間を経て、9月19日に展示・発表期間を迎えた。

 本芸術祭が目的として掲げるのは「新たな文化の創造と魅力の発信」「地域への関心や関わりの醸成」「多様な主体の尊重と繋がりの創出」だ。23年12月からはプレプログラムも含め、市内各地で体験型の「アートプロジェクト」を展開。人々が地域に関わりながら創造性を発揮する機会を生み出すことを試みるものとなっている。

 同芸術祭の実行委員長/総合ディレクターを務める中村政人は、希幕に先立ち次のようにコメントした。「全国に数ある芸術祭のなかでも、この千葉国際芸術祭は”市民参加型”を強く押し出している。この千葉市で生まれ働き、生活をするなかで、心が開く瞬間をぜひこのプロジェクトのなかで出会い、見つけてほしい」。また、今後の展望についても「3年に1回の開催を続けていくことで、心開いた市民の方々が自ら参加し、行動できるようなものとしたい。新たな芸術祭の立ち回りに注目してほしい」と語った。

中村政人

 今回初開催となるこの芸術祭には、世界各国から32組のアーティストが参加し、市内各地でアートプロジェクトを行っている。本稿では、「千葉駅周辺」「市場町・亥鼻」「西千葉」といった3つのエリアから、取材することができた11組をピックアップして紹介したい。

千葉駅周辺エリア

 色彩の美しい陶板レリーフとストリートピアノが設置された千葉都市モノレール千葉駅改札外では、オーストラリア・メルボルンを拠点とするスロー・アート・コレクティブによる参加型作品《STATION to STATION》が設置されている。竹の構造体にめぐる紐は、鑑賞者が自由に編んだり結んだりすることが可能だ。日常空間のなかに現れたちょっとした非日常を楽しむことができるだろう。

展示風景より、スロー・アート・コレクティブ《STATION to STATION》
展示風景より、スロー・アート・コレクティブ《STATION to STATION》

 駅前から少し歩いたそごう千葉店の正面入り口前には、アレクセイ・クルプニクによるストリート・ドキュメンタリーシリーズ「Secret people(秘密の人々)」が展示されている。千葉市内で働く、普段は人目につくことのない労働者たち。街を生態系としてとらえ、彼ら/彼女らによる仕事のおかげで循環が生まれているとし、その姿や仕事の様子を追い、撮影したものだという。被写体にはインタビューも実施しており、会期中にはその内容がキャプションとしても追加展示されていく予定だ。

展示風景より、アレクセイ・クルプニク《Secret people(秘密の人々)》
展示風景より、アレクセイ・クルプニク《Secret people(秘密の人々)》

 柔らかな自然光の差し込むセンシティタワー南アトリウムでは、藤浩志によるプロジェクト《33年後のかえる》が展開されている。本作は、33年を世代が入れ替わるひとつのタームとしてとらえ、3万個もの不要となったおもちゃ(廃棄物)を通じて、未来やその可能性について考えることを促すものとなっている。

展示風景より、藤浩志《33年後のかえる》。これらのおもちゃは、昨年千葉市内で同芸術祭が開催した「かえっこバザール」にて持ち寄られたものだという

市場町・亥鼻エリア

 千葉都市モノレールを利用して、終点の県庁前駅に降りると、現在は使用されなくなった対岸のホームに、沼田侑香の《パラレルワールド》が展示されている。一瞬実際に人がいるかのように思わされるこのパネルは、見る角度によっては後ろの背景と溶け込んでしまう。かつてあった人の営みや記憶について想いを巡らせるような作品だ。

展示風景より、沼田侑香《パラレルワールド》

 県庁のお膝元にかつてあったという鰻屋。現在は閉業したその食堂・厨房を改装してできたのが「アーツうなぎ」という新たなスペースだ。ここでは、この市場町の近隣で生まれ育ったというクリエイターユニット・岩沢兄弟が、同地ならではの魅力を再解釈するような、作品展示/グッズ販売/ワークショップを行う《キメラ遊物店》を展開している。

 会期中には、同スペースの2階で「ちくわ部」(ちばしで/くわだて/わになって/話す部)と称した対話型ワークショップイベントも実施される予定のため、ぜひチェックしてみてほしい。

展示風景より、アーツうなぎ / 岩沢兄弟《キメラ遊物店》。まるで実験工房のようなスペースで、まさにキメラのように組み合わせられたプロダクトなどが展開されている
展示風景より、アーツうなぎ / 岩沢兄弟《キメラ遊物店》

 アーツうなぎから道なりに歩いていくと、インドとコロンビアを拠点に活動するセバスチャン・トルヒージョ=トーレスとクルーティ・シャーによる建築とアートの実践団体、チャール・チャール・エージェンシーによる《移動式縁側》の試みが、「つくるにわ」というスペースで紹介されている。

 「軽やかなインフラ」をテーマとして掲げる同団体は、日本由来の建築スペースである「縁側」を移動式にすることで新たなアプローチを試みる。会期中には、この縁側を各所に設置することで、市民が参加しながら千葉市について考える場所を創出するという。

展示風景より、チャール・チャール・エージェンシー《移動式縁側》
展示風景より、チャール・チャール・エージェンシー《移動式縁側》

 写真の技術が発明される以前、その現象をイギリスの物理学者は「Words of Light(光の言葉)」と表現したそうだ。アーティストの鈴木のぞみは、言葉が集まる場所でもある旧千葉亥鼻郵便局を会場に、ピンホールカメラの仕組みを体感することができる展示を行っている。

 また、千葉市内のあらゆる場所に存在する「穴」を市民から募集。生活空間という身近な場所にも像が存在することを、ともに体感する参加型のワークショップも実施している。

展示風景より、鈴木のぞみ《Words of Light 光の言葉》
展示風景より、鈴木のぞみ《Words of Light 光の言葉》

 千葉市美術館から道路を挟んで対岸にある旧診療所では、アーティストの宇治野宗輝による20世紀の工業製品を用いたサウンド・スカルプチュアと映像のインスタレーション《House of Homy》を展開している。

 映像のなかで語られるのは、満州に生まれ、今年100歳になった宇治野の母による好物の餃子に関する思い出だ。また、この旧診療所があるのは、かつて「軍都千葉」と呼ばれ、帝国陸軍の施設が設立されたことで近代化が進んだ街。この土地の歴史と宇治野の母の記憶は、戦争によって引き起こされた苦くも甘い両側面でリンクしているのだ。

展示風景より、宇治野宗輝《House of Homy》
展示風景より、宇治野宗輝《House of Homy》

西千葉エリア

 隣駅の西千葉でもアートプロジェクトが各所で行われている。JR総武線西千葉駅の高架下では、全長18メートルにも及ぶ巨大な女神《臥遊-ガード下神殿-》が出現している。市民が日常における様々な悩みごとや希望を祈る場所を生み出したかったと語るアーティストの伊東敏光。ワークショップスペースでは、市民らが祈りや願いを言葉にする絵馬のような取り組みも行われている。

展示風景より、伊東敏光《臥遊-ガード下神殿-》。この神殿は、不要となった家具から元々神社の鳥居であった木材まで、千葉市内で寄せ集められた素材で構成されている
展示風景より、伊東敏光《臥遊-ガード下神殿-》

 同じく高架下にある西千葉公園横のスペースでは、西尾美也による服に関するアートプロジェクト、まちばのまちばり展示「まちまちいちば」が展開されている。

 昨年度に実施されていた同芸術祭のプレ会期中、西尾は街で集めた服を素材に工作的な服づくりを行うワークショップを市民の参加者らとともに実施。4回以上参加した市民は「まちまちテーラー」と認定され、この会場で参加者からのオーダーを受けることができるといった、服を通じた新たなコミュニケーションのかたちが創出されている。

展示風景より、西尾美也《まちばのまちばり展示「まちまちいちば」》
展示風景より、西尾美也《まちばのまちばり展示「まちまちいちば」》

 現代アーティストの加藤翼は、千葉市美浜区の幸町団地で実施したフィールドワークとプロジェクトの記録とインタビューの映像を、Mikey HOUSEというスペースにて展示している。

 労働者が多く集まる幸町団地には、その最初期から住み続ける後期高齢者と、そこに代わる労働力として移住してきた外国人が多く暮らしている。加藤はここに住む高齢者やその孫世代、そして外国人住民にインタビューを実施。そして、団地の一室を原寸で再現した構造体を広場に設置し、団地祭りにあわせてそれをロープでひっくり返すといった壮大なパフォーマンスを行った。住民たちがこのパフォーマンスに参加する様子は、様々なバックグラウンドを持つ人々による新たなコミュニティのかたちの現れとも言えるだろうか。

展示風景より、加藤翼《Rift in Repetition》

 筆者がこの芸術祭に参加することができたのは1日きりであったが、これらのアートプロジェクトは、昨年度もしくは今年の春から継続して行われてきたアーティストと市民による成果のかたちである。そしてその成果は、会期中にもかたちを変え、様々な展開を見せてくれるはずだ。

 日常のなかに現れる非日常、といった市民参加型の芸術祭。街ゆく人々はいまだその様子を不思議そうに眺めていたが、総合ディレクターの中村が「3年に1回の開催を続けていくことで、心開いた市民の方々が自ら参加し、行動できるようなものとしたい」と述べたように、今後この芸術祭がどのように展開され、地域そして市民に定着していくのか、その過程に関心が高まるものであった。