2025.12.6

「杉戸洋展:えりとへり / flyleaf and liner」(弘前れんが倉庫美術館)開幕レポート。「余白」への眼差しから生まれる、いまここの表現

青森県弘前市にある弘前れんが倉庫美術館で、開館5周年記念「杉戸洋展:えりとへり / flyleaf and liner」が開幕した。会期は2026年5月17日まで。

文・撮影=大橋ひな子(ウェブ版「美術手帖」編集部)

展示風景より
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 青森県弘前市にある弘前れんが倉庫美術館で、開館5周年記念展の第2弾となる「杉戸洋展:えりとへり / flyleaf and liner」が開幕した。会期は2026年5月17日まで。

 杉戸洋は1970年愛知県生まれ。92年に愛知県立芸術大学美術学部日本画科卒業後、国内外で作品発表を続けてきた。杉戸の作品には、小さな家や船、果物、木々や雨粒といった身近なものや自然が、線や幾何学的な図形とともに鮮やかな色彩で描かれる。

 「えりとへり」という言葉がタイトルにつけられた本展では、杉戸は「余白」に目を向ける。余白とは、絵画の裏側に見られるキャンバスを囲む「えり」や「へり」、本の表紙をめくると現れる「あそび紙 (flyleaf)」や洋服の「裏地(liner)」など、あらゆる場所に潜むものを指している。本展は、そんな余白に心を傾けることから制作をはじめる杉戸の、90年代から最新作までの絵画を中心に紹介し、杉戸の作品世界に触れることができる機会となっている。

 本展は明確な章立ては行われておらず、大きく2つにわかれた展示空間を広く使って展開されている。入ってすぐの空間中央には、ひとつの小屋が建っている。小屋の外側は木材そのままが見える状態だが、中に入るとカラフルな壁紙に覆われた空間が現れる。

展示風景より
展示風景より、小屋の外から中をのぞいたときの様子

 今回この壁紙を手がけたのは、グラフィックデザイナーの服部一成だ。コラボレーターという立場で、ともに杉戸と本展をつくりあげた服部は、同館のロゴマークなどを手がけている。もとより同館と関係があった服部だが、今回のコラボレーションは、杉戸自らの呼びかけによって実現した。杉戸は、服部がアートディレクション(2002〜04年)を手がけたファッション雑誌『流行通信』にとても影響を受けており、今回の企画が持ち上がった当初から、『流行通信』が本展のキーワードのひとつとして挙がっていたという。

『流行通信』(2002年9月号〜04年8月号)の展示風景

 服部は、杉戸の作品によく登場するモチーフを用いて8種類の壁紙を制作した。杉戸の制作のインスピレーションのきっかけになるよう制作されたそれらは、実際、設営中の杉戸にたぶんに影響を与えた。約1週間の設営期間中に、壁紙が貼られた空間を発想源として新作が複数生み出された。2名のつくり手による即興的な応答の痕跡がそのまま空間に残されている。小屋の内外に展示される杉戸の作品と壁紙のデザインを見比べながら、その跡をたどってほしい。

展示風景より、小屋の内側の様子
展示風景より

 同館ならではのコールタールの黒い壁沿いに進むと、広い展示会場につながる。四角形の空間に、三角柱の壁が建てられたつくりは、杉戸の作品によく登場する四角形と三角形を、より大きなスケールで三次元的に再現しているように感じられる。ここでは、市販の壁紙のうえに服部がデザインした壁紙が貼られている箇所があり、その間に杉戸の作品が並ぶという興味深い構成がなされている。

展示風景より
展示風景より、市販の壁紙のうえに服部の壁紙が重ねられている様子

 服部曰く、「杉戸さんは空間の質感やテクスチャーといった細かいところまでよく見て考え、表現に生かしている」。明治・大正期に酒造工場として建てられ、2020年に建築家・田根剛が「記憶の継承」というコンセプトのもと改修を行い誕生した同館。その煉瓦倉庫が持つ歴史や独特の空気感、質感を感じ取って会場を構成していることが随所から感じられる。

 そんな杉戸の哲学をもっとも強く感じられるのが、同会場の一番奥に展開されているインスタレーション作品だ。制作現場と表現したほうがいいようなその空間は、実際本展の設営中「制作現場」であった。設営中に次々と生み出される作品の数々はここで制作されており、まさに杉戸のアトリエと化していた空間を、そのまま会場に残している。自身にとって制作途中にこそ価値があると話す杉戸は、自らのエネルギーがもっとも凝縮された「制作過程」「制作現場」を見せることを試みている。

展示風景より、杉戸洋、服部一成《えりとへりのテーブル》(2025)(2階から撮影)
展示風景より、杉戸洋、服部一成《えりとへりのテーブル》(2025)(一部)

 また他者と協同することにも大きな価値や可能性を感じるという杉戸は、ブラジル・サンパウロ出身のアーティストであるゴクラ・シュトフェルの作品を本展で紹介している。杉戸がブラジルを訪れた際に出会い、衝撃を受けたというゴクラの作品を、この「制作現場」に持ち込み、自らの制作のインスピレーション源にしていたという。ほかにも、90年代に制作した未発表の作品に、20年以上たって手を加えた作品らも紹介されており、いまここでしか見られない作品・空間が広がる貴重な機会となっている。

展示風景より、ゴクラ・シュトフェル《コンストゥルサォン(構造)》(2023)
展示風景より

 また同館では、開館以来コミッション・ワークを中心に収蔵してきた作品を紹介する展覧会「北へ向かって」が同時開催されている。この土地にゆかりのある作家の作品に加え、弘前出身のアーティスト・奈良美智と杉戸の共作も出展されているため、こちらも要注目だ。

 じつは杉戸と同館の関係には、奈良の存在が大きく関わっている。杉戸が高校生のときから親交のある奈良は、2006年に同館の前身である吉井酒造煉瓦倉庫で「YOSHITOMONARA + grat A to Z」展を開催しており、その際杉戸もその展覧会に参加していたという。そんな2人にとってゆかりのあるこの土地で開催される本展で、2004年に共作した作品や、当時のモチーフを22年に彫刻として発表した際の原型が紹介されている。なお同展では、奈良と株式会社バッファロー代表・牧寛之により、今年共同寄贈された《Girl from the North Country (study)》も展覧されている。

展示風景より
展示風景より、奈良美智《Girl from the North Country (study)》(2025)

 同館館長の木村絵理子は、本展について次のように語る。「開館5周年の機会に、いままであまり開催してこなかった絵画の展覧会を開催したいと考えていた。そこでここ弘前とゆかりのある杉戸さんにぜひお願いしたいと考え、服部さんの協力も得ながら実現した展覧会。いまここでしか見られない空間や出来事を、ぜひご自身の目で目撃してほしい」。

会場で展示について説明する杉戸洋(左)と服部一成(右)

 「えり」や「へり」といった「余白」に目を向けながら、丁寧に周囲の空間や出来事に向き合う杉戸。そんな杉戸がここ弘前で見せる、作品が生まれてくる瞬間を含めた「いま」を体感すべく、ぜひ会場まで足を運んでみてほしい。